今と昭和の一番異なるところは

人々の価値観だろう

昭和の時代は

国民の求めるものや

目指すものが

みな同じ方向性を持っていた


例えば、スポーツと言えば

野球

東京には

巨人ファンか、アンチ巨人ファンの

どちらかしかいなかった

(というのは極端か?)

テレビで放映されるのは

ジャイアンツ戦ばかりだったので

やむを得ないところもあったが


私も小学校2年生の時

友だちがみんなグローブを持って

キャッチボールを始めたのを見て

どうしてもグローブを手に入れなければと

不安な気持ちになった

何とか小遣いを貯めて、と思っていたら

親にばれて、白状することになった

父は笑って

何だ、グローブが欲しいのか

と言って、父の知り合いがやっていた

スポーツ用品店に連れていってくれた

そこで初めてのグローブを手に入れる事ができた


グローブを買ってもらったばかりのころ

家の脇の路地で

一人で

壁に向かって球を投げていた

そこへ母が現れ

キャッチボールの相手をしてくれた

翌日、母が急に肩が痛くて

どうしちゃったんだろう?と

不安げな顔をしていたので

昨日、キャッチボールしたからじゃない?

と言うと

ああ、そうか、と大笑いしていたのを

今でも覚えている



それまで、缶けりだの虫取りだのに

夢中になっていた少年たちが

野球をやるようになると

いつも野球ばかりやるようになった

空き地でプラスチックのバットと

庭球を使って

三角ベースの野球をやった


何年生からか覚えていないが

町会の中に野球チームができて

友だちがみんな入ったので

私も入部した

日曜日に近くのだだっ広い公園で

練習をした

私は、決して嫌いではなかったのだが

そこまで野球に夢中になることはなかった

格好をつけて

左打ちの練習をした

試合には、大抵補欠で

ピンチヒッターかなにかで出るくらいだった

仲間の一人は

甲子園に行って、プロ野球の選手になると

夢を語っていた


練習中に、球を取りそこねて

目に当たったりしたこともあった

一瞬、顔の前につきだした

グローブの脇から

球が見えたかと思うと

スローモーションのように

大きくなって

次の瞬間、目の奥の方まで

衝撃が走った


外で遊んでいれば

そんなことは日常茶飯事だった