昭和に生まれ

(「昭和」の発音は、平成以降の

人たちが使った高低アクセントではなく

平坦な言い方で読んでほしい)

平成、令和と生きてきて

今思うのは

昭和の(特に小さかった頃の)日本は

道端に生えている

雑草の花のようなものだった

 

素朴で強く、

踏まれてもへこたれない

普通で、当たり前で

よく見ないと気付かないような

ひたむきな美しさがある

 

値段をつけるとしたら

大した額にはならないような

誰もが当たり前だと

受け止めていた価値

そんな感じがする

 

それは、花屋に売っている高価な、

しかし

弱々しい切り花や

見た目だけ艶やかな

造花の美しさとは

一線を画していたように思うのだ

 

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私が今住んでいる

20年ほど前にリフォームした家には

畳の部屋がない

寝るのは、全員、ベッドだ

 

私が小さかった頃は

畳でない部屋のある家は

珍しいくらいだった

近所に畳屋もあったし

夜寝るときは

畳の上に、マットレスと布団を敷いて

家族四人が枕を並べて寝た

朝起きたら、布団をたたまないと

ご飯が食べられないから

早めに起きて、家族が一緒に朝食をとった

 

まだ平屋のうちが多かった

どこのうちも狭くて

大して違いはなかった

 

 

子どもたちの遊び場は

公園なんて、洒落たものではない 

家の前の路地や空き地は

どんな遊びもできたし

なんと言っても

「原っぱ」と呼んでいた空き地が

そこいら中にあった

 

路地では、ろう石や白墨で落書きしたり

「いろいろ」と言って

セットになっている遊び(覚えているのは

「リンゴの皮むき」位だが)をした

遊ぶのは、年が同じかどうかは関係なく

近所に住んでいるかどうかが

重要だったから

兄弟がいれば、みんな連れてきたし

小さい子を労りながら

特別ルールを使った遊びをしていた

いたずらもたくさんしたので

近所のおっかないおばさんやおじさんには

いつも注意していた

 

ちょっと広目のスペースでは

大抵、缶けりか悪漢探偵をした

どちらも、とてもスリリングな遊びで

小さい子はベソをかきかき

必死になっていた

 

ベーゴマやコマ回しに

夢中になったこともあった

ベーゴマはコマ同士のけんか

やすりで削ってカスタマイズした

大事なコマを

勝負に負けると取られてしまう

正月頃にはコマ回しがはやった

曲芸のような回し方は

たいていの子供にはできた

綱渡りや空中ブランコという技は

子供たちのヒエラルキーを決定する

決め技だった

 

 

 

原っぱには、虫がいくらでもいたから

虫取が一番おもしろかった

大雨が降ると、原っぱは

しばらくの間池になった

するとそこには、後に

「シー・モンキー」と呼んでいた

不思議な生き物が大量に現れた

(ホウネンエビ、というのか?)

近くには、沼というか池というか

水の枯れない所もあり

そこには鮒やザリガニがいくらでもいたので

近くの駄菓子屋で

酢いかを買って(私はお小遣いがなくて

ほとんど買えなかったが)

凧糸の先に結わって、

枯れた麒麟草の棒に垂らして

ザリガニ釣りをした

(酢いかは、大抵、ザリガニにやるより

自分達で食べてしまったが)

一匹、小さめのが釣れたら

しっぽをもいで、それを餌にした

 

池には、トンボもたくさん来た

夏になると、ギンヤンマが飛んできて

それを採るのも男の子の

夢中になったことだった

一匹捕まえると、糸で結んで

頭の上を飛ばしておく

そうすると別のギンヤンマが飛んできて

交尾をしようとしたのか

攻撃を仕掛けていたのか

もう一匹を捕まえることもできた

 

ゲームなんてなかったが

退屈になることなど、皆無だった