私の昭和時代の成長の記録は

日本が戦後、高度経済成長を遂げたのと

ちょうど時期を同じくしている

まだ相対的に貧しかった日本が

世界第二位の経済大国に

のしあがっていった

激動の時代だった



子供の頃は

買い物と言えば

魚は魚屋さん

野菜や果物は八百屋さん

肉は肉屋さん

文房具は文房具屋さん

という具合で

すべて、小さな個人のお店だった

買い物には、買い物かごをぶら下げていった

私の家の側には

個人の店が集まった商店街があり

私もよくお使いにいった

買った食べ物を

新聞紙で作った袋に入れてくれた

そういう店は

天井から、平たいかごが

ゴム紐でぶら下げてあって

そこに売上金が入れてあった


豆腐やは、パープーとなる

ラッパを吹きながら

通りを行商していた

冬になると

焼き芋屋のおじさんが

「やーきいもー  

いしやーーきーいもー

やーきたてー」

と節をつけて歌いながら

石焼き芋を売りに来た

私の親も、たまに呼び止めて

焼き芋を買ってくれた

焼き芋屋は計り売りするが

よくおまけしてくれた


トットちゃんの話にも出てくる

チンドン屋さんも

よく通りかかった

歌舞伎役者のように

白粉で化粧した人たちが

背中に店の宣伝の看板をぶら下げて

アルトサックスを演奏しながら

派手な着物で巡って行った

あの独特のメロディも

未だに忘れずに覚えている



そういう風景だったのが

ある時、大型ショッピングセンターが

開店した途端

あっという間に一変してしまった


東武ストアというのができて

野菜でも、魚でも、肉でも

肌着や洋服でも

何でも買うことができた

新聞には、折込広告が入ってきて

今日は何が安売りしているかもわかった

買い物をすると

レジ袋というプラスチックバッグに

商品を入れてくれて

新聞紙に包むより、清潔な感じがした


わけなく、買い物かごを持って行く人は

いなくなってしまった

近所の個人商店は

軒並、閉店へと追い込まれていった


大量消費生活が始まり

日本は公害が大問題となっていった