何故だろう?

「昭和」というと

夕暮れ時のイメージが浮かぶ

幼いころ、

母がお使いかなにかで留守のとき

部屋の中が薄暗くなってくると

あの当時流行った

目覚まし時計から

オルゴールのメロディが流れ出す


「金襴緞子の帯しめながら

花嫁御寮はなぜ泣くのだろう」


とても物悲しいメロディが

薄暗い部屋に響く

お母さんはどこに行ったのだろう?

心細さにベソをかきながら

母の帰りを待つ

外では、豆腐やのラッパの音がする


私の家は

阿弥陀橋通りに面した

三軒長屋だった

長屋というのは

何軒かの平屋の集合住宅が

一つの屋根の下にある

うちは、三軒の真ん中だった



子供の頃の写真はもちろん白黒で

普通のうちの子なら

写真そのものが、そんなに残っていないだろう

私の暮らしていた地域は

下水も整備されていなかったので

汲み取り式の便所(「トイレ」などとは呼べない)だったし

家に風呂がないのは

普通のことだった

近所には銭湯がいくつもあり

家族で週に何度か(毎日ではない)

入りにいった



テレビも白黒で

ブラウン管の前には

目に優しいとかの理由で

三色のプラスチックの板が

ぶら下げてあった

そのせいで、一部色がついて見えたので

私はうちのテレビは

カラーだと思っていた


電話は黒電話

何歳くらいからあっただろう?

一番古い電話の思い出は

母がすすり泣きながら

実家に、お金の相談をしていたものだ


父は大工で

近くの工務店に勤めていたので

昼は家に帰ってきていた時もあった

母は専業主婦だったが

いくつかの内職もしていた


どこのうちも、さほど違いはなかったが

全体的に貧しい庶民の暮らし、といった

さみしい印象が残っている


ある時、母から小銭をもらって

パン屋にパンを買いに行くお使いを頼まれた

どのパンにしようかと思って

ショーケースの中を覗いたら

美味しそうな菓子パンがあったので

それを買って帰った

母は食パンを買って来て

みんなで食べるつもりだったので

「何でこんな(高い)パンを買ってきたの!

返して来なさい! 取り替えて来なさい!」

と怒った

私はその時、泣きながら

はっきりと、

我が家は貧しいのだ、ということを

子供心に深く刻み込んだ



そんなイメージが、

夕暮れ時を連想させるのだろうか?