合格したから言えるのかも知れないが

私にとって、不合格という事実を

突きつけられた経験は

とても貴重なものとなったと思う

特に、自分の娘たちが

就活で辛い思いをしたときに

その辛さがよく理解できたのは

あの時の経験があったからこそだ

 

面接で落とされると

自分の能力ではなく

人格や、存在そのものを

否定されたように感じてしまう

それを短期間に何度も経験したら

どんな人でも心が折れてしまうだろう

娘たちの辛さを

自分でも感じることができたことは

少なくとも、大切な家族に対して

大きな過ちを犯さずに

すんだという意味で良かった

 

 

さらに、校長選考に臨んだ3年間に

何度も、集中して

自分が「校長だったら」と熟考したおかげで

逆に、

副校長として今自分が何をすべきなのか

ようやく理解できるようになった

そうして副校長としての職務が

うまくこなせるようになって

やっと少しずつ、

他者が私に校長を任せても良いと思える「何か」が

備わっていったのだと思う

 

 

校長職選考にパスした翌春

私は区内一の伝統校に

副校長のまま異動となった

 

私は、タイミングが毎回はずれの

年まわりにいるらしく

その時は、選考に受かっても

退職する校長が少ない年で

さらに2年、副校長を務めることとなった

 

新しい学校に移った時に仕えた校長は

かつて副校長仲間だった方だった

同じ歳だったが、副校長としては先輩で

私が副校長になったときに

いろいろ面倒を見てくれた

その校長の下

私は、常に自分が校長だったらと考えて

職務にあたった

 

違う学校に来てみれば

多くのことが異なり、

学ぶべきことがたくさんあった

伝統校の強みや

逆に伝統校ならではの悩み

地域との関係、

教育課題そのものも

それまで勤めていた学校とは

大きく違っていた

発達障害がどんなものかを知り

学級崩壊の現場に直面し

保護者との関係でも

長期間にわたり

本当に苦しい対応を

強いられたこともあった

 

そうしてとうとう、自分が校長として

一校を任されるときがきた

副校長になって7年の間に経験したこと

選考に不合格となったことや

新しい学校での大変な経験は

どれも、自分が校長としての資格を得るために

絶対的に必要なことだった

今ならそれが、よくわかる

 

 

副校長時代、常に自分が校長だったらと

考えてきたつもりだったが

実際に校長になってみたら

見える世界がまるで違っていた

常に重大な判断を迫られる

最高責任者の抱えている重圧は

すぐそばにいる副校長にも

わからないものだ

 

どうしよう?

どうすればいい?

 

毎日のように、判断を迫られ

それまでの経験をもとに瞬時に決断をする

そして、何度か大きなピンチを切り抜けてみて

ああ、自分には

知らぬ間に

正しい判断ができるようになっていると

気づいた時かあった

そうか、私はちゃんと選ばれた者

これまでの経験は、まだ見ぬ課題に

立ち向かうことのできる力になっている

自信なんてないが

自分を信じて

最善を尽くすことが

一校の多くの子供やその家族、地域

そして、教職員を任された

私の使命なのだ

 

 

私を合格させた人たちには

きっと、その「何か」が見えたのだろう

 

 (おしまい)