一次選考をパスした2名のうち

私が不合格となり、もう一人は合格となった


私ははじめから教員になるつもりで

民間企業への就職活動などは

一切したことがない

それでも

それまでに面接試験は

何度か受けたことがあったが

ほとんど合格で、

まともに挑戦した選考に

落とされたことはなかった


不合格となった時、がっかりしたが

もう一人はパスしたと聞いたときは

愕然とした

「なぜ、あいつが受かって

俺がダメだったのか?

副校長としての能力では

決してひけをとらないのに・・・」


その時は、本気でそんな風に憤りを感じた


それからの一年間は

意識の深いところに常に選考試験のことがあって

憂鬱な気分をずっと引きずっていた

もう一度、論文を書くことも

また知っている校長たちと

面接練習をしなければならないことも

どちらも憂鬱だった


一年後、再び選考の時期が来て

集中して論文を書き上げた

前年度とほぼ同じテーマで書いた論文は

前年同様一次選考をパスした


その年の論文の中に、

「教養」というキーワードを使った

それから5年ほど経ったら

日本中に教養ブームが起こったが

その時はまだ、「教養」という言葉を

使う者はほとんどいなかった

区の校長会の面接練習で

案の定、そこを指摘された

おそらく、校長たちには

その意味するところがわからなかったのだろう


ただ、悔しくも

私自身が、その時は「教養」を

うまく説明することができなかった

例え話で説明を試みたところ

それでは説明にならないと指摘された

(練習を担当してくれた校長の中に

私も尊敬している校長がいたが

彼だけは「私は、教養っていいと思う」と

言ってくれた)


2回目の面接は

会場に入った瞬間に、私に対する

ネガティブな空気が感じられた

面接官は、私には興味なさそうで

質問も、適当な感じがした

全く手応えを感じられないまま

面接が終わり、結果は不合格だった


仲間の中には、一年目に論文選考に

通らなかった副校長が

その年は二次もパスしていた

校長会でも、なぜ私がダメだったのか

理解できないという声も上がったが

2回目も不合格という事実を

私は受け入れなければならなかった


   (つづく)