校長になった年辺りから

教員の働き方改革が声高に叫ばれ始めた

二年目の春には

地域の町会を回って

教員の働き方改革について

自分を奮い立たせて、説明をした

教員は働きすぎていて

校長として

これ以上のことをやらせるわけにはいかない

土日の地域行事への参加は

強制できない

教員の一番大切な業務は

普段の学校での教育

過労死ラインを越えている現状を

ぜひ、ご理解いただきたい


地域の人たちの中には

露骨に不満を表す人も少なくなかった

「学校は地域に協力してくれというくせに

地域には顔を出せないなんて勝手だ」


確かに、昭和の時代には

公私が混同している教員も少なくなかった

地域行事への参加する先生はいい先生

しない先生は嫌な先生

そんなことも、平気で言われた

だから、教員には

顔を出しておくことが

結果的に自分を守ることにもなるから

できるだけ参加するように

などと言い続けてきた


そうして、無理して休日に出勤して

体やメンタルを病む教員が増えてきた

世の中が、「働き方改革」という意識を

持ってくれた今

なんとしても、事態を改善しなければならない

私は、かなり(?)強く決意した

多くの保護者は理解を示し

賛同してくれた



そして、教員にも

業務削減できることはやろう

と、本気で呼び掛けた

何事も、キャパシティは一定なので

スクラップ&ビルド、であるべきなのに

いつもいつもビルド&ビルドで

とうとう限界まで来てしまった

さあ、何を削る?


残念ながら

教員には、この問いに

答えることが

できなくなってしまっていた


 (続く)