二校目では学校の中心的な仕事をさせてもらった

しかし今思えば

その頃の私は

まだまだそのような資質能力は

ほとんど持ち合わせていなかった

 

一校目は、授業力をつけるために

周りに応援していただきながら

自分のことだけやれば良い環境の中で

精一杯勉強させてもらった

二校目は、授業の研究はほとんどできなかった

一校目で貯めた貯金を

使い果たすような6年間だった

その間に全国大会で発表させてもらったり

都の研究員などもさせてもらったりしたが

残念ながら、英語の研究に

没頭する時間と心の余裕はなかった

 

その代わり、生活指導や生徒会活動については

めちゃくちゃ好き放題に

試させてもらうことができた

それは一校目ではできなかったことで

私にとって初めての経験だった

 

 

体当たりで生活指導主任を務め

荒れが収まった頃に転任してきた教員から

この学校の生活指導の方針は?と聞かれたとき

私は全く答えられなかった

あの頃は確かに

現状を何とかする対処療法ばかりで

未然防止などの生活指導的戦略は何もなかった

私は「主任」というものが

何をするべき存在なのか、全く知らなかった

よく、みんな我慢していてくれたものだ

 

組織的に、という考え方は

まだそれほど浸透していなかった

 

しかし少なくとも

みんなの気持ちをつなぐ

いろいろなアイディアは出せたのではないかと思う

あの学校の特色は

今なら誰もが目指している

ダイバーシティとインクルーシブ教育だった

私はそれを「共生と感動」と名付けた

 

障がいのある人、(まだ)ない人

不良や非行少年たち…

仲間の先生たちと

目の前の生徒のことを思い浮かべながら

「普通な生徒なんて、一人もいない!」と

確認しあった

みんな、一人一人が特別な存在で

「普通」などという言葉でくくれる

「その他大勢」などでは決してなかった

私たちが、一人一人を大切に思ったことが

生徒たちに伝わったからこそ

あの学校は変わったのだと思う

 

残念ながら、希望する生徒が減り

統廃合されることになってしまったが

学校のことをよく知っている人たちは

どんな噂が立っていたって

私たちのことを信じて、

熱烈なエールを送り続けてくれた

 

 

たくさんのことを学ばせてもらった

最初の二校のことについては

まだまだ語り尽くせぬ思いでいっぱいだが

この辺りでひとまず

この話を終えよう

 

過去を思い出しながら

自分の現在の「根源」を探ってきた

そして、確かに

過去の一つ一つの経験が

今の私を形作っていることがわかった

そして、「根源」は

全くぶれていなかったことが

確認できた

 

 

 

ここまで、お付き合いくださった皆様に

感謝しております

ありがとうございました