異動して激動の一年が終わろうとしていた

学年主任は、自分の居場所が無くなってきたことを察知したのか

異動希望を出していたらしい

代わりは、C組の担任だったH 先生だった


最後まで学校とわかり合えなかった3年生が卒業し

いよいよ私の担当していた学年が

最上級生になろうとしていた


ある時、校長に校長室にくるように呼ばれた

何かと思ったら

来年度、生活指導主任をやってほしい、という話だった


中学校の生活指導主任というのは

常識的に言えば、体育会系で体に自信があって 

格闘技系の経験があるような

所謂、武闘派の教員がやるものだった


私はその正反対のような教員だった


私を応援してくれている

組合員の分会長が

「こんな人にやらせたら、死んでしまうからダメだ」

と校長に抗議してくれたが

「もし、引き受けるのなら、全力で支援する」と

約束してくれた


その時の生活指導主任は体育の教員で

柔道の達人だった

そして、その時の校長とは

前の学校にいたときからの犬猿の仲で 

校長は先に異動させた後に

自分が追いかけてその学校にきてしまっていた 

はじめの頃の職員会議で

いきなり怒鳴りあいの喧嘩が始まり

周りの職員は皆、唖然とさせられたことがあった


そして、仕事が嫌いな人で

朝学校に来るなり「ああ、帰りてー」と言うのが

口癖だった

実際、夕方も「んじやっ!」と言って

早々と帰るが、決まってその数分後に

近隣から電話がかかってきて

みんなで出動!ということが多かった

生活指導主任としても

「おい、こら!」以外のことをしているのは

見たこともなかった


校長が、その教員に任せるくらいだったら

「私たちの望むものは○○学校を殺すことなのだ」

と公言し、保護者にも

「今のままの学校なら、自分の子供は

絶対に来させません」と言ってしまう

私の方がマシだと判断したのだろう


ちょうど自分の学年が最上級になるタイミング

あの生徒たちとならやれる 

私にはそんな漠然とした自信があった

一つ下の学年は

分会長が学年主任で

元不良先生が担任で

新しい教務主任もいる学年で

それまでの先輩後輩関係を断ち切り

生徒の自治をうまく活性化させ

落ち着いた学校生活をしていた


私は、生活指導主任を引き受けることにした