今日、とてもショックなことがあった

 

教員になって、二人目の上司が

理科の先生で、植物学者だった

持病もあったようで、ちょっと変わったところがあった

 

その校長との1年目の終わり

面談をしていたら、私の名前を憶えていないことが分かった

今にして思えば、多分、度忘れだったのだと思う

今の自分には、十分心当たりのあることだ

 

ただ、その頃は、校長が部下の名前を憶えていないのは

とてもショックだった

その校長のことは、信用できなくなった

 

 

今日、この3月で離任する教職員の紹介をした

子どもたちに紹介するとき

名前を間違えてしまった

紹介するとき、漢字の名前を見て

あれ、どっちだったっけかな?と迷ったが

結局、違う方を言ってしまった

 

夕方、本人から言われるまで気づかなかった

「校長先生は、3年間私のことを〇〇と思っていたんですね」と

冗談めかして言っていた

 

 

さらに、その時、彼は生年月日も言っていた

 

なぜ〇月○日生まれの、と自己紹介したのだろうと

誰もが思った

 

夜の会で、その話題になり

何と、私は、彼の誕生日を2年間気づかずに過ごしてしまった

 

彼は、年度の途中に着任した

その年の夏休みまでは

次から次への悪いことが起こり

教職員が、バタバタと倒れていった

本気で2週間ほど休校にしようか

お祓いをしてもらおうかと思ったほどだった

その時、事態を打開するように来てくれた

二人の職員の誕生日を

確認して、年間スケジュール帳に記載するのを

忘れてしまった

予定表になかったので、ないということに気づかなかった

 

 

これは言い訳で

どんなに言い訳をしたところで

私が、その人たちのことを

心から思っていなかったということの

証拠に過ぎない

 

 

以前、ヨーロッパでできた友達の

誕生日を忘れてしまって

絶好になりそうになるほどの事態になったことがある

それ以来、誕生日については

常に最新の注意を払ってきた

 

校長になってからは特に

職員の誕生日には、ちょっとお祝いをと思って

絶対に忘れないようにしようと

予定表の一番初めに記載する事項だった

そして、常に見落としていないか

書き忘れていないか、心配を抱えていた

 

 

やはり、書き忘れがあったのだ

 

彼は、私があの校長を信用しなかったように

私のことを信用しなかっただろう

本当にすまないことをしてしまった

 

忘れるくらいなら

初めからそんなことしなければいい、という考え方もある

しかし、それは敗者の論理だ

 

 

本当に、自分に対して情けない

自分が情けない