私は1校目でとても良い経験をしていたので

新しい学校のやり方にはなかなか馴染めなかった

しかし、目の前にいる生徒たちのことは

1校目も2校目もなかった


この学校の難しいところは

教員の仲が悪いところだった

特に、女性のベテランの中に癖の強いのがいて

若手がいじめられるのが常態化していたらしい

かなり子どもじみたいじめや嫌がらせも

普通に行われていたそうだ

誰もその人と同じ学年になりたくないため

その学年を担当するものがいなかったようで

よそからきた私と、特別個性的な男性教員が担任になった


私を受け入れてくれたのは

組合の人たちで、その学校で

真剣に子どもたちに向き合おうとしているのは 

その教員たちや時間講師の教員が中心だった

組合員の教員は大部分が

特別支援学級の教員だった


ある時、信じがたい話があった

3年生が修学旅行から帰ってきて聞いた話

その頃台東区の学校は、上野発の東北新幹線を使って

函館に修学旅行を行う学校があった


その数年前にその学校では

革新的な改革を進めていた校長が

体罰事件で、マスコミに叩かれ

途中で交代するという事件があった

「なぜ生徒を殴れないのか?」という本の

著者でもあったその校長は

大物代議士の後ろ楯を得て

普通の公立校ではなかなかできないような

改革を進めていたそうだ

特に、不登校をなくす取組で

NHK が長期取材に入っていて

学校には、始終カメラが回っていた時期もあった

著書のタイトルの通り、力で制圧するスタイルは

徹底していて

朝礼や避難訓練の時などに自分が話しているとき

生徒がおしゃべりなどしていれば

朝礼台から降りて行って

持っていたヘルメットで生徒の頭を殴るなど

平気でしたそうだ

生徒たちは理不尽な扱いに不満を抱きながらも

怯えていたことだろう

ある日、悪さをした生徒を校長室に呼び

暴力をふるった

どうやら生徒の股間を思いっきり蹴りあげたようで

生徒が気絶してしまい

救急車を要請するはめになった

その頃は、学校ネタはニュースになりやすく

すぐにスポーツ紙が嗅ぎ付け

表沙汰になってしまった

校長は、都研送り(問題教員の研修施設)になり

代わりに別の校長が着任した

それまで徹底的に力で押さえつけられていた

生徒たちは、一斉に暴徒化し

教員にはどうすることもできなくなってしまった


その時の3年生は、その影響を強く受けた

生徒たちだった


体つきも立派で、180近い生徒がゴロゴロいた

ほとんど後先の事など考えられない

キレた連中がたくさんいた

その生徒たちが、修学旅行の帰りの新幹線のなかで

注意をした若手の教員を監禁し

数時間にわたり吊し上げにしたそうだ

新たにその学年に入った女性の教員と

産休代替の体育の女性が何とかやめさせようとしたが

定年間近な学年主任、中堅の教員

そして、校長は見て見ぬふりをしていたそうだ


「許せねー! 教員の仁義に反する!」

元学生運動の経験のある組合員たちが

怒りを爆発させていた


私たちも、まったく同じ気持ちだった