足立がスタートで6年
台東に移って15年、うち3年はドイツに派遣され
中学校の教師を終え
そのまま台東で
小学校の副校長を7年
そうしてとうとう墨田に来て
早6年目が終わろうとしている
 
墨田に来た当初は
様々な試練にも見舞われ
訓告処分を受けたりして
数年間、教育委員会からの評価は最低だった
着任した副校長が病気になれば
監督者である校長のせいだと言われ責められた
コロナの始まった頃には
混乱の中、意図が理解されず
保護者から相談を受けた議員が
教育委員会にもの申し
事務係長から「公立の校長は辞めろ!」とまで言われた
その後世間を騒がせた咎で
口頭注意処分を受けた
墨田では正当な評価はされないのだなと
諦め、外に出してほしいと伝えた
しかし、その希望は叶わず 
そのまま同じ学校に残されている
 
教育長からは会うたびに
地域から全く悪いことを聞かない
これは滅多にないことだ
と言われてきた
確かに、地域や保護者との関係は
至極良好で、仲良くさせていただいている
 
そうこうするうちに
知らぬ間に、経験年数がかさみ
区内の校長会の代表を勤めることにもなった
大役を引き受けるに当たり
地域で世話になっている方に相談すると
適任だ、ぜひ引き受けろと言っていただけた
そう、自分の役割は
自分の名誉などではなく
応援してくださる方々の誇りなのだ
 
昨年末、教育委員会の指導室長から
東京都教育委員会の優秀教員表彰に
ノミネートされたと聞いた
教育委員会から嫌われていると思っていたので
区教委が私を推薦したというのは
意外な気がしたが
やっと理解されたのかと思うと
感慨深いものがあった
そして、この栄誉も
学校の子供たち、その保護者
地域の応援してくださる方々
ならびに教職員のみんなのものなのだ
私はそういうたくさんの素晴らしい人たちを
代表して、表彰を受けることにした
 
都庁第一庁舎で行われた表彰式に参列した
東京都の小学校、中学校、高等学校の教職員の
70~80名が表彰された
そのうち小学校の管理職は21名だった
たまたま、最後に副校長を勤めた学校の校長と
隣の席になった
 
東京都教育委員会浜教育長が
それぞれのカテゴリーの代表者に
表彰状を手渡していった
式は一時間余りで終わり
そのあと、校種毎に記念撮影を行った
最後に、表彰状をいただいて都庁を後にした
 

 

PTA 会長さんに連絡すると

我が事のように、とても喜んでくださった

表彰されたことそのものは大したことないが

そうやって、周りの皆さんが喜んでくれるのは

心から嬉しく思う

皆さんのおかげです

ありがとうございました

 

 

《追伸》

これを書きながら、10時ころに帰宅すると

娘たちが「おめでとう!」と言ってくれた

そうだ、うっかり忘れていた

今日まで元気に仕事ができたのは

妻のおかげ、家族のおかげだ

陰ながら私を支え

私自身の原動力になっているのは

愛する家族だということを

忘れては罰が当たる

本当に、今までありがとう