年が明けて、いよいよ今年度の総括と

来年度へ向けての計画立案がスタートした

幹部や何人かの主任たちと話して

今年度の反省をした

ここ数年、主任の働きが鈍っていて

当然進んでいることが、進んでいないということが

本当に多くなってきてやきもきさせられる

ここ一、二年は、特にそれが顕著に感じられる

それぞれの分掌の長である主任が

主体的に動くことが、全くと言っていいほど

見られない

それとなくアドバイスをしても

その姿勢に変化はない

すべて、こちらが指示を出さないとならなくなる

すると、主任は主任でなくなり

やらされている感が強くなり

仕事にやりがいを見いだせず

疲弊していく

 

誰のせいだ?

犯人探しをしていけば

最後は必ず自分のところにたどり着く

主任がうまく動かないのは

主任の監督者である主幹のせい?

主幹が適正な動きができないのは

主幹の監督者である副校長のせい?

そして、副校長が思ったように動かないのは

副校長の監督者である自分のせいなのだ

 

それにしても、動きが悪すぎる

言ってもなかなか変わらないのはなぜなんだろう?

人材育成は、組織の一番難しい所であり

経営の要でもある

 

昨日の主任会では

今年うまくいったところと

うまくいかなかった点を

率直に洗い出させてみた

初め、分掌組織に問題がある、という意見が優勢だった

そこで、どうしたら改善されるの?と問うと

こうなったら良いという話になってきた

しばらく堂々巡りをしてたどり着いたのは

結局、最初に私が考えていた通りの形だった

うまくいかなかったのは、何の、誰のせい?

一人ひとりが改めて問い直したところ

それは正に自分たちのせいだったと

ようやく気づいてくれた

立案・推進しなければならなかったのは

自分たちだったのだ、と

 

すると、自分たちが考えるには

何をすれば良いのか、さっぱりわからなかった

他にやることが多すぎた、と言い出した

じゃあ、どうすればいいの?と問うと

初めて当事者意識で考え出してくれた

 

一年経って、ようやく私がイメージしていたことが

理解できるようになってくれたのだ

私の中では、本当に遅々として進まないと

心底悩んでいたけれど

表に見えないところで

確実に、成長はしていたのだ

 

今年一年は、とにかくやってみる

具体的に動いてみて、うまくいかないところを

修正しながら前進する

失敗したってかまわない

はじめから完璧な計画など立てている余裕はないのだ

今のコンピューターのOSやアプリが

細かい修正を重ねながら

日々アップデートされるように

まず、ぼんやりした仮説でもいいから

やってみて、修正する

「アップデート」するというやり方を目指してきた

 

その意味で、今見えてきた反省点というのは

宝物のようなもので

これから改革を成し遂げるための

大変重要なデータとなっているのだ

とても苦しい一年だったが

やり続けてきて良かった

 

昨日は、主任たちがぼんやりとでも

自分たちの職務が何かに気づいてくれた

貴重な日となった

嬉しい日になった

 

 

今日は、朝の幹部会でその話をして

一日がスタートしたが

夕方には、うまくいっていなかったところが

また明らかになった

退勤しようと支度していたところへ

期限の迫る仕事を、今、急に振られた幹部が

こんなスケジュールではできません、と

パニックになって、飛び込んできた

 

確かに、担当の主任が

12月中に終わってなければならなかったことが

私が今日確認するまで用意していなかったため

余裕が全くない状態になっていたのだ

しかし、自分たちの中だけでなく

外部に提示する資料の作成なのでリミットはある

何とか目処を立てたあと

どうしたら、主任が

主任の仕事をしてもらえるようになるかな、と尋ねてみた

「自分たち主幹が進捗状況の確認を‥‥」

と言うので、もちろんそうできればありがたいけど

ここ数年、本当にうまくいかなくなってきているのは

どうしてだと思う?と言って考えてもらった

 

幹部との話を終えた後、副校長と少し話をした

主任がうまく動けない

すべての責任は我々にある、と

副校長は、その通りだと、ちょっと辛そうに言った

 

 

そこで、「でも、ここ数年なんだよなあ

コロナ前はこんなことはなかったんだよ」

というと、副校長は

「今の倍以上の仕事をこなしていたんですけどね」

と言った

 

その通りだ

コロナ前は、何か一つやるにしても

今の倍くらいのボリュームでやっていた

その状況を知っているのは、全職員の半分もいない

コロナになってから教員になったもの

本校に異動してきたものが9割近くいるのだ

 

それまでは、毎年行われる行事は

基本的な計画がほとんど変わらなかったので、

ルーティンのような働き方で

いつになったら何をする、というのが

教員の間に染みついていた

それが、コロナで一度完全にリセットされ

0から計画を立案することが増えた

それも、誰も経験したことのないような

特別なやり方ばかりで

誰も自信をもって

自分がやります、と言えなかった

それで、私たちごく一部が「リーダーシップを発揮して」

いろいろと進めてきた

 

教員というのは、「子どもに教えること」が自分の職務だと思っている

当然である

しかし、子どもに教える場を安定的に運営するには

教室で教えているだけの仕事をすればいいわけではない

初めのうちは、授業力を磨くことに専念してほしいところだが

実際は、学校を動かしていくための仕事は

一般の人には想像もつかないくらい多岐にわたる

コロナで学校が一斉休校になったとき

社会がストップしてしまった

学校が担っていた役割は、私たちでさえ

思いもしなかったくらいの影響力を持っていたのだ

 

自分も、若いころは

大事な仕事はすべて先輩たちがやってくれていて

自分は大したことはできなかった

その当時は、自分より年長の教員がたくさんいて

職人肌の教員がとても多かった

それぞれのやり方にこだわりを持っていて

経験に裏打ちされた、緻密な計算ができた

そういう人たちは、誰かに言われて動くのではなく

自分たちで考えて、先に先にと動いていた

中学校だったから、余計に

学年単位で動くことが多く

学校全体で何かを作り上げていくということは

あまりなかった

その結果、管理職が何かを指示してやらされることは

ほとんどなかった

 

2校目になって、自分がいろいろな役がついてくると

それまで自分が自分のために使っていた時間は

ほとんどなくなってしまった

授業の準備をすることができなくなったのが

一番つらかった

それでも、誰かがやらなければならない仕事を

自分が担当すれば、やらないわけにはいかなかった

 

そうやって、長になってみると

それまで、甘えていた働き方が

いかに組織に迷惑をかけていたのかがわかるようになった

期限を守ること

相手のことを考えた仕事をすること

そういうことが少しずつ分かるようになってきた

 

今、学校は

まったく状況が変わってしまっていて

経験10年ともなれば、要の仕事を任されることになる

経験をもっている教員がごくわずかになり

若手が、目標にしたり、まねしたりする対象がいなくなっている

なぜ、こんなやり方をするのか

その裏の裏までわかって、解説することができる人が

ほとんどいない

「背中を見て」学ぶことができないのだ

 

コロナでリセットされたのは

これまで、誰も経験のないことだった

そこで、思考が停止してしまった教員がいたとしても

おかしなことではないのかもしれない

 

教えること以外に

自分が担当した仕事をするのは

自分の職務であることを理解していない

教えること以外は、

誰かが指示してくれるものと勘違いしている

その担当の仕事は

教職員としての、教えることとは別の

「プロ」の仕事の部分であって

我々が給料をもらっているのは

その仕事を、自分で主体的にできるからだ

ほとんどの計画は、前例がある

マニュアルもある

それを見て、自分の頭で考えてみて

わからないところは、わかる先輩に聞いてみる

そういう、基本的な姿勢が

全くと言っていいほど身についていないのだ

これは、コロナ禍を潜り抜けて

大変顕著になってきている

 

「何をしたらいいのかわからなかったので

この1年何もできませんでした」

「自分が関わらないと、若手は何もできないので

結局自分がやっていました」

「彼らに任せるわけにはいきません」

主任たちは、そんなことを言っていた

主任のやる仕事と

チームの担当がやる仕事の違いが

わからないのだ

 

もちろん、主任も大いに手伝ってあげてもいい

しかし、自分は

彼らと同じ土俵で仕事をしていてはいけない

先を見て、目的からそれていないか確認して

そして、どんどん担当に任せていく

 

今、コロナが終わり、

新たな学校づくりが始まった

主任クラスの年代が

初任クラスと同じ段階で

何をすればいいのか、考えられなくなっている

 

いくらビジョンを示しても

そして、それを一通り理解はできても

一歩を踏み出す勇気がない

 

これは、嘆いているばかりでは解決しない

 

そこで、最後に

副校長と話した

「なんだかバカみたいなことかもしれないけれど

『働く』ってどういうことかを

主任たちに教えてあげないといけないのかもしれない」

 

確かに、教員は

そういうことをほとんど教わる機会がないのだ

自分で、先輩を見て学べ、というのは

もはや通用しない

それならば、若手へのOJTではなく

主任層へのOJTが、今、最優先事項なのではないか

 

来年度、副校長を中心に

主任層の研修を充実させていきたい

副校長も、やってみます!

と、力強く頷いていた

 

 

 

私の師が

今年の抱負を話している中で

こんなことを言っていた

"Do what is necessary.

Do what is possible."

「必要なことからやりなさい

できることからやりなさい」

そうすれば、できないと思っていたことも

可能になる