番組でも紹介されていた

鴨長明の方丈記の冒頭


ゆく川の流れは絶えずして

しかももとの水にあらず

淀みに浮かぶ泡沫は

かつ消えかつ結びて

久しく留まりたるためしなし

世の中の人と住みかと

またかくの如し


平家物語の冒頭 


祇園精舎の鐘の音

諸行無常の響きあり


こういうことは、おそらく日本人なら

誰でも知っているのではないかと思う


すべてのものは、実体のない

常に変化し続ける

プロセスの存在である



今回、番組を見て

そんな私が衝撃を受けたのは

「私」という存在そのものが

実体のないプロセスの存在だという現実の発見だ



私の「外側」にあるものは

無常であるということは、ずっと前から

知っていた

実体がないということは

極めて不確かな存在である

本当に「私」というものはあるのだろうか?

高性能カメラで何万分の一秒という

一瞬を切り取ることはできたとしても

それは私たちにはわからない程度に

被写体ボケしている画像に過ぎない



今朝、信号待ちしていた大通りで

通りすぎるバスの窓に映った自分の姿を見た

それは一瞬のことだったが、

はっきりとした存在に見えた


心が、脳の気づきの

大意的連鎖を形成していくプロセスだとしたら

私は脳が生み出した幻想のようなもの

バスの窓に映った私でしかない、ということになる


実体としての「私」は

存在しない


それは、本当か?