紅葉するカエデは、この上なく美しいが

この季節の、新緑のカエデもとても美しい

 

新しい一年が始まり、このところずっと

この一年で目指すべきゴールを考えている

まだ、ビジョンが明確になってはいないが

一つだけはっきりしているのは

今年は「主体性」をテーマにしようということだ

いや、主体性というより、「主体的に在る」

英語では "being proactive" だ

 

こんなことを考え続けているが

今週初め、NHKで放映された

「映像の世紀 バタフライエフェクト

ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生」は大変素晴らしい企画だった

 

昨年退任したドイツ前首相アンゲラ・メルケルは

旧東ドイツの出身だ(生まれは西ドイツだそうだ)

戦後東西に分断されたドイツ

特に、ソ連が支配していた東ドイツは

思想が統制され、自由を奪われた生活を強いられていた

西側へ行くのは命がけで、

たくさんの悲しい事件が起こっていた

 

そんな東ドイツで、

自由を求めて抵抗をはじめた二人の女性

歌手のニナ・ハーゲンと

画家のカトリン・ハッテンハウワー(当時学生)、そして

物理学者メルケルがドイツ統一の立役者となり

初の女性首相誕生となる秘話だった

 

映像は1974年 東ドイツで大ヒットした

ニナ・ハーゲンの「カラーフィルムを忘れたのね」から始まった

当時東ドイツ国民の二人に一人が歌えるとまで言われた歌だ

東ドイツの生活が、色のないモノクロームの世界だというメッセージを

みんな理解した

 

続いて、外国を見てみたい、自由に旅行がしたいと願っていた

一人の学生カトリン・ハッテンハウワー

1989年は東ドイツ建国40周年の年だった

その年の9月4日月曜日 ライプツィヒ ニコライ教会では

いつものごとく礼拝が行われていた

カトリンらは、礼拝終了後、

「自由な人々による開かれた国」と書かれた横断幕を持ってデモを行った

当局はデモをただちに力で粉砕し、プラカードなどは没収され焼き払われた

しかし、翌日、この時の様子をフランスのニュース番組が取り上げ放送

フランスの放送局も東ドイツでみることができたため

カトリンの起こしたデモを東ドイツ中の国民が知るところとなった

カトリンらの行動は、それまで沈黙を強いられてきた人たちを勇気づけた

デモは瞬く間に国中に広がり、「月曜デモ」と呼ばれるようになった

一月後には、通りを埋め尽くした人は7万人になった

 

1989年11月9日 党中央委員会では、国民の不満をやわらげようと

「ビザを申請すれば、誰でも国外旅行が許可される」という法案が討議されていた

午後6時、恒例の東ドイツ政府定例記者会見が行われた

会見には西側の記者もいた

党中央委員会政治局員ギュンター・シャボウスキーが

毎度のごとく、委員会の決定事項などを読み上げていく

退屈な時間が過ぎていった

会見終了7分前、イタリアの通信社が旅行法について質問

なんと、シャボウスキーは旅行法について報告するのを忘れていたのだ

慌てたシャボウスキーは「国外へ自由に旅行することができる」という内容を読み上げた

これを聞いた記者たちは大騒ぎになる

シャボウスキーはさらに、歴史を動かす失言をしてしまう

この法案はいつから発効となるのかという質問に、

私の知る限り「直ちに発効」と言ってしまった

予定では翌日から発効することになっていたし、ビザが必要なことも伝え忘れていた

この話は速報としてメディアで伝えられた

 

午後8時35分 東ドイツ・ボルンホルム検問所には

西ベルリンに出国しようという市民が集まり始めていた

検問所責任者のハラルド・イェーガーは食事中にニュースを見て

慌てて検問所へかけつけた

何も知らされていなかったイェーガーは上官に電話するが

指示は得られなかった

 

9時には検問所に押し寄せた数は数万人に達した

イェーガーは、このままでは検問所側の誰かが銃を発砲してしまうことを恐れた

それでイェーガーは独断で門を開けることにした

「もうたくさんだ! これからは自分で判断しよう」

そう思ったという

 

11時半、ボルンホルム検問所のゲートが開かれた

カトリンもそこにいた

ダムが決壊したように西側に流れていく人の流れに乗って西ベルリンに行った

その日はカトリンの21才の誕生日だった

そして、そこには物理学者メルケルもいた

 

こうしてベルリンの壁は崩壊したのだった

 

その後、政治家になることを決意したメルケルは

東ドイツで小さな政党に所属し、東ドイツ政府の代表の一人として

東西ドイツの統一に尽力する

 

1990年10月3日、ドイツ41年ぶりに統一

その翌年、メルケルは最年少国会議員に選ばれる

2005年CDUの党首となり、選挙を経て

それまで与党だったシュレーダー首相率いるSPDとの連立政権で首相となる

それから16年の任期中、民主主義を守り抜くリーダーシップを発揮した

 

そんなメルケル最大のピンチは2015年に訪れた

ドイツは中東やアフリカからの難民を引き受ける決断をした

そうしてそれから1年間に百万の難民を受け入れた

これが、旧東ドイツの人々に反発を食らうことになった

難民に職を奪われるという恐れからだった

 

最後はコロナ対応で見事なリーダーシップを発揮したことは

まだ記憶に新しい

そして、昨年、首相を退任することになった

 

退任式典で演奏される曲に何がいいかとリクエストされたとき

メルケルが選んだのは、

47年前ニナ・ハーゲンが歌った「カラーフィルムを忘れたのね」だった

それは、東ドイツの奪われた自由を

自らの手で勝ち取っていった歴史のスタートとなる歌だったからだ

 

NHKの入手した映像で紡ぎ出された至極のドキュメンタリーだった

 

 

さて、この番組で私が一番感銘を受けたのが

ボルフホルム検問所の責任者だったイエーガーだった

かれは、東ドイツの当局側の人間だった

市民を取り締まる側の人間だった

しかし、彼自身には何の決定権もなく、ただ検問で人を留め置く仕事をしていた

混乱の中で、上官に指示を仰ぐも、上官も何も答えられない状況

そこで彼は、「もうたくさんだ!」と思った

今にも流血の惨事につながりそうな、パニックの寸前の極限の中で

彼は「自分で判断することにした」

そして、検問所の門を開かせ

人が西側へ出て行くことを黙認したのだ

これが、歴史的な「ベルリンの壁崩壊」そのものであるとは知らずに

 

 

ドイツ人は、第二次世界大戦中にナチス党に従って大きな過ちを犯した

ユダヤ人を大量虐殺した時、誰も自分で考えようとはしなかったという

自分はただ命令されたことを実行しているに過ぎないと

 

自ら学び、考え、行動することができたら

きっと、今やっていることは何かおかしいと言うことに気付き

加害者となることを拒否することができただろう

(それは、自分の命を犠牲にすることであっただろうが)

 

今、ウクライナにロシアが侵攻しているが

民間人がたくさん犠牲になっているという

真偽はわからないのだが

ロシア兵も、初めは戦争が始まるとは知らなかったという


たとえ兵士だとしても

上からの命令は絶対だとしても

丸腰の民間人に銃を向けたとき

自ら学び、考え、行動したとしたら

そのまま、引き金を引くだろうか?

 

自分で判断する、というのは

時に命がけのことだが

私は、命をかける価値のある行為だと思っている