メガネのササガワ店長ブログ

メガネのササガワ店長ブログ

東京都北区十条で快適なメガネ生活をご提案するSS級認定眼鏡士メガネのササガワ店長です。
両眼視機能検査・フィッティング・似合うメガネにこだわり、見た目も見え方も満足いただける眼鏡屋を目指しています。
眼鏡を通して笑顔に…お気軽にご相談ください。

9月お休み(毎週火曜日)

1日・8日・15日・22日・29日
営業時間10時~19時

 掛け心地・見え心地・似合うメガネを考えるメガネ屋
ホームページ もご覧くださいね

MORE~快適眼鏡研究会 参加店

快適なメガネ生活をご提案する

メガネのササガワ(東京北区十条)店長です。

大正6年(1917年)中学を卒業と同時に東京の時計店に

丁稚奉公に入った祖父は、その後

大正13年7月(1924年)自店を開業する前年の

大正12年(1923年)までの約6年間に東京新宿→新潟高田→大阪→四国伊予と

4カ所を渡り歩いています。何故?そうしたのか今となっては知る由もありません。

ここからは想像ですが、

昔は「技術は目で見て盗め」という時代だったらしいのですが、

祖父はそんな悠長なことは言ってられるか!

人に使われるのは真っ平!早く一国一城の主になりたい!

一か所にずーといるのは性に合わない!

そんな感じだったのではないかと・・・(小さい時に耳にタコなくらいに聞かされた)

そんな祖父の16歳から22歳の多感な時期の

大正とはどんな時代だったのでしょうか?

(ほぼウイッキしてみた)

(大正天皇)

世界では第一次世界大戦があり、各地で革命や独立運動がおきて、

帝国の終焉と共和国の誕生。そして社会主義、共産主義の台頭、

国際連盟の設立など国や政治の在り方も大きく変化し始めた時期で

国内でも大正デモクラシーや大正ロマン、大正モダンという言葉で代表されるように

政治、社会、文化も民本主義や自由主義で変化や新しいさをもとめた時代だったようです。

 

明治後期に大きく発展した産業、交通、教育、貿易、国防とともに、

都市化が進み衣食住文化も影響を受けたようです。

読売、朝日、毎日の三大新聞の基礎が出来、

ラジオ放送が始まったのもこの時期です。

昭和を代表するビッグメーカー、トヨタ、パナソニック、日立、三菱もこの時期に産声を上げています。

メガネ業界では、日本光学工業(現 ニコン)が設立されました。

しかし発展ばかりではなく、社会的矛盾も深まったり、

スペイン風邪の感染爆発や戦後恐慌そして関東大震災などもあり、

負の部分もあった強烈な時代だったのではないでしょうか。

そんな時代に丁稚奉公し、新しい風にのって? 6~7年で創業した祖父は、

翌年の大正14年(1924年)には、長野出身の祖母と結婚しています。

見合いでもなく恋愛でもなく、親同士が決めて?

あとは駅まで迎えに行って、そのまま新しい生活が始まる・・・

不確かですが、そんな話を聞いた記憶があります。

そしてさらに激動の昭和へと船出したのでした。

ではまた・・・店長

(タイムスリップ1924)はこちら

(タイムスリップ1902はこちら)

 

快適なメガネ生活を考える

メガネのササガワ(東京北区十条)店長です。

80歳代 男性 U様にお選び頂いたのは

ファッシノリベレ(オールアセテート枠)と

ソリッドブルー(ブロウ枠)

ファッシノリベレには、軽くて割れにくいプラスチックレンズ(カラーン濃度50%)

ソリッドブルーには、キズが付きにくいガラスレンズ(カラー濃度25%)

今までお掛けになっていたタイプとも異なり

全く違うタイプのメガネをそれぞれ楽しんで頂く事になりました。

ありがとうございます!

ではまた・・・店長

快適なメガネ生活を考える

メガネのササガワ(東京北区十条)店長です。

近所の花屋さんにお勤めのY様にお選び頂きました。

グリーンエスプレンドール

レンズは、ニコンの調光スタイルカラーエメラルドグリーン

美しいグリーン系グレイ調光レンズです。

夏は過ぎましたが、眩しさは一年中続きます。

掛けてお洒落、使って便利な調光レンズは

一年を通しておススメのアイテムです。

ではまた・・・店長

 

快適なメガネ生活をご提案する

メガネのササガワ(東京北区十条)店長です。

大正13年(1924年)創業の当店ですが

なぜ祖父は時計職人になったのでしょうか?

明治35年(1902年)新潟県高田市(現、上越市)の三男として生まれた祖父。

国内有数の豪雪地帯であり、祖父はたいそう辟易したようです。

大正6年(1917年)中学を卒業するとすぐ東京に出て、時計店の丁稚奉公として

働き始めます。おそらくその時すでに、将来自分のお店を持つという願望があったと思います。

(昭和20年代後半か30年代初めころの当店店頭)

当時の時計業をざっくりと調べてみました。(SEIKOミュージアム銀座参照

明治5年(1872年)に改暦にともない時分秒の定時法が採用。

そして明治は欧米列強に負けじと近代化が進んだ時代でした。

時計業界も、明治14年(1881年)に服部時計店(現、セイコー)が開業、

明治25年(1892年)に精工舎(服部時計店の製造工場)が

掛け時計の製造を始めます。

日清戦争(1894年)と日露戦争(1904年)の間には、

懐中時計や目覚まし時計の製造(パーツは輸入?)も始めています。

明治42年(1909年)に国産懐中時計、

大正2年(1913年)に国産腕時計の製造が始まったようです。

まさに祖父の小学生から中学生時代に国産の時計技術が進化していくのを

目の当たりにしているのです。当時の最先端技術で作られた時計を

どこかの時計店のショーウインドウ越しに眺めていたかもしれません。

当時の腕時計の価格は9.5円~29.5円ぐらいらしいです。

当時の新聞の価格と現在の価格から想像すると

現在の価格で4万円~12万円ぐらいでしょうか?

現在とそんなに変わらないようにも感じますが

当時の年収333円なので、腕時計が年収の35分に1とか11分の1と考えると

かなり高価のものだと想像できます。

明治の中頃から時計の需要が急増したようですが、

腕時計などまだまだ一般庶民には手の届かないもので、

掛け時計がその大半を占めていたようです。

そして当時の時計は高価な割に故障も多く、修理して一生大事に使うのが当たり前でしたので

時計業=時計修理職人であったと思われます。

「学校の勉強なんか出来なくても技術さえ持っていれば食べていける」と

祖父は考えていたと想像できます。っていうか生前よく言われました。

メガネ業界的に大きな出来事としては

明治38年(1905年)に増永五左エ門が大阪より眼鏡職人を招き、

福井市で眼鏡枠づくりを初めています。

近代化とともに時計やメガネも輸入品から国産品へ、

高級品から一般品へとという時代だったのではないでしょうか。

ではまた・・・店長

(タイムスリップ1924)はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

快適なメガネ生活をご提案する

メガネのササガワ(東京北区十条)店長です。

弟様のご紹介でご来店頂きましたお兄様には、

ハスキーノイズのアンダーリムをお選び頂きました。

女性ターゲットの品番ですが、まったく問題なく似合っております。

初めてのメガネで、アンダーリムを選ばれる方は少ないと思いますが

とても自然に掛けて頂けました。ありがとうございました。

さて久しぶりに自分で自分の目を検査してみました。

少し遠視が進んでいるようです。

お客様と同様、仮枠で最終チェックをするのですが・・・・

仮枠ってこんなに重たかったっけ?

鼻が痛い!ずーと掛けてるのが辛い!

いつもお客様に、試して頂いているので

申し訳ない気持ちがありますが、

絶対に外せない検査です!

仮枠製造業者様、さらなる進化を期待します。

特に鼻に当たるパッドの素材とかなんとかならないかな?

それ以上に問題なのは、実はレンズの重さです。

ガラス素材に金属枠、左右で8枚にもなるとメチャ重いです!

レンズがプラスチックになればだいぶ軽減されるんじゃないでしょうか。

キズの問題だけクリアー出来ればですが・・・レンズメーカー様、期待してます。

ではまた・・・店長

 

快適なメガネ生活をご提案する

メガネのササガワ(東京北区十条)店長です。

今回ご紹介する小田幸のRIDOL

男性におススメのシルバーカラーの2本です。

フロントのラインが美しく、キリッとした雰囲気のナイロールタイプ。

艶有りのミラーチタン

 

オーバル型のフルリムタイプ

艶無しブラッシュチタン

強度用リム仕様で強度近視の方にもおすすめです。

どちらも安心して御使用いただける作りです。

ではまた・・・店長

快適なメガネ生活をご提案

メガネのササガワ(東京北区十条)店長です。

小田幸のZparts(ジーパーツ)入荷が入荷してまいりました。

クラシカル過ぎず、シンプルで確りとした作りの

男性におススメのフレームです。

マットゴールド、ブラウン、そして表面処理を施さないチタンナチュラル

の3カラーです。すべて純チタン製で、テンプルは長モダン仕様で

金属アレルギーの方にも良いかもしれません。

ではまた・・・店長

 

 

快適なメガネ生活をご提案する

メガネのササガワ(東京北区十条)店長です。

今から54年前、昭和41年に書かれた古い資料によると

メガネのササガワの創業は大正13年7月です。

大正12年9月の関東大震災の翌年です。

西暦1924年ですから96年前になります。

場所は墨田区業平橋2丁目と書かれていますが、現在その番地はありません。

現住所だと墨田区吾妻橋3丁目あたりでしょうか?

現在は東京スカリツリーが目の前に見えて、近所にはアサヒビール本社の炎のオブジェが見えるあたりでしょうか。

創業は祖父が22歳の時です。

なぜここで商売を始めたのか?

なぜ関東大震災の翌年なのか?

今となっては聞けませんが

時計業を生業として始めたのです。

当時すでに服部時計店(現・セイコー)の製造工場である精工舎が

近所にあったのも要因のひとつかもしれません。

現存するたぶん一番若い時の祖父の写真。

昭和15年(1940年)と書かれていますから38歳の祖父です。

1924年てどんな年かググってみました。

(自分なりに気になるとこをピックアップ。)

第1回冬季オリンピックとなるシャモニーオリンピックが開幕。

日本皇太子裕仁(後の昭和天皇)と同女王良子(後の香淳皇后)が結婚。

日本皇太子結婚記念により東京市の上野公園・上野動物園が宮内省より市に下賜、上野恩賜公園・恩賜上野動物園となる。

英国がソビエト政権を承認。

日本でメートル法が採用。

 阪神甲子園球場完成。

 ドイツ賠償問題に関するドーズ案成立。

荒川放水路通水式(岩淵水門完成)。

 明治神宮外苑競技場(国立霞ヶ丘競技場の前身にあたる)竣工。

 エドウィン・ハッブルが系外銀河の発見を論文で発表。

 

上野動物園や甲子園球場と同じかと思うと長いようですが

日本には創業100年以上の企業がごろごろしているので

まだまだひよっこです。

長くやれば良いというものでもありませんが

それでも3代、長くやってこれたのも理由があったのかな?

私なんかこれしかなくってやってきただけなんですけどね。

ではまた・・・店長

快適なメガネ生活をご提案する

メガネのササガワ(東京北区十条)店長です。

九州、沖縄方面を通過する台風10号

明日明後日と大荒れ予想で心配です。

なんせスーパー台風なんていわれてますので

早めに避難してくださいネ。

メガネ掛けている方やコンタクトの方は、

予備のメガネも忘れずに避難してください。

犬猫を飼っている方は、一緒に避難してくださいネ。

被害が出ないことを願っています。

ではまた・・・店長

快適なメガネ生活をご提案する

メガネのササガワ(東京北区十条)店長です。

昨日の、ことのほか手こずったフチ無しメガネの加工ですが

穴の他にノッチという溝を作らないといけないのですが

位置決めがなかなか難しかった!

レンズが動かないように必要な溝ですが

ちょっとでも位置がずれると左右レンズの水平や

左右テンプルの角度がアンバランスになってしまいます。

そのために本チャンの前にダミーレンズで試し摺りするのですが

ご覧のようになかなか手こずりました。

それでも何とか無事に完成しました。

自分にお疲れ様でした。

ではまた・・・店長