世界文化遺産 神宿る島「宗像大社・沖ノ島」を訪ねて | かえるのブログ

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宗像大社

1999年宗像大社へ参拝の折、大島へ行ったことがあります。今から18年も前になります。写真はその時のものです。

          宗像大社本殿(辺津宮)

 
宗像大社の祭神は三女神を祭っています。長女が沖ノ島(沖津宮)に祭られている田心媛(たごりひめ)二女が筑前大島の中津宮に祭られている湍津媛(たぎつひめ)。三女が本殿(辺津宮)に祭られている市杵島媛です
三女神は天照大神が国つくり以前に誓約(うけい)により生まれました。九州から半島、大陸へつながる海の道(海北道中)へ降りて、歴代の天皇をお助けすると共に、現在のそれぞれの地に降臨し、祀されるようになったと言われています。日本及び大陸から古代朝鮮半島への海上交通の平安を守護する神なのです。
 
筑前大島

         筑前大島の風景です。
宗像の神港(こうのみなと)から快速船に乗り筑前大島へ渡る途中、船上から大島を写したものです。
中央に鳥居が見えますが、これが中津宮の社殿へ入る参道になります。
 
           中津宮の社殿
 
島民のご案内で中津宮へ向かいました。鳥居をくぐると神殿へ向かう長い石段を登ります。まだ若かったのでスムーズに登れましたが、それでも息が上がったのを覚えています。
この神殿には二女の湍津媛(たぎつひめ)が祭られています。
 
三女神は、日本書紀の中で「道主貴(みちぬしのむち)」という別名で呼ばれています。「貴」は最も貴い神様に贈られる尊称で、記紀の中でこの「貴」が使われるのは、大日靈貴(おおひるめのむち、天照大御神の別名)と大己貴(おおなむち(大国主神の別名)の二柱だけですから、当時、いかに国家から篤い崇敬を受けていたか伺えます。
 
沖ノ島
 
          沖の島(沖津宮)
 
この写真は確か船上からと記憶しています。船内のアナウンスで知らされ、シャッターを押したものと思われます。
この日はお天気が良かったので、こんなに綺麗に撮れています。
 
沖ノ島は島そのものがご神体です。ゆえに禁忌(いきみ)があります。
沖ノ島で見聞きしたことを口外してはならない「不言様(おいわずさま)」の禁忌。そのため、沖ノ島のことについては、祭祀遺跡が残されている以外、江戸以前の文献にはほとんど現れていません。
上陸するときは全裸になり海中で穢れを祓う「禊」をしなければならず、島から木や草、石のひとつも持ち出してはいけない、女人禁制、島内で四つ足の動物をたべてはいけない、など、現在でもなお守り続けられています。
また沖ノ島は、九州と朝鮮半島とを結ぶ玄界灘のほぼ中央にあり、古代より航路の道標としても神聖視されていました。島全体が祭祀の場所だったところで、昭和29年から昭和46年にかけて三次の発掘調査によって見つかった神宝は約十万点、そのうち八万点が国宝に指定され,その規模の大きさや内容から、沖ノ島は「海の正倉院」と呼ばれています
 
 
特に市杵島媛は祈祷されて国を守る朝廷に仕えていたとの説により、
邪馬台国を治めた「卑弥呼」伝説に、よく取り上げられている女神でもあります。