折鶴が折れるか折れないかで日本人としての質が変わってくるという話を耳にした。


だから今日は、折鶴の特訓をした。


成果は上々、二回に一回は折れるぞ。


なんで現在俺が折鶴を折れないかというのには二つの理由がある。


・一つは友達で重病を患った奴が幸いにもいない。そして甲子園に私をつれてってね。みたいな南ちゃん的な立場になったことがない。


・二つ目は結構大きな要因で、自分の通っていた某幼稚園は丁度俺らの入学した時期に園長先生の粋な計らいによって「自由教育」という制度の実験校に選ばれた。


「自由教育」というのは、生徒一人一人の個性を尊重し階段の踊り場で塗りえをしたければすればよし。ビニールを被って走りたければ走ってよし。そんな幼稚園だった。


そして俺ら悪餓鬼園児は大人によって観察されていた。


恐らく俺が飼育小屋のニワトリの卵を調理するイベントの時、卵が有精卵で割ったら育った雛の目の玉がトロリンチョって垂れてきたときあまりにキモくて友人に投げつけたのも観察されていたことだろう。


それはさておき、折鶴はやはり避けては通れない道だったらしい。。今の日本人はどれくらいの人が折れるのだろうか。。女の子とかは折れそうなイメージある