NEX-5のマニュアルフォーカスを使ってみた。
今日からこのブログは写真ブログに変身しました。うだうだと文章は書かないことにしました。なぜ、写真ブログに変えたかというと、ソニーのデジカメNEX-5を触って久しぶりに写真を撮りたいと思ったから。多分、花とか虫とか看板とか子供の写真が中心になると思います。
今日は、とある場所で撮影した、虫の写真。ミラーレス一眼っていうのはマニュアルフォーカスが一番、難点だと思うのですが、その中でもさらに難易度が高そうな、割と早いペースで上に登る虫の撮影にトライしてみました。8枚くらい撮って、この3枚がまあまあピントが合っているかなと・・・。しかし、それでもぴっちりとは合っていない。写真はクリックで拡大されます。
多分、近日中に写真に適したブログに移動します。



今日は、とある場所で撮影した、虫の写真。ミラーレス一眼っていうのはマニュアルフォーカスが一番、難点だと思うのですが、その中でもさらに難易度が高そうな、割と早いペースで上に登る虫の撮影にトライしてみました。8枚くらい撮って、この3枚がまあまあピントが合っているかなと・・・。しかし、それでもぴっちりとは合っていない。写真はクリックで拡大されます。
多分、近日中に写真に適したブログに移動します。



『丸善と三越』(寺田寅彦)を読んで、第二弾です。今度はiPhoneで。
昨日、キンドルで途中まで読んで面白かった『丸善と三越』、せっかくなので今日はiPhoneで続きを読んでみました。青空文庫が読めるiPhone向けアプリ「豊平文庫」で。電車の中で読破。
昨日と同じように、寺田先生が本の中身を読まずとも書店(丸善)の書棚を見ると特別に感じるものがあると述べている文脈を紹介。以下、長いですが引用。
"「ドイツ書の棚の前で数分を費やした後にフランスの書物の所へ出た時はちょうどベルリンから夜汽車でパリへ着いたというような心持ちがする。これはおそらくただ簡単に自分だけのある経験から生じる連想のためばかりではあるまい。ドイツ書の装幀なり印刷なりにはドイツ人のあらゆる歴史と切り離す事のできないものがあると同様にフランスの本にはどうしてもパリジアンとパリジェンヌのにおいが浮動している。たとえ一字も読めない人に見せてもこの著しい区別は感じられないではいられまい。自分はドイツで出版された仏文の本をもっている。かなりフランスくさくこしらえてあるが、しかしどう見てもそれはやはりドイツの本である。表紙に描かれた人物にもクラナッハやジュラーの影法師が見える。」"
さすがにここまで感じたことは自分はないなあ・・・。というか洋書なんて大学の授業で必要だった時以外、買ったことがない笑。自分だけじゃなくて、今の時代、ここまで感じられる人っているのだろうか。もし感じられたら安く書店内脳内世界旅行ができそうだけど。
でも、一方で、なんかそういうモノがあることは否定しない。「紙には質感があるから紙が好き」みたいなことを言うと今のご時世、全力で否定されますが笑、ゼロとはいいきれないと思うなあ。逆に、紙の質感とかまったく関係ないなら、もっともっと、iPadが出るずっと前から電子書籍時代が来ていた気がする。端末での操作や見え方が紙の感覚にどんどん近づいているから、電子書籍時代が到来しそうな予感がするというのは、一方で、紙の質感というのは無視できないということを証明しているのでは、と。
おっと、うだうだとすいません。紙か画面かみたいなのは、これほんと、好みの問題ですから。さてと・・・。
寺田先生は先見の明があると後世に言われることを狙って書いたわけでは決してないのでしょうけど。でも、言っていることがかなり今に当てはまる。この『丸善と三越』のほとんどの部分が、ちょっと改変すれば現代のことを言っている文章かと思えてくる。
それを最も感じさせるのが、以下の雑誌について述べた部。これには思わず、苦笑い。以下、引用。
"「階段をおりる時に、新刊雑誌を並べた台が眼下に見おろされる。ここには、同じような体裁で、同じような内容の雑誌が、発音まで似かよったいろいろの名前で陳列されている。表紙だけすりかえておいても人々はなんの気もつかずに買って行くだろう。少年や幼年の読み物にしてもどれをあけて見ても中は同じである。そして若い柔らかい頭の中から、美に対する正しい感覚を追い出すためにわざわざ考案されたような、いかにもけばけばしい、絵というよりもむしろ臓腑の解剖図のような気味の悪い色の配合が並べられている。このような雑誌を買う事のできないほどに貧乏な子供があれば、その子は少なくもこの点で幸福であるかもしれない。なんというオリジナリティのない不健全な出版界だろう。」"
これなんか、今の雑誌とまったく同じ状況でしょう笑。きっと、これは電子書籍時代でも変わらない気がする。そして、下記は当時、丸善さんの果たしていた役割がいかに大きいかわかる部分。
"「考えてみると近ごろ世間で騒がしくなって来たいろいろな社会上の問題が一部の人の信ずるようにおもに外国から流れ込んで来たとすると、そのような問題や思想の流れ込んだ少数な樋口の内でも大きなのはこの丸善の方数尺の書籍台であるかもしれない。それにしてはあまりに貧弱な露店のような台ではあるが、しかし熱海の間歇泉から噴出する熱湯は方尺にも足りない穴から一昼夜わずかに二回しかも毎回数十分出るだけであれだけの温泉宿の湯槽を満たしている事を考えればこれも不思議ではないかもしれない。ここから流れ出すものがたくさんな樋に分流しそれにいろいろの井戸から出る水を混じて書物になり雑誌になって提供される。温度の下がらないうちにと忙しい人の手で忙しく書かれた著書や論文が忙しい読者によって電車の中や床屋の腰かけで読まれる。それで二三か月も勉強すればだれでもラッセルとかマルクスとかいう人の名前ぐらいは覚える事ができるのだろう。」"
最近、紙の本が好きだとか言うとツイッター上では、ぶっ叩かれるような雰囲気があると思うんですけど笑。でも、例えば、ライカのカメラが好きだとか、未だにマニュアルの車乗っているとか、フェラーリを無理して買ったという人がいたとしても、そういうのに興味がない人からみれば、まったく合理性もなにもない話だと思うんですが、かといって、ムキになって、カメラ雑誌や車雑誌を引用して、「こいつら終わっている」とかやらないと思うんですよね笑。
フィルムカメラがどんどん無くなる時に、富士フィルムやコダック、そしてフィルムの色合いが好きだという個人を、親の敵に対峙するかのように攻撃した人ってそれほどいないと思うんだけどな苦笑。
私自身は、紙もそれなりに好きだしデジタルグッズがかなり好き。先日も電子書籍に期待して家の本をけっこう捨てたようなタイプですけど、(そもそも『丸善と三越』もキンドルとiPhoneで読んでいるし)でも別に紙が大好きだという人がいても、攻撃したりバカにしたりしないけどね笑。そりゃ、既存の業界は大打撃を受けると思うけどさ。
今日気づいたのは、青空文庫に寺田寅彦先生の著作がかなり大量にあるということ。どれも短くて読みやすそうだから、しばらく読んでみようかな。そして、『丸善と三越』のうち、丸善についてしか触れていませんが、三越のほうもなかなか面白いので、これも後日改めて。
新版 寺田寅彦全集 第I期 第7巻 
昨日と同じように、寺田先生が本の中身を読まずとも書店(丸善)の書棚を見ると特別に感じるものがあると述べている文脈を紹介。以下、長いですが引用。
"「ドイツ書の棚の前で数分を費やした後にフランスの書物の所へ出た時はちょうどベルリンから夜汽車でパリへ着いたというような心持ちがする。これはおそらくただ簡単に自分だけのある経験から生じる連想のためばかりではあるまい。ドイツ書の装幀なり印刷なりにはドイツ人のあらゆる歴史と切り離す事のできないものがあると同様にフランスの本にはどうしてもパリジアンとパリジェンヌのにおいが浮動している。たとえ一字も読めない人に見せてもこの著しい区別は感じられないではいられまい。自分はドイツで出版された仏文の本をもっている。かなりフランスくさくこしらえてあるが、しかしどう見てもそれはやはりドイツの本である。表紙に描かれた人物にもクラナッハやジュラーの影法師が見える。」"
さすがにここまで感じたことは自分はないなあ・・・。というか洋書なんて大学の授業で必要だった時以外、買ったことがない笑。自分だけじゃなくて、今の時代、ここまで感じられる人っているのだろうか。もし感じられたら安く書店内脳内世界旅行ができそうだけど。
でも、一方で、なんかそういうモノがあることは否定しない。「紙には質感があるから紙が好き」みたいなことを言うと今のご時世、全力で否定されますが笑、ゼロとはいいきれないと思うなあ。逆に、紙の質感とかまったく関係ないなら、もっともっと、iPadが出るずっと前から電子書籍時代が来ていた気がする。端末での操作や見え方が紙の感覚にどんどん近づいているから、電子書籍時代が到来しそうな予感がするというのは、一方で、紙の質感というのは無視できないということを証明しているのでは、と。
おっと、うだうだとすいません。紙か画面かみたいなのは、これほんと、好みの問題ですから。さてと・・・。
寺田先生は先見の明があると後世に言われることを狙って書いたわけでは決してないのでしょうけど。でも、言っていることがかなり今に当てはまる。この『丸善と三越』のほとんどの部分が、ちょっと改変すれば現代のことを言っている文章かと思えてくる。
それを最も感じさせるのが、以下の雑誌について述べた部。これには思わず、苦笑い。以下、引用。
"「階段をおりる時に、新刊雑誌を並べた台が眼下に見おろされる。ここには、同じような体裁で、同じような内容の雑誌が、発音まで似かよったいろいろの名前で陳列されている。表紙だけすりかえておいても人々はなんの気もつかずに買って行くだろう。少年や幼年の読み物にしてもどれをあけて見ても中は同じである。そして若い柔らかい頭の中から、美に対する正しい感覚を追い出すためにわざわざ考案されたような、いかにもけばけばしい、絵というよりもむしろ臓腑の解剖図のような気味の悪い色の配合が並べられている。このような雑誌を買う事のできないほどに貧乏な子供があれば、その子は少なくもこの点で幸福であるかもしれない。なんというオリジナリティのない不健全な出版界だろう。」"
これなんか、今の雑誌とまったく同じ状況でしょう笑。きっと、これは電子書籍時代でも変わらない気がする。そして、下記は当時、丸善さんの果たしていた役割がいかに大きいかわかる部分。
"「考えてみると近ごろ世間で騒がしくなって来たいろいろな社会上の問題が一部の人の信ずるようにおもに外国から流れ込んで来たとすると、そのような問題や思想の流れ込んだ少数な樋口の内でも大きなのはこの丸善の方数尺の書籍台であるかもしれない。それにしてはあまりに貧弱な露店のような台ではあるが、しかし熱海の間歇泉から噴出する熱湯は方尺にも足りない穴から一昼夜わずかに二回しかも毎回数十分出るだけであれだけの温泉宿の湯槽を満たしている事を考えればこれも不思議ではないかもしれない。ここから流れ出すものがたくさんな樋に分流しそれにいろいろの井戸から出る水を混じて書物になり雑誌になって提供される。温度の下がらないうちにと忙しい人の手で忙しく書かれた著書や論文が忙しい読者によって電車の中や床屋の腰かけで読まれる。それで二三か月も勉強すればだれでもラッセルとかマルクスとかいう人の名前ぐらいは覚える事ができるのだろう。」"
最近、紙の本が好きだとか言うとツイッター上では、ぶっ叩かれるような雰囲気があると思うんですけど笑。でも、例えば、ライカのカメラが好きだとか、未だにマニュアルの車乗っているとか、フェラーリを無理して買ったという人がいたとしても、そういうのに興味がない人からみれば、まったく合理性もなにもない話だと思うんですが、かといって、ムキになって、カメラ雑誌や車雑誌を引用して、「こいつら終わっている」とかやらないと思うんですよね笑。
フィルムカメラがどんどん無くなる時に、富士フィルムやコダック、そしてフィルムの色合いが好きだという個人を、親の敵に対峙するかのように攻撃した人ってそれほどいないと思うんだけどな苦笑。
私自身は、紙もそれなりに好きだしデジタルグッズがかなり好き。先日も電子書籍に期待して家の本をけっこう捨てたようなタイプですけど、(そもそも『丸善と三越』もキンドルとiPhoneで読んでいるし)でも別に紙が大好きだという人がいても、攻撃したりバカにしたりしないけどね笑。そりゃ、既存の業界は大打撃を受けると思うけどさ。
今日気づいたのは、青空文庫に寺田寅彦先生の著作がかなり大量にあるということ。どれも短くて読みやすそうだから、しばらく読んでみようかな。そして、『丸善と三越』のうち、丸善についてしか触れていませんが、三越のほうもなかなか面白いので、これも後日改めて。
『丸善と三越』寺田寅彦をキンドルで。
知り合いからキンドルを借りていろいろ試しています。アマゾンはキンドル向けに日本語のコンテンツを未だ販売していませんが、PDFを移せるため青空文庫のPDFをキンドルで楽しむ人もいるそうで。私に貸してくれた人も、もっぱらそれをやっている。(といっても貸してくれた人は最近はほとんどキンドル自体触っていないそうだけど)
青空文庫ってのは、著作権の保護期間を過ぎた日本の名作著書を有志が?テキストに起こして、ネットなどで誰でも自由に共有できるもの。そういう性格上、任天堂DSとか、携帯電話とか、新しい端末で読書をって文脈では、だいたい最初に大量に揃うのが、この青空文庫。
キンドルではもちろん青空文庫以外のPDFは読めるので、雑誌をPDF化したものとか、その他、Webのクリッピング、業務関係の資料なども持ち出して読めます。
一日触ってみてのファーストインプレッション。まず、雑誌はまったく適していないです。もともと文庫サイズ向けの商品ですから当たり前と言えば当たり前ですが。
キンドルデラックスなら、画面が大きいのでもしかしたら適しているのかもしれませんが、通常のキンドルではかなり厳しい。画面の大きさもさることながら、処理能力?というのか、ページをめくった際に表示されるまでが鈍くてうっとおしい。
ちなみに、ページをめくった際の動作のもっさり感、うっとおしさについては、青空文庫など比較的軽いと思われるPDFでも若干感じました。ただし、こちらは、イライラするというレベルじゃなくて、ちょっと気になる程度。
そんなんで今日は日中、ぼんやりとキンドルをいじっていたのですが。最初に偶然読んだのは、『丸善と三越』(寺田寅彦)。
積極的に選んだんじゃなくて、貸してくれた人が入れていた青空のラインナップをとくにタイトルを見ずに(なにしろタイトルは英語でしか表示されない。PDFの中身は日本語表記されるが)、選んだら『丸善と三越』だった。
冒頭から、寺田寅彦先生の丸善への思いが並んでいます。もっと言えば、書店で本と対峙した時の思いが。以下、引用。
「ほしい本はたくさんあっても財布の中はいつも乏しかった。しかしただ書棚の中に並んでいる書物の名をガラス戸越しにながめるだけでも自分には決して無意味ではなかった、ただそれだけで一種の興奮を感じ刺激と鞭撻を感ずるのであった。神社や寺院の前に立つ時に何かしら名伏のできないある物が不信心な自分の胸に流れ込むと同じように、これらの書物の中から流れ出る一種の空気のようなものは知らぬ間に自分の頭にしみ込んで、ちょうど実際に読書する事によって得られる感じの中から具体的なすべてのものを除去したときに残るべきある物を感じさせるのであった。」
こういう感覚の対極にあるアマゾン、そのアマゾンでもさらにこういう感覚から最も遠いところに位置するキンドルで、最初に読んだのがこの一文という皮肉。
ここまで高尚な感覚じゃなくても、やっぱりリアルで書棚を目で見るとネットで注文する以上のことがありますよね。単純に楽しいっていうのもありますが。仕事で使っている本は全てアマゾンで発注してしまっているため、なおさらそうじゃない余暇の部分は書店をぶらぶらして発見したいという思いもありますし。(といってもその時間自体は極端に減ったけど)
もっとも、同時に寺田先生は昔の丸善の雰囲気のほうがよかったとも言っています。以下、引用。
「昔の丸善の旧式なお店ふうの建物が改築されて今の堂々たる赤煉瓦に変わったのはいつごろであったか思い出せない。たぶん自分が二年ばかり東京にいなかった間の事であろうと思う。元の薄暗い窮屈な室に比べて、天井の高い窓の多い今の二階の室は比較にならないほど明るく気持ちがいい。しかし自分にはどういうものか昔の陰気なほうが、少なくとも自分の頭に巣くっている「丸善」という観念にはふさわしい。今の室はあまりに明るくあまりに楽に広々としていためにそこに陳列された書物が普通のデパートメントストアの商品のような感じがしないでもない。これに反して以前の窮屈な室へはいった時には、なんとなく学者の私有文庫を見せてもらうような気がした。」
雰囲気は重要ってことですかね。ツイッターのTL見ていると、書店も既存の出版社も生き残れるわけがねえ、みたいな意見が多いけど、どうなんですかね。少なくとも自分は、ある程度淘汰されるとは思いますが、書店はなくならない気がしますけどね。その時には、デパートメントストアじゃなくて、学者の私有文庫みたいな雰囲気の有る面白い書店が人気を集めてそうな気がします。
偉そうなことを言っていますが、『丸善と三越』は40ページほどしかないのに、まだ20ページくらいしか読んでいないのです笑。
それにしても、紙の質感がいい、書店の雰囲気がいい、なんて少しでも言うと、また電子書籍推進派からは、「保守派必死だな」とか言われるのかな笑。
新版 寺田寅彦全集 第I期 第7巻 
青空文庫ってのは、著作権の保護期間を過ぎた日本の名作著書を有志が?テキストに起こして、ネットなどで誰でも自由に共有できるもの。そういう性格上、任天堂DSとか、携帯電話とか、新しい端末で読書をって文脈では、だいたい最初に大量に揃うのが、この青空文庫。
キンドルではもちろん青空文庫以外のPDFは読めるので、雑誌をPDF化したものとか、その他、Webのクリッピング、業務関係の資料なども持ち出して読めます。
一日触ってみてのファーストインプレッション。まず、雑誌はまったく適していないです。もともと文庫サイズ向けの商品ですから当たり前と言えば当たり前ですが。
キンドルデラックスなら、画面が大きいのでもしかしたら適しているのかもしれませんが、通常のキンドルではかなり厳しい。画面の大きさもさることながら、処理能力?というのか、ページをめくった際に表示されるまでが鈍くてうっとおしい。
ちなみに、ページをめくった際の動作のもっさり感、うっとおしさについては、青空文庫など比較的軽いと思われるPDFでも若干感じました。ただし、こちらは、イライラするというレベルじゃなくて、ちょっと気になる程度。
そんなんで今日は日中、ぼんやりとキンドルをいじっていたのですが。最初に偶然読んだのは、『丸善と三越』(寺田寅彦)。
積極的に選んだんじゃなくて、貸してくれた人が入れていた青空のラインナップをとくにタイトルを見ずに(なにしろタイトルは英語でしか表示されない。PDFの中身は日本語表記されるが)、選んだら『丸善と三越』だった。
冒頭から、寺田寅彦先生の丸善への思いが並んでいます。もっと言えば、書店で本と対峙した時の思いが。以下、引用。
「ほしい本はたくさんあっても財布の中はいつも乏しかった。しかしただ書棚の中に並んでいる書物の名をガラス戸越しにながめるだけでも自分には決して無意味ではなかった、ただそれだけで一種の興奮を感じ刺激と鞭撻を感ずるのであった。神社や寺院の前に立つ時に何かしら名伏のできないある物が不信心な自分の胸に流れ込むと同じように、これらの書物の中から流れ出る一種の空気のようなものは知らぬ間に自分の頭にしみ込んで、ちょうど実際に読書する事によって得られる感じの中から具体的なすべてのものを除去したときに残るべきある物を感じさせるのであった。」
こういう感覚の対極にあるアマゾン、そのアマゾンでもさらにこういう感覚から最も遠いところに位置するキンドルで、最初に読んだのがこの一文という皮肉。
ここまで高尚な感覚じゃなくても、やっぱりリアルで書棚を目で見るとネットで注文する以上のことがありますよね。単純に楽しいっていうのもありますが。仕事で使っている本は全てアマゾンで発注してしまっているため、なおさらそうじゃない余暇の部分は書店をぶらぶらして発見したいという思いもありますし。(といってもその時間自体は極端に減ったけど)
もっとも、同時に寺田先生は昔の丸善の雰囲気のほうがよかったとも言っています。以下、引用。
「昔の丸善の旧式なお店ふうの建物が改築されて今の堂々たる赤煉瓦に変わったのはいつごろであったか思い出せない。たぶん自分が二年ばかり東京にいなかった間の事であろうと思う。元の薄暗い窮屈な室に比べて、天井の高い窓の多い今の二階の室は比較にならないほど明るく気持ちがいい。しかし自分にはどういうものか昔の陰気なほうが、少なくとも自分の頭に巣くっている「丸善」という観念にはふさわしい。今の室はあまりに明るくあまりに楽に広々としていためにそこに陳列された書物が普通のデパートメントストアの商品のような感じがしないでもない。これに反して以前の窮屈な室へはいった時には、なんとなく学者の私有文庫を見せてもらうような気がした。」
雰囲気は重要ってことですかね。ツイッターのTL見ていると、書店も既存の出版社も生き残れるわけがねえ、みたいな意見が多いけど、どうなんですかね。少なくとも自分は、ある程度淘汰されるとは思いますが、書店はなくならない気がしますけどね。その時には、デパートメントストアじゃなくて、学者の私有文庫みたいな雰囲気の有る面白い書店が人気を集めてそうな気がします。
偉そうなことを言っていますが、『丸善と三越』は40ページほどしかないのに、まだ20ページくらいしか読んでいないのです笑。
それにしても、紙の質感がいい、書店の雰囲気がいい、なんて少しでも言うと、また電子書籍推進派からは、「保守派必死だな」とか言われるのかな笑。
ヒゲへの差別、ダメ、絶対。
私はヒゲがかなりぼーぼーに生えています。去年のことですが、娘を保育園に迎えに行ったときのこと。保育園のドアを開けると、けっこう大きな年齢の男の子が私の顔を見るなり、「ドロボウ?」と私に聞いてきました。
きっと、その子の中では、ヒゲ=泥棒なのでしょう。私は、娘が「お前の親爺はドロボウ!」といじめられはしないかとヒヤヒヤしました。誰も見ていなければその男の子をひっぱたいてやろうかと思いましたが、それでは本当の泥棒になってしまうのでやめておきました。そもそも、その子に罪はありません。悪いのはヒゲ=泥棒というイメージを幼子に植え付ける世間です。
それ以来、ステレオタイプなドロボウ像はすぐにでも撤廃すべきと強く思っています。おそらく、絵本やら警察、官公庁やらが作るパンフレットやらでは、ドロボウは必ずヒゲが生えて、唐草模様の風呂敷をしてサングラスをかけているはず。
先ほどもノートパソコンのセキュリティについて調べていたら、下記のイラストが使用されているこんなページを見つけました。

ヒゲにサングラスで何か悪いですか?ヒゲでサングラスは泥棒ですか?ヒゲでサングラスはノートパソコン盗みますか?(あの、さすがに私も常日頃からサングラスをかけているわけではありませんが笑)
今は、外見で差別するようなことがあれば激しく糾弾する世の中。ちび黒サンボ然り。では、なぜ、ヒゲだけが、放っておかれるの?ちび黒サンボに反対した団体は、ヒゲ泥棒にも反対しろよっ!
トルコ風呂にトルコ人が抗議して名称が変わったように、今こそ全国のヒゲ達は立ち上がるべきだと思う。「ヒゲへの差別、ダメ、絶対」。
まずは手始めにヒゲの泥棒のイラストを使う会社や団体に大して猛抗議のシュプレヒコールをあげるべき。そして、ヒゲ=泥棒を撤廃させるどころか、ヒゲ=イケメン、ヒゲ=いい人、ヒゲ=正義の味方というイラストを逆に使わせるように圧力をかける。そうすれば、きっと四半世紀後くらいには、町中をヒゲが歩いていれば、ちびっ子達が歓声を上げて近寄ってくるはず。
しかし、ここまで書いて、上のイラストをよくよく見てみると、正確にはヒゲじゃなくて、ヒゲが濃い人がヒゲを剃った後という風体の人が泥棒になっている笑。もしかしてすでに、ヒゲの人権を守ろうとする有志が、ヒゲじゃなくてヒゲが濃いのに剃って青くなっている人こそ悪いやつだ、というイメージに変えようと頑張っているのかも。でも、それこそかわいそうだな笑。きちんと剃っているのに悪者扱いって。
【ヒゲソリ】Panasonic ラムダッシュ 黒 ES-LA94-K
きっと、その子の中では、ヒゲ=泥棒なのでしょう。私は、娘が「お前の親爺はドロボウ!」といじめられはしないかとヒヤヒヤしました。誰も見ていなければその男の子をひっぱたいてやろうかと思いましたが、それでは本当の泥棒になってしまうのでやめておきました。そもそも、その子に罪はありません。悪いのはヒゲ=泥棒というイメージを幼子に植え付ける世間です。
それ以来、ステレオタイプなドロボウ像はすぐにでも撤廃すべきと強く思っています。おそらく、絵本やら警察、官公庁やらが作るパンフレットやらでは、ドロボウは必ずヒゲが生えて、唐草模様の風呂敷をしてサングラスをかけているはず。
先ほどもノートパソコンのセキュリティについて調べていたら、下記のイラストが使用されているこんなページを見つけました。

ヒゲにサングラスで何か悪いですか?ヒゲでサングラスは泥棒ですか?ヒゲでサングラスはノートパソコン盗みますか?(あの、さすがに私も常日頃からサングラスをかけているわけではありませんが笑)
今は、外見で差別するようなことがあれば激しく糾弾する世の中。ちび黒サンボ然り。では、なぜ、ヒゲだけが、放っておかれるの?ちび黒サンボに反対した団体は、ヒゲ泥棒にも反対しろよっ!
トルコ風呂にトルコ人が抗議して名称が変わったように、今こそ全国のヒゲ達は立ち上がるべきだと思う。「ヒゲへの差別、ダメ、絶対」。
まずは手始めにヒゲの泥棒のイラストを使う会社や団体に大して猛抗議のシュプレヒコールをあげるべき。そして、ヒゲ=泥棒を撤廃させるどころか、ヒゲ=イケメン、ヒゲ=いい人、ヒゲ=正義の味方というイラストを逆に使わせるように圧力をかける。そうすれば、きっと四半世紀後くらいには、町中をヒゲが歩いていれば、ちびっ子達が歓声を上げて近寄ってくるはず。
しかし、ここまで書いて、上のイラストをよくよく見てみると、正確にはヒゲじゃなくて、ヒゲが濃い人がヒゲを剃った後という風体の人が泥棒になっている笑。もしかしてすでに、ヒゲの人権を守ろうとする有志が、ヒゲじゃなくてヒゲが濃いのに剃って青くなっている人こそ悪いやつだ、というイメージに変えようと頑張っているのかも。でも、それこそかわいそうだな笑。きちんと剃っているのに悪者扱いって。
電子出版時代の広告のありかた
週刊新潮が裁判で負けて謝罪広告を出せと命じられて。それを素直に新潮社が守るわけもなく笑、ちょっと前に謝罪広告が掲載されたページの記事は、謝罪広告を命じる裁判所は憲法違反と糾弾する内容で笑。そんな内容のページに謝罪広告が載っているのはブラックジョークでしかない。
しかし、これってネットや電子書籍が全てという世の中になったらどうなるんだろうかと。そもそも、ネットの広告は全文掲載というよりも見出しを表示してクリックさせる方式だし。わざわざ謝罪広告をクリックする人いないでしょ。それなら、目立たないところじゃ誰も見てくれないんじゃしょうがないから、そこにページビューを誘導させる義務がある、とかそうなるのかね、判決が笑。
それと、今日、気になったのがこの記事。「雑誌社に広告の確認義務=パチンコ攻略法被害-大阪地裁」。
パチンコにかぎらず、けっこうな大手の出版社でも雑誌によっては、「トルマリンブレスで突然持てないオレが宝くじに当たった!」みたいな広告満載なわけで。
一方でネットに目を向けると、雑誌どころか社会の公器たる笑、新聞社だってグーグルの広告を表示している場合は、「こたつに座って一億円稼ぐ!」とかそういう広告が表紙されちゃう可能性があるわけで。(情報商材が叩かれたことで一時ほどじゃないらしいですが)
そうなると、広告主の責任ていうのはどうなる?新聞社や雑誌社に責任?それともグーグルやオーバチュア?(日本の場合、オーバチュアは情報商材を許していないけど)
しかし、これってネットや電子書籍が全てという世の中になったらどうなるんだろうかと。そもそも、ネットの広告は全文掲載というよりも見出しを表示してクリックさせる方式だし。わざわざ謝罪広告をクリックする人いないでしょ。それなら、目立たないところじゃ誰も見てくれないんじゃしょうがないから、そこにページビューを誘導させる義務がある、とかそうなるのかね、判決が笑。
それと、今日、気になったのがこの記事。「雑誌社に広告の確認義務=パチンコ攻略法被害-大阪地裁」。
パチンコにかぎらず、けっこうな大手の出版社でも雑誌によっては、「トルマリンブレスで突然持てないオレが宝くじに当たった!」みたいな広告満載なわけで。
一方でネットに目を向けると、雑誌どころか社会の公器たる笑、新聞社だってグーグルの広告を表示している場合は、「こたつに座って一億円稼ぐ!」とかそういう広告が表紙されちゃう可能性があるわけで。(情報商材が叩かれたことで一時ほどじゃないらしいですが)
そうなると、広告主の責任ていうのはどうなる?新聞社や雑誌社に責任?それともグーグルやオーバチュア?(日本の場合、オーバチュアは情報商材を許していないけど)
昭和って良い時代だったんだなあ。
昭和っていい時代だったんだなあ。こんなCMがテレビで流れていたんだもんなあ。懐かしいなあ。今はこういうCMって存在しうるんだろうか。なんだか、つまらない世の中だなー。
さらに、YouTubeの関連動画にこんなのありました。濃いなあ・・・。当日、この会場で人が一人くらい死んでいそうな迫力があります。
ナレーションがまた、昭和っぽくていいですね。さらに、関連動画にはこんなのも・・・。笹川さん、やっさんに加えて、安岡りきやさんまで・・・。これは会場周辺で三人くらい死んでいそうです。ただのイメージですけど。
渋滞報道を疑え!
なんども渋滞ネタですいません笑。渋滞、嫌いなんですよね、ワタクシ。ていうか、積極的に好きな人って、なかなかいないと思いますけど。
それで、GWの終盤のこと。やっぱりテレビなどは5日の朝から渋滞がすげーすげー、って報道しまくるわけです。というか、5日当日だけじゃなくて、もっと前からずっとやっています。
私は4日に東京に向けて戻ってきたわけですが、途中渋滞が三カ所ほどあって、それなりにいらいら、いらいら。普段より一時間半くらい余分にかかった感じ。なんで、4日かといえば、そりゃ、そんだけテレビだのなんだのが、渋滞渋滞渋滞渋滞渋滞、って寝ても覚めても(ってほどじゃないか笑)、言っているからですよ。5日は最悪に混むかなと思い、一日前の4日にしたわけです。
普段よりも、1時間半も余分にかかったけれども、その日の夜は「ま、明日帰るよりは、空いていただろう。よかったよかった。だってテレビも言っているもん」と、ポジティブシンキングですよ、これは。
実際、東京の家に帰ってくると、テレビでやっているのですよ、ヘリ撮影とか予算かけて。ちゃんと、SAで親子連れの生の声を紹介してと、もうこれは去年のビデオを流してもいいくらいの偉大なるマンネリですよ。キャメロン監督に頼んでCGでも作っておきゃいいんだよ笑。それで、若いアナウンサーみたいな人が、車にのって渋滞に巻き込まれます、みたいなレポートもありつつ。最後には「結局、海老名のSAで完全に渋滞が解消したのは夜中の24時を過ぎてのこと」みたいなナレーションつきで。トーンとしては、明日(5日)はもっと混雑して、こえーぞ、やばいぞ、間違いないぞって感じ。
私は、それをみて、「あー、よかったよかった、今日帰って来て」と思って床についたのですが・・・。
ところが、次の日、渋滞情報見てみると、全然、混んでいないーぃぃぃっ!実家で午後までゆっくりして夕方帰ってきた場合、下記の画像のようにがら空きですよ(サンプル汚いですがクリックで拡大すると綺麗に見られます)。もう、アウトバーン状態ですよ笑。混んでいるのはほぼ中央道だけ。5日に夕方にキャプチャーした画面です。


それでも、5日もテレビやネットでは、渋滞、渋滞、また渋滞、の報道ですよ。なんなんですかね、これは。もう取材にお金かけてしまったから、とかテレビ局社員に休み取らせたいからとか、そういう事情なんですかね?
実際、煽るから、逆に前日が混んじゃうとか、そういうこともあると思うけどなあ・・・。まさしく私がそのパターンなわけですが笑。くやしいなあ・・・。(かといって、煽らなければ最後の日が混むのなら同じだけど笑)。
それで、GWの終盤のこと。やっぱりテレビなどは5日の朝から渋滞がすげーすげー、って報道しまくるわけです。というか、5日当日だけじゃなくて、もっと前からずっとやっています。
私は4日に東京に向けて戻ってきたわけですが、途中渋滞が三カ所ほどあって、それなりにいらいら、いらいら。普段より一時間半くらい余分にかかった感じ。なんで、4日かといえば、そりゃ、そんだけテレビだのなんだのが、渋滞渋滞渋滞渋滞渋滞、って寝ても覚めても(ってほどじゃないか笑)、言っているからですよ。5日は最悪に混むかなと思い、一日前の4日にしたわけです。
普段よりも、1時間半も余分にかかったけれども、その日の夜は「ま、明日帰るよりは、空いていただろう。よかったよかった。だってテレビも言っているもん」と、ポジティブシンキングですよ、これは。
実際、東京の家に帰ってくると、テレビでやっているのですよ、ヘリ撮影とか予算かけて。ちゃんと、SAで親子連れの生の声を紹介してと、もうこれは去年のビデオを流してもいいくらいの偉大なるマンネリですよ。キャメロン監督に頼んでCGでも作っておきゃいいんだよ笑。それで、若いアナウンサーみたいな人が、車にのって渋滞に巻き込まれます、みたいなレポートもありつつ。最後には「結局、海老名のSAで完全に渋滞が解消したのは夜中の24時を過ぎてのこと」みたいなナレーションつきで。トーンとしては、明日(5日)はもっと混雑して、こえーぞ、やばいぞ、間違いないぞって感じ。
私は、それをみて、「あー、よかったよかった、今日帰って来て」と思って床についたのですが・・・。
ところが、次の日、渋滞情報見てみると、全然、混んでいないーぃぃぃっ!実家で午後までゆっくりして夕方帰ってきた場合、下記の画像のようにがら空きですよ(サンプル汚いですがクリックで拡大すると綺麗に見られます)。もう、アウトバーン状態ですよ笑。混んでいるのはほぼ中央道だけ。5日に夕方にキャプチャーした画面です。


それでも、5日もテレビやネットでは、渋滞、渋滞、また渋滞、の報道ですよ。なんなんですかね、これは。もう取材にお金かけてしまったから、とかテレビ局社員に休み取らせたいからとか、そういう事情なんですかね?
実際、煽るから、逆に前日が混んじゃうとか、そういうこともあると思うけどなあ・・・。まさしく私がそのパターンなわけですが笑。くやしいなあ・・・。(かといって、煽らなければ最後の日が混むのなら同じだけど笑)。
美しい三社祭の刺青ーその2
先日もこのブログにアップしましたが、そろそろ三社祭の季節ということで、写真第二弾です。かつて、写真にはまっていたころにやっていた写真ブログからの流用です。上と下の写真は開催年が一年違います。クリックで拡大します。


ところで、刺青と入れ墨ってどっちが正しい表記なんでしょうか。刺青のほうが、文学的というか、かっこいい印象があります。
三社祭の情報はこちらのサイトに→ 「浅草神社奉賛会」 あります。今年は、5月13日(木曜日)~16日(日曜日)までのようです。来週の週末ですね。晴れたら行ってみようかな。
へんてこすごいボクサー。
いつも楽しく拝読している堅雪かんこさんのブログで、紹介されていたボクサーの動画。このボクサーって有名なんですか!?なんかへんてこなうえに、強そうですごい。しかも、ウィキペディアで経歴見たら、逮捕されているし笑。この選手、現役だったら応援したかったなあ。
そういえば、GWで実家に帰省したら、甥っ子二人がすっかり大きくなっていて、Wiiスポーツのボクシングゲームに熱中していた。
今回、私と一緒に私の実家に遊びに来たのは東京で私の家のご近所に住む子育て家族3人。子供がうちの子供と同じ年なので、よく遊んでいて今回、実家にも遊びに来た。
それで、そこのお父さんは私より若くて元プロボクサーなんです。そこで、「じゃあそのお父さんに勝ったら、プロボクサーより強いじゃん!」ってことで、早速、甥っ子と対戦してもらったところ、小学二年生の私の甥っ子にわりと簡単に負けていた笑。
あたりまえだけど、リアルとゲームは違うんだな、と実感。そりゃそうだよな、リアルで戦ったら、甥っ子、多分、救急車で運ばれてしまう、というか、もっと深刻な事態になりそうだし。
渋滞はどこに!?
なんか、今年のGWは混むと事前にさんざん報道されていたような気がするのですが、今日は午前にすこし東名高速が混んでいましたが、その後はずっと、静岡あたりまで一点の曇り無しっ!
現状もこんな感じ(クリックで拡大)。もう少ししたら出発するので、普段の土日よりもむしろ空いているくらいかと。


