彼は面白い人だ。どんな人と話すより面白い。天性の話上手だと思う。(ただし聞き上手ではない。自己アピール型)
私たちは色んな事を話した。哲学的なことも、映画や色んなサブカルチャーの感想も。趣味は違ったけど、楽しかった。
だからだろう。別れる決心がなかなかつかなかったのは。それに彼は相手を丸め込む天才だ。いつの間にか自分のペースに乗せて相手を自分の思っている方向へ持っていくことが出来る。私が頭が悪過ぎるのか、彼の口先が天才的なのか、何かあってもいつも丸め込まれてしまう。
そんな彼とも28年も一緒だったからそれなりにたくさんの思い出がある。
付き合っていた頃は近県の温泉に行ったり、ツーリングしたり。
彼が車を持っていない時は、雨の中をタンデムでバイクの後ろに乗ったり。
結婚してからは夏休みには毎年沖縄の離島に行ってダイビングを楽しんだし、キャンプや映画や外食など楽しい事もたくさんあった。
ただ彼は会社向きの人じゃなく、職種は同じだけれど転職も多かった。毎回相談もなく会社を辞めては転職をした。
仕事は出来る人だったので、仕事にあぶれることは無かったけれど、転職の合間に家計を支えたのは私だったし、
子育ても家事も私がやっていた。
戦中生まれの九州男児の父は家事など全く出来ず、実母は父と離婚していて縁が切れていた。
(この話も長くなるけど、いつか書きたいと思う。)
生まれたばかりの娘の育児を手伝ってくれていた優しい義父母は1ヵ月経つとこなくなり、私は一人で家事と育児をしていた。彼は仕事で帰りが遅く、何もできない父はただそこにいるだけ。
それでもこの時期はそれなりに幸せだった。可愛い赤ちゃんとの生活。
週末だけは少し娘の相手をしてくれるダンナ。
そのうち娘が幼稚園に入り、私が再就職をするとますます色々な負荷が私にかかってくることになった。
それは娘が小学校、中学校、高校と進んでいっても一向に変わらない。
時々疲れ果てて「どうして私一人が家事をしているの!?」と父とダンナに泣きながら訴えたこともある。
その後、父はなんとか洗濯機の扱い方だけは覚えてくれて、洗濯だけはしてくれるようになった。
でも、ダンナは何もしなかった。するのは自分の部屋の掃除だけ。
30年近く住んでいた私の実家(マスオさんしてもらっていた)で風呂掃除やトイレ掃除をしてくれたのは10回にも満たなかったと思う。家賃もいらなかったので、お小遣いは使いたい放題。だからハーレーが生えていたのも不思議ではなかった。
いつだったか、絶対無理だろうなと思いながら「お皿を洗ってくれない?」と頼むと、大学生の娘の前で、
「そんなのは女の仕事やろうが!」と言い捨てた。
ジェンダー問題やフェミニズムという言葉が大嫌いな人だった。私がそれについて意見をすると、
「お前、田島教授みたいやな。」とせせら笑った。
私の父の古い考え方を笑っていたくせに、自分は都合のいい前時代的な価値観を捨てられずにしがみついている人だった。
娘が幼いころから、ダンナは私たちを置いてキャンプだ、ツーリングだ、飲み会だと遊びまわっていた。
私は男の人は自分の世界が大切だろうとそれを放置していた。
彼を信じていたから。いや、信じたかったから…。
それはどんどん裏目に出ることになる。彼を信じて、何も言わずに送り出すツーリングやキャンプは回数が増え続け、それでも私は女遊びやギャンブルをしてる人よりマシ…と自分に言い聞かせてきた。でも、ちらちらと女性の影が見え始める。
ダンナは記念日やクリスマスなど、家族で大切にされていそうな日はいつもスルーだった。唯一、私が一番大事な日だと宣言していた結婚記念日には時々花束をくれた。私はそれがどんなに嬉しかったことか…。彼がまるでその花束で義務を果たしたと言わんばかりのドヤ顔をしていたとしても。
四年前。彼の誕生日を祝うためのケーキを焼いていた日。たまたま休日だったので、その日はツーリングに出かけていたけれど、さすがに夜には帰って来るだろうと娘と待っていた。けれど、帰ってきたのは夜中。少しバツが悪かったのだろう。その日あった事を私に話してくれた。
そして、その次の週末。
娘と車の中でたまたま聞いていたラジオ。ある女性からの投稿。
(え?この内容、昨日ダンナが話していた話と同じ…。)
ラジオに取り上げられるくらい、ちょっと変わった状況の話だったので、間違いない。
女性と遠くの県までツーリングに行っていたのだ。男友達と行ったと言っていたのに…。
嘘だった。