2021年5月27日 13:00 うちのたぬき猫が虹の橋を渡った
私は人生最大の悲しみを感じた
ペットロス、家族を亡くした悲しみはとんでもなく大きかった
ペットロスという病名はない、しかしペットを飼っていれば誰しもがかかってしまう心の寂しさとでも言おうか
ネットで調べてみたがもちろん治し方などない
時間が経ってゆっくり受け入れて、心を切り替えるしかないのだとか
ペットを惜しんで、手紙を書くのもよいかもしれない…という方法もあるだとか
私はこのブログを利用して、これまでの思い出やガクへのお礼を綴ってみることにする
名前はガク、うちに来た時に臆病でガクガク震えてたから、あと当時ミュージシャンのGACKTさんにハマってたから
という感じで、なんとなく2文字が可愛いかなって思って名付けた
2007年10月頃、職場の人が猫を保護して、なんとか助けてあげたい気持ちになり私は里親を名乗り出た
早速病院へ、異常がないかどうかを検診し、ケガや病気もないことを確認し我が家へ
はじめて我が家に来た日のことをよく覚えている
棚に隠れたり物陰に隠れてとにかく臆病だった
でもガクが心を開いてくれるのにそう時間はかからなかった
ゴハンとおやつを与えてたらすぐに馴染んでくれた
お医者さんによると、生後7ヶ月程度ということで、誕生日は私がつけてあげた、なんとなく4月28日にした
もちろん正確な日付はわからないけれど、2007年4月28日に生まれたということにした
生後7ヶ月である程度は大きかった、完全室内飼いを徹底しようと思い、特にゲージなどは用意しなかった
よく食べよく寝て、私が仕事やお出かけの時のお留守番ではよくやんちゃしたものだった
ものが散らかってたり、ティッシュが散乱してたり、変なものを食べてはいなかっただろうがよく暴れてた
しばらくして去勢の手術をした、キンタマを取ってあげるのだ
室内飼いを徹底するので外に出てメス猫ちゃんを妊娠させてしまうなどの心配はなかったが、やはり性欲は抑えさせてあげたかった
手術が終わって麻酔から目が醒めて、痛々しそうに足が震えていたのをよく覚えている
トイレするのにちょっとした段差を登るのにも足が震えてよいしょよいしょ動作して、私は涙が溢れた
人間なら痛かったり、手助けしてほしかったら言葉でなにか言えばいい
しかし猫は喋れない、意思疎通はできない、今の体調がどういう事が伝える事ができない
私は、ガクを一生かけて守ろうと誓った
女の独り暮らしで最初は不安だったが、オカンもいろいろ協力してくれた
これらが13年ほど前である、この頃私はまだ20代だった
ガクは茶トラ猫である、去勢すると何やらホルモンやらバランスがおかしくなって巨大化するそうな
1歳になる頃には体重は6kgほどになっていた
これが08年の写真
この頃はデジカメも買ってなくてケータイ写真がメインだった
画像は小さいけど何枚も撮影した
1歳でもうこの貫禄だった
体格がふっくらしておる
昔の写真を見ると涙が出てきてしまう
こんなに脂肪があって毛むくじゃらなのに寒がりで冬はストーブ前を陣とっていた
このねずみのオモチャ、どこで買ったかな 100均かな
ボロボロになって捨ててしまったと思うが、もしどこかで見かけたらまた買いたい、思い出があるのだ
今でもちょっと寂しくなるのが、買い物をするとき、もうペットコーナーに寄らなくてもいいんだって思うと精神ダメージを喰らってしまう
ペットコーナーに行くと、ああこのオヤツ好きだったなとか、このカリカリよく食べたなーとか
もう買わなくていいんだと思うとすごく寂しくなった
それまで毎月行っていたペットショップやホームセンターに行かなくなってしまった
ガクは本当によく食べていた、食欲が凄まじかった
2歳になる頃は体重が8kgを超え、お医者さんからも肥満だと指摘された
肥満だと年をとった頃に心臓に負担がかかるということで、ダイエットをすすめられた
日々の食事であるカリカリはダイエットフードのものを
室内飼いなのでどうしても運動不足になりがちだからよく遊んであげた
アパートで部屋が狭いのでキャットタワーを用意してあげられなかったが、どうにか上下運動ができる環境は用意してあげた
冷蔵庫の上だったりタンスを利用してよくピョンピョン忍者みたく暴れていた
深夜には毎晩運動会を始める、ドドドドと足元を駆け回る茶色い弾丸
ゴハンを与えすぎは良くないと思いつつも、美味しそうにお腹いっぱい食べて満足そうに寝てる姿を見てついつい甘やかしてしまった
それでも8kgを超えないようにはしていた、この体重8kgはその後10歳頃までキープしていた
ガクの性格は甘えん坊である、そして寂しがり屋、食いしん坊
私が出かけるとニャーニャー鳴いている、毎日後ろ髪が引かれる想いだった
これは晩年までずっとそうだった、家の外まで聞こえてくるくらい鳴きまくっていた
風呂に入る時も、自分でドアを開けて来て覗きに来る、ガクはお風呂苦手なくせに来る
ふと調べてみたら、不安分離症というのが近かった、ちょっとでも離れたら不安になるめちゃくちゃ寂しがり屋
ガクの本当のお父さんお母さんはもうどこにいるかもわからない、私自身が親だから、守っていかなきゃいけない
私は一生守っていくと覚悟はしていた、生活のために出かけなければいけないけれども、できるだけすぐに家に帰るように心がけていた
もちろん外泊や旅行なんかは一切しなかった、もう14年県外に出てないことになる
恋愛だってしなかった、彼氏はほしいほしいと常に思ってたけど、ガクとの時間を優先したかったからだ
当時ケータイの写真の待ち受けなんかをガクにしていた、ペット飼ってる人は待ち受けにペット写真はよくあると思う
職場の人や友人に写真を見せまくって、みんなデブ可愛いと言ってくれた
自分とこのペットが褒められるっていいものだ
09年頃、思い切ってふたばちゃんねるの猫板に写真を載せてみた
あの猫板の住人の方々はみんな猫好きでいい人ばかりで、うちのガクも可愛いと言ってくれた
おデブ体型に、口の周りの模様が可愛いと評判だった
以後12年ほどずっと定期的に写真を載せまくって常連になった
これは09年4月の写真、今と比べてテレビが古い!
PS2でバイオハザード4をプレイしていた、ゾンビ怖いにゃと言わんばかりにこっちを見る
怖いゲームではあったが視界にガクがいるのでなんとかクリアできた
ガクの写真をネット上で見せるにあたって、何かセットで撮影するようになった
買ってきた新作ゲームだったりメシだったりお菓子だったり、何か買ってきた記念にセットで撮影するというのが日々の日課になっていた
そんな何気ない日常の日々がとても幸せだったなとすごい実感した
2010年秋頃、デジカメを買った
ケータイ写真だけではやはり小さいのでデカいサイズの写真を残したかったのだ
毎日モフっていた、毎日顔をうずめていた、そんな体型をしていた
完全室内飼いで大きなケガもすることなく、若いうちは病気も一切しなかった
性格は臆病だったので、年に一度の動物病院に行ってワクチン摂取と検診に行くとめちゃくちゃ暴れて叫んだ
キャリーを出すだけで押入れに逃げ出す始末、これらもまたいい思い出だった
臆病と人見知りが凄まじくて、うちに業者さんとか宅配の人がくると押入れに避難していた
これはお爺にゃんになっても変わることはなかった
2011年3月、例の震災が起きる
あの頃はテレビですごい事が起きてるなーと未曾有の大震災をテレビで見ていた
幸い私の住む四国は影響があまりなく、節電も呼びかけられる事もなかった
しかし見てて急に怖くなった、もし四国で震災が起きたらその時はどうすればよいのか
ガクといっしょに避難所に行けるだろうか、その時に外出してたら心配でどういう行動をとればいいのだろうか
すごい臆病だから避難所での生活でやっていけるだろうか、不安は尽きなかった
南海トラフなんか来たらどうしようか、対策はとっていてもどうなるかなんて誰も全くわからないのだ
ガクの親は私、どうにかして守ってあげなければならない
こんな甘やかされたたぬきになってしまったのでもう野生には戻れないのだ
そんな不安を抱えつつも、ガクの呑気な姿を見ていると不安も感じられなくなってしまっていた
何気ない日常、平和な日常、今日もお互いごはんをいっぱい食べて寝る、そんな日が毎日続くように思えていたこの頃
何もトラブルがない日々だった、大きい病気もケガもない、本当に平和だった
当時は特に何も思わなかった当たり前の日々だった
この写真は2014年の冬か
うちの生活家具も色々変わっていた
テレビも薄型に、冷蔵庫も買い替え、ストーブも新しい
平和なままたぬきは7歳になっていた
7歳というと猫としては高齢の域に入る
しかし全然お爺ちゃんという感じはしなかった
毎日過ごしていると細かい変化などは気づきにくいが、何歳になっても赤ちゃん扱いしていた
甘えん坊で臆病で寂しがり屋
冬は毎晩絶対に私のおふとんに入ってくるのが至福だった
2015年5月28日 スプラトゥーン発売
体験会でドハマリして、今までにない遊びのゲームを発売日に買ってアホほど遊んだ、ゲーム業界に革命を起こした1作
このゲームによって、フレンドが急激に増えて本格的にゲームをオンラインで遊ぶようになる
それまでにスマブラでもよく遊んでたが、このスプラトゥーンで一気にネット上で遊ぶ友人が増えた
ふたばちゃんねるの二次裏スレで一緒に遊ぶ募集の呼びかけでより一層楽しんでいた
またMiiverseでお絵描きも熱中した
2016年3月頃 SNSを始める
つまりトゥイッターである、スプラトゥーン仲間らの誘いでスタート
SNSを始めたことで友達らと親交を深め、自分のプライベートなんかもつぶやき、ガクの写真もUPするようになる
この頃にはもう9歳、結構な高齢である
でも毛並みも良くてまだまだ若く見えて、みんなも可愛いと言ってくれたのが嬉しかった
SNSのイイネ機能によって、うちの自慢のガクがイイネされるのがちょっと嬉しく感じた
ふたばちゃんねるの猫板にも頻繁にUPしていたが、トゥイッターでUPする方が手軽で反応を多くもらえてたくさんUPしていた
2017年4月 ニンテンドーswitchを買う
3月発売から品薄すぎて、争奪戦の中なんとか4月に入手する事に成功
SNSを始めネット上の友人も増え、ゲームもオンラインで遊ぶ事が多くなり、娯楽が充実していた頃
SNSを始める前はコテハンというものも特になく、実生活上の友人も結婚して家庭を持ち、県外に出たりと忙しくてなかなか会えない
しかしネットが便利な時代になっていき、ガクもいるので全然寂しくなかった
2017年、気づけばガクも10歳、私もアラフォーになりかかっていた
でも日々の生活は毎日が充実していた、彼氏がいなくたって全然平気
ガク10歳、相変わらず太ましく高齢を感じさせないたぬきだるま
毎日いると、当たり前になってくると、わずかな変化に気づきにくいものである
体重は全盛期の8kgからちょっとずつ減ってきた
それは年の衰えのせいによるのかどうかはわからなかった
かと言ってまだまだ元気だったので、この頃はまだまだ寿命なんて一切考えていなかった
きっとこの平和で幸せな日々がずっとずっと永遠に続くものと思っていた
2018年3月頃 ほんのつい3年前
もうこの頃になると記憶が新しい、つい最近である
ちょっと痩せてきた?と指摘されるようになる
ガクの体にも変化が起きてきた、もう11歳である
たまにゲロを吐くようになる、猫は吐きやすい生き物で、吐く事自体は珍しいことではないが病気の可能性もある
私は少し不安になっていた
しかしゲロ自体に、血が混じってたという事とかもなく、吐いたあとは食欲もあってよく食べるので様子見することにした
病院に連れて行けばよかったんだろうが、ガクも病院は大きなストレスになるのでできれば様子見に徹したかった
…心のどこかで、ガクの老いを感じたくなかった、認めたくなかった、そんな想いもあったかもしれない
いつかは寿命が来る、天国からお迎えが来る
覚悟をしなければならない時が来る、だからこそ今の時間を大切にしなければならない
…いや、ガクはまだまだ元気で健康だ、まだあと10年は生きるだろう
受け入れなければならない気持ちと、それを拒否したく現実逃避したい気持ちが入り混じっていた
全盛期ほどではないがそれでもまだまだ元気な日々を送っていた11歳から12歳頃
これは2019年の5月頃、私の友人のお見舞いで行ったとある病院に飾られてた絵
思わず写真を撮ってしまった
『のびのび自由に ちいさくても大きい存在』
いい絵だ
ガクは大きい、でも人間から見れば小さい、でもガクは大きい存在
私はガクを一生守っていこうと思っていた
でも守られていたのは私の方だった
ガクがいるから楽しい、ガクがいるから頑張ろうって思える
とてつもなく大きい存在だった
小さくても大きい存在
この作者の詳細も他の作品もわからないけど、とてもいい絵だ、猫ちゃんみんあいい顔をしている
みんな違って、でもみんな小さくて、でもみんな大きな存在
2019年7月撮影
相変わらず何かしらとセットで撮影する
手芸で作ったいろいろ
2019年、コロナのコの字もなく、これが今考えられる世の中の平和だった最後の年だろうか
コロナ禍の今、あらためて、コロナのなかった時代が、当たり前が当たり前だった頃がいかに貴重で大切な日々だったか
何気ない日常がとても平和だったと実感させられる
2020年7月頃 世の中はコロナで大変
ガクももう13歳、もう認めなければならない、高齢で老いてきている
性格は甘えん坊のままだったが体調は弱ってくる
ゲロは週に1度は吐くようになり昔ほど食べなくなっていた
体重は4.5kg~5kgほどに落ちていた
カリカリフードを吐き戻し軽減用のフードに変え、オヤツも体に良さそうなのを与えていた
もう時間は戻らない、心のどこかでタイムスリップするだろうとか変な事すら考えるようになっていた
いつかその時は来る…そう考えなければならない
ガクももう13歳、家猫の平均寿命は15歳前後、そう遠くない
一刻も早く家に帰るようにしてガクとの時間を増やすように努力をしていた
2020年12月、ガクに異変が起きる
トイレでウンチをしようとして、うまく出せず、力みすぎてゲロを吐き、その後衰弱してゴハンを一切食べなくなってしまった
翌日、私は仕事を休み、病院に連れて行った、お医者さんに、痩せ方が尋常ではないと言われた
何かの病気の可能性もあるが、精密検査をしないとわからない
その日は吐き気止めと抗生物質の注射を射ってもらって帰宅
いつも病院はあれだけ騒いでいたガクも、弱りすぎてて声がか細かった
その日の夜、なんとかウンチを出して、食欲を取り戻す
なんとか回復してくれた
私は泣きそうだった、あんなに衰弱した姿を見たのははじめてだったからだ
でもなんとか回復してくれたから一安心、…そう思うことにした
これは2020年12月31日撮影
今年もガクといっしょに年を越せる…そんな大晦日だった
写真を見ると、体型はたしかに昔ほどではないが、13歳の高齢と考えるとデカい方ではないか
そう思い込むようにしていた
でかかった息子が痩せていくのをみるととても寂しい気持ちになる
人間だって若い頃はムキムキでも年をとるとガリガリになる、猫の場合は人間の4倍早く年をとるからまさに実感させられている
猫は人間よりも早く亡くなってしまう、とても悲しい
飼い始めた頃の生後7ヶ月の時はそんな事1ミリも思わなかった、そりゃそうだ
2021年4月28日 ガク14歳の誕生日
スシローでお寿司を買ってきた
コロナ関係なく外食なんかできなくて自宅で食べる日が増えていた
ガクももう細い細い
ゲロももう1週に1度吐いて24時間絶食というのが続いていた
何かの病気なのか、それとももう体が弱ってきているのか
お医者さんから言われた、尋常じゃない痩せ方という言葉がよぎった
14歳、そろそろそういう時期なのかもしれない、そう思って、もう精密検査も受けないようにした
手術とか薬の投与とか、人間による無茶な延命も良くないと思って、もうずっといっしょに家にいようと思い始めた
2021年5月16日、またもウンチがうまく出せずゲロを吐きまくる
せっかく食べてくれたカリカリも吐いてしまえば痩せる一方
いつもはそれから食欲が回復してくれたのだが
その後ウンチをしようとトイレに向かうが出せず、ゲロを吐く
吐くものがなくなって、水を吐く
そして食欲がなくなり、ベッドでじっとする
次の日、その次の日も何も食べない
水は飲むがゴハンを食べない
そして、いつもは食いついてくれるちゅーるオヤツにも興味を示さなくなった
ウンチが出せないのなら、乳酸菌の多いちゅーるを試してみたが、食べない
美味しいカリカリを買ってみせたが、食べない
猫は絶食が1日でも続いたら危険、それが3日になったので、私はもういよいよ覚悟した
もうガクは駆け回らない、冷蔵庫の上にも登らない
ただベッドの上と近くの床を移動、ヨロヨロと動くだけになってしまった
もう今夜にでも亡くなってしまってもおかしくない
しかし、私も仕事に出かけなけれなばならない
帰宅して亡くなってたらどうしよう、そう思うともう出社できない
職場の人には私の猫への愛情はすごいわかってくれてたので、無理言って長いこと休ませてもらった
ガクは意識朦朧として衰弱してる、もう独りにはできない
こんな状態でも私がお風呂に入ると、やっぱりお風呂までついてきてか細い声で鳴いてくる
だからお風呂はささっと済ませるようにした
ずっとつきっきりでガクのそばにいた
ゴハンを見せてあげるが、やはり食べない
水は飲みたがるので近くまで持って行って飲ませた
水は飲むのでオシッコはした
ヨロヨロと弱った状態でちゃんと砂かけまでして、そんな痛々しい姿を見て、去勢した日の事を思い出して涙が溢れ出す
そんなのが10日ほど続いた
長いこと会社を休ませてもらっていた、給料はひかれるがそんな事はどうでもいい
ガクを孤独にして死なせてしまっては一生後悔するだろうと思った
2021年5月27日、最期の日はきた
午後13時ちょうど、ガクは呼吸をしなくなった
よく頑張ったねとやさしく撫でてあげた
ガク、うちに来てくれてありがとう
やさしくダンボールに入れて、大好きだった蹴りぐるみのオモチャも入れて、事前に連絡しておいたペット葬儀屋さんに連絡してガクを持って行った
その日は忙しかったようで、とりあえず安置だけしてもらって翌日来る事になった
涙が溢れて止まらないまま車を運転していた
そして一旦帰宅
もうただいまを言う相手もいない
いつもなら玄関まで迎えに来てくれるガクがもう来ない
心に甚大な何かが私を襲った
2021年5月27日 夜
ガクのいない夜、もう何も考えられなかった
視界にいつもいたガクがもういない
心が壊れそうだった
すごい寂しさに襲われた
なんとかテレビを見て、バラエティを見て、気を紛らわそうとしたが何も考えられなかった、笑えなかった
ずっと後悔していた
ガクは衰弱してから10日ほど生きていた、猫の生命力は凄かった
10日もあったのなら最初のうちに病院なり連れて行けばなんとかなったのでは
自然に亡くなるのを待つと言いながら、それは餓死で死なせてしまったのでは
手術でもしてもらっていれば回復したのでは、借金なりなんでもお金を工面すれば助かったかもしれない
そんな人間の都合は後でなんとでもなるが命は代えることはできない
ガクが虹の橋に渡った事を報告し、みんなに暖かい言葉をかけてもらって少しは元気は出た
なのに夜になるとすごく後悔が押し寄せる、何が正解だったのか
ガクのあんな苦しそうな姿をはじめて見て頭から離れない
ガクは眠ったあと、おしっこを漏らしていた、最初で最期の粗相だった
トイレ以外でおしっこをしたことがないのだ
亡くなる前日までちゃんとトイレでオシッコして砂もかいていた
おしっこを漏らしたことで、ガクの死を実感していた
その日の夜は覚えてない、ほとんど眠れなかった
翌日、2021年5月28日
霊園に来て、ガクの葬儀をしてもらった
ガクの顔はきれいに拭かれて、とても安からに眠ってるようだった
葬儀屋さんがきれいにしてくれていたのだ
ガクちゃんはよく頑張った、そう言ってくれた
幸せだったと思うと言ってくれて、葬儀屋さんの暖かい言葉がすごく救われた
ガクの火葬をお願いし、待合室で、ガクの思い出話とかに付き合ってくれた
また、霊園で飼っているワンちゃん猫ちゃんもたくさんいて遊んでくれて楽しかった
号泣するかと思いきや、少し気持ちが楽になった
ガクのゴハンの残りやオヤツやトイレ砂なんかを霊園さんに寄付した
こういうお仕事する人ってもうめちゃくちゃいい人だ
ガクの火葬を終わったあと、骨になった姿を見て、ちょっとウルッときてしまった
変わり果てた姿
骨の箇所の説明をしてくれて、一緒にお箸で骨壺に入れた
ガクの骨はしっかりしていたようだ、ケガとかは一切なかったからか
歯とか骨一部持ち帰らせてもらい、霊園に納骨してもらった
あらかじめ用意してた小ビンにガクの骨を入れて、茶巾袋に入れて、ガクの写真の横に飾ってある
ちょっと高くついたけど、手厚く葬儀してくれたおかげで少し後悔な気持ちも救われた気がする
私は葬儀屋さんに何度もお礼を言った
2021年6月現在
私は霊園の合祀に暇さえあれば手を合わせにきている
車で片道20分程度だが、週1ペースでガクのお墓にきている
合祀なので他の大切に育てられてきたペットのワンちゃんニャンちゃんらもいるので、ガクも寂しくないかなと合祀に納骨してもらった
お骨を持ち帰る人もいるだろうが、いつかは骨は土に還してあげないといけないから、私は合祀にしてもらった
もう帰宅してもガクはいない
独りぼっちの生活に戻った寂しさは計り知れない
それでも帰宅したら、毎回ただいまと言うようにしている
そしてガクの写真にただいまーと手を振る、つまり2回いうようにしている
もちろん出かけるときも、行ってくるよーと声をかけている
ガクのベッドやトイレもそのままにしている、とても片付けられない
オバケになろうとも、いつでも帰ってきてもいいようにそのままにしている
オモチャとかも捨てられない
オモチャに限らず、一度捨ててしまったものはもう二度と戻らない、手に入れられないと思うと手放せなくなってしまった
上の最初の方に書いた、ネズミのおもちゃとかもうどこで買えばいいかわからない、メーカーすらわからない
ガクといっしょに火葬したあの蹴りぐるみのオモチャ、あれはたしかペットショップで買ったのを覚えてるので、いつか近いうちにもっかい買おうかなと思ってる、思い出の蹴りぐるみだからだ
amazonにもあるのを確認してるのでお金に余裕ができたら買い戻そう
ガクのいない毎日は寂しい、今も慣れない、あれからもう3週間以上経ったけど、ふとした時に涙が出てきてしまう
またガクに会いたい、そんな気持ちが消えない
今は寂しさに耐える毎日
ゲームをして、テレビを見て、寂しさを紛らわす
そしてガクとの思い出の写真をいっぱい見て振り返る
写真の枚数はもう膨大な数はある、しかし動画は100コくらいしかない、1コ2~3分程度の短い動画ばかりだ
もっと動画を残しておけばよかったな
動いてる姿と鳴き声、写真では振り返れない
HDで高画質でもっともっと残しておくべきだったな
YOUTUBEで人気の猫ちゃんの動画をよく見るのだが、やっぱり高画質の長い映像だといいものだ
人間の記憶も長い年月が経つと薄れてしまう
だから記録で残しておくべきなのだ
膨大な容量になろうとも、DVDに焼いたりBDに焼いたり、SDカードとか後からいくらでも用意できるのだ
データのなかで再会するのも悪くないと思う
今元気な猫ちゃんを飼っている飼い主さんには、どうか動画で残す事をおすすめしたい
写真もいいが動画の方がやっぱりいい
これはペットに限らず人間だってそうだ
どんな生き物のいつ亡くなるかわからないので、かけがえのない何でもないような日々を動画残しておくことを習慣づけたい
写真だけならいっぱいあるので、今アルバムを作っている
セルフプリントの機械で1枚30円でプリントできるので、飾る様の写真やらアルバムに収める用にちょいちょい作っている
頻繁なお墓参りも、アルバム作りも、何かすることによって少しでも後悔の気持ちを拭いたい
よくある49日とか関係なく暇さえあればお墓に手を合わせにいこう
ガクは本当によく頑張った、最期の最期まで頑張って生きてくれた
天国でいっぱい遊んでいてほしい
私はもう次の猫を飼えそうにない、こんなつらい気持ちにはもう次は耐えられないと思う
でもいつかガクが生まれ変わって私のところに縁があって来てくれたのならまた家族として迎え入れたいな