Yの誕生(その2) | ヨット少年Y

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オプティミスト級ディンギー(ジュニア用一人乗り小型ヨット)を愛し、John-Hoonを崇拝する小学生とその母の日記です。現在息子ヨット少年はブログお休み中。母一人が頑張ってます。

Y母です。


10年前のYの誕生の時を思い出して昨晩ブログを書きましたが、

長くなったのひとまず誕生までで終わりました。

Yの誕生の記録にと思って書きますので、ちょっと長くなりますから

読み飛ばしてくださいね。


Y誕生までも少し大変でしたが、実は、誕生からがもっと大変でした。


緊急帝王切開で一人出産にのぞんだ私でしたが、Y父がかけつけたときにはすでにYは産声を上げ、

私はまだおなかが開いている状態だったようです。

16時16分。直前にすごい雷雨だったのにうそのように晴れ上がっていたと言っていました。


私は、全身麻酔で全く記憶がありません。

誕生の瞬間を知らないのは残念です。


産声を上げたYですが呼吸が浅く、破水による細菌感染も心配されたため、

すぐにNICU(新生児集中治療室)のある総合病院に搬送されることになりました。

TVの特集番組などでもよく見る、日赤医療センターのNICUです。


私は朦朧とする意識の中、夢とも現実ともつかない不思議なイメージの世界をいったりきたりしていました。

Yが産まれたような、これから生むような...。

Y父の話では、私は何度もお腹をさすっていたようです。


ほんの少し意識がはっきりしてきたところで、Y父からYの救急車での搬送を聞かされました。

私はやっとの思いで「赤ちゃんをみたい...。」と。

でも、私が見られたのはかすむ視界の向こうに、保育器に入ったYの影だけ。

YはY父とともに救急車にのって行ってしまいました。


しばらくたって、やっと目覚めると、あたりは真っ暗。

私は個室の病室に一人ぼっち。

電気つけなくちゃ...。

ふらふら立ちあがってスイッチを探しに。

すると、バシャッ、床に鮮血!

どうも歩いちゃいけなかったみたい...。

まだまだぼんやりした頭で、ナースコールは全く思いつきませんでした。


後で、先生には、「手術直後に歩きまわったつわもの」と話のネタにされました。


術後の管理をするためナースセンター前の部屋に入っていた私。

一人きりで夜通し新生児室の赤ちゃんの泣き声を聞いているのがせつなかったです。


個室で消灯時間もなく、TVは見放題。

某局の○○時間TVは、何もすることのない私にとって夜通し寂しさをまぎらわしてくれました。

今でもこの季節、この番組をみると切ない気持がよみがえります。


それから、毎日、

Y父は、私を見舞い、冷凍母乳をYに運びという生活が続きました。

Y父が届けてくれる写真とビデオでやっとYを見ることができましたが、

添え木を手にしばられ点滴の管がつながった保育器の中のYは痛々しかったです。


Yの出産直後の症状は「多呼吸」といって、肺にたまった羊水がうまく排出されずに、

呼吸が苦しい状態になったようです。

心配された細菌感染もなく順調でしたので、1週間後に退院しました。

私はY父と迎えに行き、1週間してやっと抱けるYに涙があふれました。

私もさびしかったけど、保育器の中でたった一人のYも寂しかったでしょうね。


あれから10年。

アデノイド肥大や扁桃腺の手術のためなどに3度入院はしましたが、

これといった大病も、大きなけがもなく、

Yは成人の半分の年齢に成長しました。


あのときに戻れるなら、してやりたかったこと、するべきでなかったことをやり直したい事多々ありますが、

これから私たちの手を離れるまで、これまでのように明るく、素直に育っていってほしいと願っています。


UN時代のジョンフンの自叙伝のインタビュー記事か何かで、

ジョンフンのお母様が言ったという言葉を思い出しました。

「子供を育てたら、ほかには何もいらない。」

本当に。