前の記事で、『ダロウェイ夫人』の意識の流れと《即興曲90-3》について書きました。


私は、弱い終止が区切りや境い目を曖昧にすることが、文学における意識の流れと同様の効果だと考えました。


意識の流れと言えば、プルースト『失われた時を求めて』も有名です。

プルーストは、ワーグナーに影響を受けています。

『失われた時を求めて』は[ソドムとゴモラ]か[囚われの女]辺りまで大学生の時に読みました。大分忘れています…かなりの長編で、この作品を理解するまで読み込むのは大変ですね。


そんな訳で、考察としては中途半端なのですが、ワーグナーが気になって来て(トリスタン和音も気になり)《トリスタンとイゾルデ》を聴いてみることにしました。

ドラマチックで良いラブバレエにしたら合いそう!


YouTubeで探したら、ピアノ独奏バージョンもありました。リストが編曲している…出たわね、リストさん。

弾いてみたいけど、リスト編だから難しいんやろなぁ。弾きあい会とかで弾いている人見た事ないし。

難易度調べたら、やっぱり上級で、プロでも苦労すると書いてありました。


譜読みしておらず、聴いただけなのですが、ワーグナーにも意識の流れを感じました。

『失われた時を求めて』の、マドレーヌの味が呼び起こした過去…少年時代の回想へと、隔たりなく流入して行く様。

《トリスタンとイゾルデ》の同じフレーズが繰り返される中、いつの間にか転調しているように。

これはシューベルト《即興曲90-3》でもそうでした。

また、終止感が無く続いて行く所も。


何だか、練習している曲にもトリスタンっぽい部分があるな〜。

トリスタンとイゾルデ↓


練習中の曲↓32小節目から

着地しそうでしなくて、ふわふわ風に舞う綿毛のような動きが似てませんか?どこに向かうのか分からないまま漂っている感じ。



ヴァージニア・ウルフ

プルースト

シューベルト

ワーグナー

繋げて考えると面白いです。