今月のピアノ

無気力感と夫主催ダンスパーティーの準備諸々で、ピアノに触れられない日が多かったです。

時間があればありったけピアノを弾いていたい!いつもならそう思うのに。弾くのが億劫になってしまったことはショック。

ピアノの自分の音を聴くのがしんどい。濁りや雑味があって気分が悪くなってしまう。私の欲しい音じゃない。


しかしながら、体を休められたお陰で、力が抜けて物凄く弾き易くなり、先生からも「随分と音が良くなって、まろやかになりましたね」と言われるようになりました。


弾きあい会は、自分主催を含めて3回。

何故か、人前で演奏するのは少しも億劫ではありません。作品に集中していて、あちこちやらかしても全く気にならない(←気にした方がええで物申す)。上手くいっていないのに、とても楽しくなって来ます。

曲に恋している状態みたいです飛び出すハート


レッスン

仕上がっている曲に関しては、非常に細かい内容のレッスンになっています。

「ここはどういう意図で弾いている?」と随時聞かれ、自分の解釈や意図が、異なって伝わっていたら、それを修正するということを主にしております。


1箇所、技術の問題で意図と違った演奏になっている部分がありました。「クレッシェンドにしたいが、和音の弾き難さで音が出ていません」と先生に話しながら、練習での解決を怠ってしまったことを反省ガーン


それから、音の存在感について。

主張が足りなくて埋もれてしまう音があります。しかし、それは決してfで弾くのではないのです。

「音の強弱ではなくて」と先生が仰るのは、よく分かります。

脇役は目立たないが、やはり存在感がなければならないのです。脇役を演じるのは難しい〜あせる楽譜を読めば、その音はどんな役なのかは分かるのにチュー

どういう音かイメージする→実際弾いて音にする

この理想と現実の隔たりを無くしたいですね。イメージ通りの音を出す難しさよ…。


音の演技について。

どんな場面か?聞かれ「かなり絶望的です」と答えました。それは悲劇的な別れで、怒りや後悔、悲しみでいっぱい。心はどん底に沈み、その後フラフラと力なく彷徨い、倒れ込んでしまいます。

倒れ込むシーンの部分で「その音だったら、平気そうに歩いてる。重い足を引きずっているようにしたいでしょう?まだ元気で大丈夫そうですよ」と先生に言われ、思わず笑ってしまいました。

いけない、いけない。ここで笑ってしまうのは。

役作りが不完全だと思い知りました。

演技に入り込んで感情を入れたら、そういう音になるのかは分かりませんが。

なるべくリアリティーある音にしたい。


「よく勉強して、楽譜を読み取ろうとしている」

「全体的に綺麗に弾けていて美しく、構成もしっかりしているが、細かく聴いていくと、あれ?と思う所がある」

レッスン終わりに、このような講評を頂きました。

詰めが甘いですね凝視

コンクール審査員をされている先生のご指摘に、沢山の課題が見えて来ました。