私が小学生まで悩まされていた現象があります。

現実と空想の境目が無くなり、現実が見えなくなってしまうこと。幻覚を見るのに近い現象が頻繁に起こりました。


誰かの話を聞いていると、言葉がどんどん映像になり、それが広がって取り込まれるようで、私は誰かの話の中に完全に入ってしまうのです。人物や空気感も、リアルに感覚が伝わって来ます。

だから、授業を聞いていても、何か気になることがあり「こうした場合はどうなるだろう?」と考え始めたら止まらなくて、どんどん想像が膨らんで、違う世界に行ってしまいました。

その間の現実の記憶はありません。

我に返ると、タイムスリップした感覚がします。


私は「人の話を聞いていない」とよく怒られました。連絡事項を聞き逃していることが多く、何をしたらいいか、何処へ行ったらいいか分からず、私ひとりだけ行動が遅れていました。(この事に気付くのは何年も先)

まだ子供だから、皆とは違うことに気付かず、どうして私はちゃんと話を聞いているのに、私だけ知らないのだろう?と不思議で、団体行動やコミュニケーションが上手く行かず、とても苦しみました。


その所為で、学校でも家でも怒られる。だけど何故怒られるのか?ちっとも分からないのです。小さい私は感受性が強過ぎて、怒られることのショックは耐え難いものでした。

人間は嫌い。齢8歳にして、死にたいと考えました。

それが余計に拍車をかけました。

現実逃避で境界線をくぐり抜け、1日の殆どは幻想の世界の住人になってしまいました。その頃は粗、幻覚を見ているように、勝手に別の世界が目の前に現れていました。

ある時は、世界の外側から俯瞰で見ている感覚もしました。現実が現実でないような…。私は本当にここに居るのか?夢でも見ているみたいに、目の前の現実を傍観していました。


小学校高学年になると、幻想に包まれると現実が見えなくなる、という事を漸く自分で理解し始めました。

「いつもぼーっとしている」と皆に言われるので。

皆はぼーっとしてない。長い時間色々頭の中で考えたり、想像したりしないのだと知りました。


それから、考え事に集中したり、別の世界がリアルに近付き出したら、抜け出すように自分自身で訓練し、境界線のドアに鍵をかけることができました。


もう、意識しなくても境い目ははっきりしていますが、ピアノを弾いていると、境界線が薄らぐ時があります。

本番で集中して弾いていると、曲の世界の情景がぶわ〜っと広がって来て、ハッとして冷静になると数秒タイムスリップしています。

子供の頃と違って、弾いている間の記憶は朧げにありますが、どこまで弾いたのか?繰り返しのメロディ飛ばしてしまったか?自信がなくて焦ることがあります。

指先の記憶を頼りに、信じられるように、手を第二の脳にして覚えておかなければなりません。

そして、冷静な自分を司令官にして、しっかりコントロールすること。

↑で、対策はしています。


コンサートで音楽を聴く時は、そこまでリアルではないですが、境界線を越えて感覚がやって来ることがあります。

作品の世界が映像になったり、物語になったり。

シリアスで重い作品を聴くのは覚悟が要ります。切羽詰まったような緊張感、絶望感、叫び等がのしかかって来て、聴き終えた後には、死に物狂いで何かしたくらいの疲労を感じ、いたたまれない気持ちになります。

ピカルディ終止が欲しい。ピカルディ〜!!

プログラムは要チェックだな、と思いました。