祖母は抽象画家でした。独学で絵を描き、油絵から日本画に転向しました。



ドイツが大好きで、ドイツへ旅行した時の美しい風景にインスピレーションを受けています。(上の絵。私が物心ついた時からはこのスタイルで、私の中では最も祖母らしいと思う作品です)
フラメンコにも感銘を受けており、下の作品はそのまま《フラメンコ》と題しています。
祖母は社交ダンスも得意で、プロにならないか?と先生に誘われる程の腕前だったそうです。


祖母は中学校の音楽教師で、結婚後はピアノ教室を営んでいました。写真は、発表会で挨拶をしている様子。

私は祖母に5歳からピアノを習いました。

ドイツ好きの祖母はベートーヴェンがお気に入りで、練習曲以外に唯一弾かせてくれた曲は《エリーゼのために》でした。他に《月光》ソナタ第三楽章のピースをくれましたが、残念ながらこちらは教わらないまま、私は大学受験を期に辞めてしまいました。



上は若い頃の祖母。画家になる前だと思います。

下は画家として活躍していた頃。


ちなみに、祖父は美術教師でした。京都市芸大を出ておりましたが、画家としてはあまり売れず、貧乏画家でありました。自宅で絵画教室をやり、それで収入を得ていました。

独学の祖母の方が才能を発揮し、売れるようになったことで、祖父はかなりプライドを傷付けられたのでしょう。始終不機嫌で、稼いだお金は全てお酒と女に注ぎ込んでいたそうです。

その所為で家は貧しかったが、画家として宣伝の為に、祖母はいつもエレガントで華やかな装いをし、宝石を身につけて外に出かけていました

「一流になるためには、一流のものを見て、知り、身につけなければならない」

私によくそう言っていました。


当時、絵の世界は男性社会で、女流画家は蔑まされ「女の描く絵なんて…」と嫌がられたようです。

ある美術協会か何かの展覧会で、祖母の作品が目立たない隅っこの方に展示されました。嫉妬による嫌がらせです。しかし、力のある画家の先生が「何故この作品がこんな所にあるんだ?」と言い、中央の最も良い場所に変えられたという。

「本当に実力があれば、認めてくれる人がいる。実力が無い者は、中途半端で自信が無いから、他人を認めずに嫉妬する」

祖母は決して自信を失わなかった。ずっと誇りを持って闘って来た人でした。


私はこれからピアノコンクールに出ますが、自信を持って挑めるようにしたいです。

自分を過大評価も過小評価もせず、冷静に自分の実力を知り、その中でのベストを出せるように。



ずっと、亡き祖母の作品と生き方を記事に残したいと思っていました。

読んで頂きありがとうございます。