新しいもの見つけるとしばらくそれに没頭してしまう、そんな癖がありしばらく投稿はお休みしていましたw

ふと考えると、歌の師匠のレッスンに頻繁に行っていた時期と少し回数を減らした時期がありましたが、今思うとどっちも大事だったかなと。

歌のレッスンでは師匠に頭で考えるなっ!とよく言われていましたが、ある程度までいくと、やはり内観する時間は必要。

もちろんレッスン中は何も考えない方がいいのかも知れませんが、その後冷静に考える時間はある程度必要かと。

レッスンが頻回過ぎると今度は行くことに満足してしまい、実のところ何を言われたか真に理解するまでの時間がなくなってしまう。もちろん、それは器用不器用でタイプが異なるかもしれませんが。


成長するということは、繊細になっていくこと。いろいろなものが視えてくること。

それは神経質になっていくという意味ではなく、身体の感覚器官、センサーがより細かく豊かになること。

もしかするとがむしゃらに頑張りすぎているときは逆効果になっていることも??

そんな時は内観の時間をとるべきかもしれません。


身体のセンサーがより繊細になっていくと、気持ちは神経質になるよりむしろ、穏やかでもっと自由な方向に向かうはず。

なぜなら、自分のどこが緊張しているかが分かりだすので、リラックスも出来るはず。もし頑張り過ぎて神経質になってきた時は、休養をお勧めします。

熱心な時期やたまにお休みの時期、それを繰り返しながら発見していくものも、確実にあると思います。


呼吸法開眼・ボイストレーナーkamin

歌の師匠によく言われた言葉、うまくいっている状態とは、とてもシンプルであるw

確かに私の経験からも、物事を小難しく考えている間は何かが違う可能性が高い。


呼吸法も開眼前とその後、何が変わったか。呼吸の仕方がとてもシンプルになりましたw



おそらく人間の身体、機能はシンプルなのかもしれません。もしくは、そう感じることが本来の状態かもしれません。


もちろん、その動きを分析、解析し、物事に名称を付け出すといくらでも複雑化することは容易いと思いますが。



ところで、それなら何も考えず何も知らずに行動していることがシンプルなことかと言うと、それは本来の自由な状態を知らないので、ただ現状の不自由さを知らないだけ。


そういう意味ではどの道、技能や身体の探究に踏み込んだ人達にとって、複雑化は一つの通過点とも言えます。


そう考えると複雑化はある意味必要なことであり、それでもいつか足枷にもなり得ます。


そんな時は、真理はシンプルなんだ、と思うとそこからまた抜け出せるヒントになるのかもしれません。



呼吸法開眼・ボイストレーナーkamin

呼吸法と言うのは簡単ですが、その練習をしただけで、いきなり何か呼吸が変わることはないと思っています。


呼吸は全てに繋がっている行為ですので、呼吸が変われば発声も変わり、動きも変わる。動きが変われば生活も変わっていきます。

そのことを考えると、逆に呼吸に対するアプローチ法は様々なように思います。



私は変にマニアックなところがありますので、本当なら毎日練習やトレーニングをして過ごしたいw

でも日々生きていく中で、それだけで生活するのはなかなか難しいwww


ではどうするか!?


日々の生活一つ一つを訓練(身体を見つめる)場にするしかないと思っています。



例えば歯を磨いている時

(私の場合、気が抜けていると片脚だけに体重が載っていたり、急いで磨くと脚の外側に体重が載っていたり)



歩いている時

(ふと気がつくと胸が落ちて、顔が前に出ていることが)



通勤電車で立っている時

(筋力ではなく、骨格で立てているか、重力に対して脚の前側や外側で踏ん張っていなか。。。混み具合や揺れで倒れることもあるので、自己責任でどうぞw)



お風呂掃除をしている時

(前腕だけの動きになっていないか、肩甲骨も使えているか)



等々、日々の生活の中で楽しんで身体の研究をしています。



歌の師匠には、プロの歌手が皿洗いをしているのか、皿洗いをしている素人が歌の勉強に来ているのか、普段の在り方は大事だよ、とよく言われていました。



生活、仕事、練習。。。etc

全てを分けて考えるのではなく、1つの在り方の中の1シーンであると考えられると、また何か大きな変化が生まれるのかもしれません。


呼吸法開眼・ボイストレーナーkamin