伊勢神宮外宮 | 「全タイスピリチュアル」神様のメッセージをチャネリング

伊勢神宮外宮

豊受大神宮












三重県伊勢

豊受大御神


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人は慣れると

自分の本性が出るものです。


そこに居心地の悪さを感じ

改善したいと思う心

そして我々のように

全ての現象を只見つめる心もあります。


どちらの反応が正しい

ということもありません

人間の習性

そして足りない状態から

満たされようとする

人の心の習性なのです


満たされて居ない

という前程では

全てのものが

障害となるのです


全ての人は

あなたが満たされるために

成し遂げないといけないことの前に

立ちはだかる

障害の存在でしょう。


この障害の前で

あなた方は

自分の体力に合った

相応な態度を取るのです。


あなたと体力の

組み合わせで

満たされない

という状況にもがくのです


あれをすれば

これをすれば

と競争の様に前へ急ぎ

全てが人との距離感で

測れてしまうでしょう。


他の人がこうしたから

私はこうする

という距離感、競争感です。


そんな風に1日が

走り抜けて行く人が

多く居ます。


全ては満たされて居ない

という状況と

満たされるための条件

の舞台なのです。


そして満たされるための条件は

回を重ねるごとに

増えて行くでしょう。


失敗は自分が特別じゃ無かった

という結論に結びつくからです。


満たされるために

どうしたらいいか


全ての満たされるために必要な

条件を放棄するのです。


満たされるために

条件を自分で付けないことです。


しかしこの条件は

こびりついた垢のように

なかなか落とすことが出来ないかも知れません。


しかし何物も

満たされない

という結論へ向かう理由となるものは

ないのです。


全てが満たされる理由

となる訳です


満たされない状態

というのは

本当に不安でしょう。


全てのものが

満たされない理由となるように

感じることでしょう。


全てがあなたの敵のように

感じるかも知れません。


そして更に失うことで

以前の自分の好条件に

ようやく気がつくのです。


今ここで直ぐに

満たされる必要があるのです

出来るだけ最小限のコンディションで

全てが満たされていることに

気がつく必要があるのです。


満たされる

ということに

条件をつけるべきでは無いのです。


この考え方が

物質的な

考え方だったことに

気がつき

そのような兆候を

只見つめるのです。


我々のように

只現象を見つめるのです。


何も反応せず

現象を見つめ

そしてその現象が

光を伴い消えて行くのを

眺めるのです。


もがかなければ

生まれて消えて行くもの

反応を起こすから

現象は存在意義を感じ

ここに存在し続けるのです。


反応しないと

食べ物がなくなり

存在しなくなるのです。


反応こそが

現象、問題が存続する原因なのです。


反応せず

只見つめること

ここには美徳があります。


これが根元に

繋がるということだからです。


そうとは分かっても

あなたは

問題に心を囚われるかも知れません。


そうすると

問題はもう

あなたの一部となり

ストーリーを語り始めるのです。


他人に、他の存在に

助けを求め始める

準備ができてくるのです


もう自律して

ものを考えることが出来ず

依存してやり過ごすことを

覚えるようになるのです。


そうするとどうでしょうか。

様々な身体不調

怒り、感情の波

忙しさ

そして更なる問題が

芽を現すでしょう。


良いことと

問題の狭間を歩き

常に良いことと悪いことに

囲まれて生きることになるでしょう


良いことと

悪いことの

カテゴリー分け

とても不便で制限をかける

存在ですね。


あなたが

満たされて居ない

という状況に浸りきると

こんな考え方で

ものを判断するようになるのです。


良いこと悪いこと

と判断するくらい

この現象界に浸りきると

只見つめるという

浄化の行為に辿り着かなくなるでしょう。


只見つめる

ということが

満たされた状態なのです。


不安はあるでしょう

物質的なものを

失う可能性があるのですから


しかしそのように

恐怖を持ってして

もがくことで

問題は存在し続けるのです。


恐怖は問題が存続する

一番の餌なのです。


今直ぐ

ここで満たされなさい。


条件無しで

ストーリー無しで

満たされなさい。


自分自身を

幻想の中で無くすのは

余りに勿体無い


良い状況

悪い状況の中に

自分は居ません。


何か必要

という電波から

何も必要じゃない

という電波になるのです。


全てを持った人のところには

何も奪われないから

人が安心して集まります。


「安心」とは有るということ

「恐怖」とは無いという状態なのです。


乞食の様に

無いと言い続ける自分と

いつまで付き合い続けるつもりでしょうか。


本来の自分は

全て持っているのですから。