マヤトレイヤ
1/19
肉食について
タイミング的に肉食が必要なタイミングが、
人生にはあるかもしれません。
かけがえの無い肉体を尊重し
そして敬いましょう。
肉食することを
否定する気持ちは必要無いです。
かけがえの無い
唯一無二の親愛なる肉体です。
どこまでも尊敬し
敬いましょう。
肉体を好きになる理由
嫌いになる理由
否定する理由
必要無いですね。
細部のディテールにより
悩まされる時代は終わりました。
理由..
これが無いと気落ちが動きませんか?
好きになるのに
理由が必要ですか?
理由というもので
人生何度も振りまわされましたね。
理由があったから
嫌いになった
後悔している別れもありますね。
肉食したから
--出来ない。
立派な理由ですね。
納得して本を閉じそうになる。
そのように簡単に
神殿である肉体を否定する気持ちが
起こりましたね。
理由というのは
簡単に私達の脳に潜入し
支配を行うのですね。
あの時(ついさっき)
美味しいと和牛を食べた自分
特に脂が美味しいと思う自分
今
肉食したから--なんだ
と思う自分
自分、肉体を否定する自分
この2つを繋ぐのが
理由
なんですね。
理由があると
簡単に結論を出してしまう
本をそっ閉じして
自分否定の上で
今日はもういいやと
眠くなるまで娯楽を貪り
自分でいることを諦める
理由とは
凄いパワーがありますね。
この後3時間の時間の過ごし方
簡単に変わりますね。
今回理由は:肉食
結論は:自己否定
でした。
その他の理由でも
結論が自己否定になったこと
心当たりありませんか?
毎日「理由」が
あなたにチャレンジを仕掛けて来ますね。
理由をジャンプできる日もあり
理由に飲み込まれる日もある。
ひどい時は
理由に長期間飲み込まれる時もありますね。
神社へ参っても無駄
そのくらいの強い理由
対面したことありますね。
まずは今日、
肉食を楽しみ
神が宿る神殿、肉体を否定することも回避しました。
理由をジャンプ出来ました。
まあそんな難しいジャンプではありませんでした。
今日のことだけ考えれば
ジャンプはふわっと浮きました。
今まで10年以上の
菜食主義の人生を振りかえれば
ジャンプはとても重く、
足が絡れたでしょう。
最近ボカロの新曲(ピノキオピー)聴いて
昔好きだった曲を聴いてない
昔を振り返る習慣が無い
この日常の思考の癖のお陰で
今日のことにフォーカスしやすかったかもしれませんね。
理由とは
過去を足すことにより
大変重く
乗り越え難くなる性質があります。
好き
嫌い
否定
肯定
これは理由に紐づけられる
結論の一部ですが
実はこの結論は
存在していない幻想です。
理由というものが
現実と幻想の橋渡しをしています。
何も関連のないもの同士が
繋がり合うのです。
しかし理由というのは
そもそも
好き
嫌い
否定
肯定
の前に必ず現れて
繋ぎ合わせるのでしょうか。
それとも
好き
嫌い
否定
肯定
が起こった後
これを正当化する為に
後付けで
理由が現れるのでしょうか。
人間の習性で
好き
嫌い
否定
肯定
このようなものに
安住したい
分かりやすい結論に安住し
それ以上現実と
向き合いたく無い
そういう習性がありますね。
理由を簡単に受け入れるのは、
安住の地に行き着きたいからです。
何故かというと
エネルギーの消費を節約できるからです。
しかし実は理由に支配され
安易に結論に行き着くことは
エネルギーを括弧させるようになり
悪循環です。
何か幻想に心を囚われている時
エネルギーは受け取れませんからね。
エネルギーをこれ以上消費したくないから
早めの結論下しをする事で
今あるエネルギーの消費は節約出来ますが
これ以上のエネルギーのインプットはありません。
今回の場合
1、
理由:肉食
結論:自己否定
2、
肉食を楽しんだ
今も楽しい
1、と2、の夜の過ごし方があったのですね。
ありのままの現実を受け入れる
と言っても
観念的で日常に生かすのは
難しいかも知れません。
具体的に説明すると
このような「理由」の介在を許すかどうか
という事なのですね。
まあ、食べ過ぎは良くないです。
残しておいて明日食べれば良いのに。
