学校でお金をもらおう! | ウィーン在住30年のオペラ座の愉快人“堀いくよ”の面白オペラ座裏話

ウィーン在住30年のオペラ座の愉快人“堀いくよ”の面白オペラ座裏話

ウィーン在住のオペラ歌手、堀いくよです。元は漫画家を目指していました!そして、本名です。現地の面白い話や、歌について綴っています‼

 

 

 

 

わたしが昔勉強していたウイーン市立音楽院は

 

 

今は私立音楽大学となり、

 

 

システムやら教授やらは

 

 

わたしが勉強していた頃とかなりかわってしまった。

 

(かなり時間もたっているし)

 

 

 

 

 

しかし当時の学生は非常に恵まれた存在だった。

 

 

市立音楽院の年間の授業料はなんと

 

 

 

 

 

8万円くらいだった!ポーン

 

 

 

 

当時の日本の音大とはまるで桁が違っていた。

 

 

 

しかも日本と違って、入学金なんてものもなかった。

 

 

 

 

それに当時の国立音楽大学の授業料はもっと安かったと思う。

 

 

 

 

しかもオーストリア人や

 

 

発展途上国からの留学生は

 

 

 

無料だったのだ!

 

 

 

 

 

そんなに格安な授業料であるが、

 

 

さらにお得な、授業料借り引き制度と

 

 

返済不必要な奨学金制度があった。 

 

 

 

 

いずれも授業態度・成績がよく、

 

 

学費・生活費のために仕事をしている学生に限られ、

 

 

 

また担当教授からの許可が必要だった。

 

 

 

 

授業料の割引は確か、25%くらいだったと思う。

 

 

だからわたしは在学中は

 

 

年間で6万円くらいしか払わなかった。

 

 

 

 

奨学金と言ってもほとんど“書籍代“という感じで、

 

 

月に1万円くらいしかもらえなかったのだが、

 

 

一年で12万円だから、授業料の倍は

 

 

もらっていたことになる。

 

 

 

しかも

 

 

 

 

 

オペラ科は当時一年で5、6回ほどの学校公演があり、

 

 

一回の出演に対して

 

 

ソロでもコーラスでも

 

 

 

 

 

3000円ほどのギャラがもらえたのだ!!!

 

 

 

わたしは教授陣にお願いして

 

 

ソロを歌う日以外は、

 

 

必ずコーラスに割り当ててもらった。

 

 

 

ほかの生徒からは

 

 

「そんなにコーラスが好きなの?!」ビックリマーク

 

 

 

と不思議がられたりしたが、

 

 

安くても音楽でギャラがもらえるんだから、

 

 

わたしは大喜びでやっていた。音譜 ニコ

 

 

 

 

もちろん

 

 

それ以外にいろいろな一般社会の

 

 

学生割引があるのだから、

 

 

学生たちは本当に恵まれていた。

 

 

 

 

2年間の短縮で卒業し、

 

 

ディプロマをもらったわたしだったが、

 

 

一応成績がよかったので

 

 

特待生ととして、後2年間は学校に残ることも

 

 

許された。

 

 

 

 

 

 

しかし仕事やら何やらで忙しかった私は

 

 

学校を2年で辞めることにした。

 

 

 

 

 

が・・・・

 

 

すぐにお金がなくなってしまい、ショボーン

 

 

 

生活するのが精一杯で、

 

 

 

自分の勉強のために

 

 

歌などのレッスンを受けたり、

 

 

さらに楽譜を買うこすら

 

 

難しくなくなってしまった。

 

 

 

 

 

そんなこんなで、2、3ヶ月もたたないうちに

 

 

 

「お金がないので、学校に戻ります」

 

 

と言ってほかの日本人留学生を

 

 

驚かせた。 ニヤリ

 

 

 

 

学校に所属していればオペラ科の授業に加えて、

 

 

コレぺティトゥアの音楽稽古や

 

 

イタリア語のレッスンなども

 

 

無料で受けられる。

 

 

 

お金をもらえたうえにそんなメリットがあるのだから、

 

 

学校に戻って2年間の権利をフルに活用したのは

 

 

 

何も不思議なことではないだろう。