本日はオペラは行かないので、アンコナへ出かけました。昨日のレポートは後でSが書きます。私Mはアンコナの話を・・・・・
アンコナはペーザロから急行で30分、鈍行で1時間ほど南に下がった、ローマ時代からの港町です。電車賃は10ユーロ位、駅が大方のヨーロッパの町のように町はずれですので、町の中心までバスで10分ほど(バス代は二人で3ユーロ位、切符は駅のタバコ屋さんで購入)です。
大体町の中心はJ.Fケネディ通りのバス停で降りれば大丈夫です。結構人が降りるので、乗り過ごしはないでしょう。
日本ではあまり情報がなく、駅のキオスクで地図と簡単なガイドブック(イタリア語のしか無かった)を買って歩き始めました。先ず両替所を探しに行って、町を彷徨ったんですが、その話は後日書きます。でこの町は長崎のような港に向かってすり鉢状になった町なので、一番高いところを目指しました。そこはローマ時代からの船の見張所で(今は灯台が立っていました)周りを公園で取り囲まれています。そこまでの道が坂道と階段で迷路のようになっていて、歩くのには面白い町でした。
見どころも多く、もっと日本人が行ってもいい町です。ペーザロには日本人の方は多かったのですが、さすがここでは東洋人には会いませんでした。
港には大型客船(地中海クルーズや東欧側へのフェリー)が何隻か停泊していました。ちょうど出航するフェリーがあり、ヴァカンスシーズンですから、家族を満載にした乗用車や、トレーラーがたくさん乗っていきました。(M)
後で昨日のオペラリポートを。
固い話の後は、ペーザロの町の案内を・・・・
ペーザロは駅から続く一本のメインストリートが海までまっすぐに降りて行き、海岸で広い公園にぶつかります。その道の駅に近い方に劇場があり、そのあと両側にファッションのお店、ロッシーニの生家(今は一般に公開されています)、何軒かの本屋、CDショップ(クラシックのCDはあまり置いてありません)、バール、レストランが並び、海岸にはホテルとレストランが並びます。
海岸にはパラソルが並び、バールやレストランも並びます。湘南の海をもうちょっと大人の雰囲気にした感じです。
海は緯度の割には思ったより暖かく、地中海につながるアドリア海だと思いました。
日本の方でフェスティバルにいらっしゃる方々は多いと思いますが、日中歩いていてはあまり会いませんね・・・・・どこにいらっしゃるのかな?
午前中劇場にチケットを引き換えに行って、そのあと駅のそばのデルモナコのお墓に行ってきました。墓地の前のお花屋さんで、バラのブーケを作ってもらって(かわいいブーケが14ユーロで出来上がりました)、お墓に行ったら、いくつかブーケがありましたので、来られる方は多いんですね。
そのあと海岸でのんびりお茶して、今ホテルの部屋です。
これからちょっと昼寝して、6時ごろ着替えて出かけます。
またツイッターで現場の雰囲気は画像を送ります。
ペーザロは駅から続く一本のメインストリートが海までまっすぐに降りて行き、海岸で広い公園にぶつかります。その道の駅に近い方に劇場があり、そのあと両側にファッションのお店、ロッシーニの生家(今は一般に公開されています)、何軒かの本屋、CDショップ(クラシックのCDはあまり置いてありません)、バール、レストランが並び、海岸にはホテルとレストランが並びます。
海岸にはパラソルが並び、バールやレストランも並びます。湘南の海をもうちょっと大人の雰囲気にした感じです。
海は緯度の割には思ったより暖かく、地中海につながるアドリア海だと思いました。
日本の方でフェスティバルにいらっしゃる方々は多いと思いますが、日中歩いていてはあまり会いませんね・・・・・どこにいらっしゃるのかな?
午前中劇場にチケットを引き換えに行って、そのあと駅のそばのデルモナコのお墓に行ってきました。墓地の前のお花屋さんで、バラのブーケを作ってもらって(かわいいブーケが14ユーロで出来上がりました)、お墓に行ったら、いくつかブーケがありましたので、来られる方は多いんですね。
そのあと海岸でのんびりお茶して、今ホテルの部屋です。
これからちょっと昼寝して、6時ごろ着替えて出かけます。
またツイッターで現場の雰囲気は画像を送ります。
名物に美味いものなしとはよく言ったもんだ。いつかは観てやろうとずーと考えていたヴェローナの野外オペラを昨晩観ることができた。ちょうどこのオペラ祭も今年で百周年なのだそうだ。記念イヤーという事でドミンゴが来てナブッコのタイトルロールを歌うのとアイーダの指揮をするのが目玉になっている。私が観ることができたのはアイーダだった。
アレーナは想像していたよりも狭いものだった。もう無くなっちゃった川崎球場や大阪球場ぐらいの広さを連想した。すり鉢状のスタンドになっていて平土間の客席と舞台を見下ろす形になる。
名物のキャンドルサービスの蝋燭は小さいバースデイケーキ用のものを入り口でくれる。当然スポンサーは地元のお菓子屋さん。私の席はサイドのウィーンの国立だったら2階の上手のロジェあたりだった。異様に乾燥していて水が欲しくなるがそこは球場と一緒でコーラ,水、アイスクリームは抜け目なく売りに来る。因みにカン入りのコーラは4ユーロだった。他にプログラム、クッションも売りに来た。
会場は満席の盛況。大人数で豪華なセットでグランドオペラをやるのだからオペラをそう知らなくても楽しめるという事なのだろう。ドレスコードは平土間の席はあるとのことだったがそこはイタリアのおおらかさか奥方が素晴らしく大胆なドレスを着ている来ているかと思えば旦那はポロシャツにジーパンだったりする。夜の九時に始まり終演が次の日の1時近くなるにもかかわらず子供もおおぜい居た。子供にとっては拷問に等しいのではないだろうか。
さて肝心の演奏について書こう。青天井でオペラというのはかなりきついということだ。それに大人数の合唱は余程ここで歌うことになれていないと絶対に遅れる。指揮もよくみえない位置もあるだろう。指揮はダニエル・オーレン。新国のこけら落としのアイーダでゼッフィレルリと大喧嘩しておりた指揮者でご記憶の人も多いだろう。彼は悪い指揮者とは思わないがこのヴェローナでは何もできなくて安全運転に徹していたという印象しか持てなかった。これは20年以上前にヴェローナが来日して代々木の体育館で公演をした時のサンティの印象と全く同じだった。オケも人数は多いのだがそれに見合うだけの音量とは思えずおっかなびっくりという印象。オーレンが金管もっと出せと神経質に指示を出していた。合唱は女声合唱はプロの人が多く男声合唱は声自慢のアマチュアが多いと思った。どうしてもオケや他のパートを聴いて歌うとこれだけの人数だからテンポが遅れる。1幕の‘グウェラ、グウェラ‘と受け継ぐ男声合唱は崩壊寸前だった。
逆に女性は2幕のアムネリスを讃える合唱、1幕後半の神殿の場での裏コーラスなどしっかりテンポ通りだった。どこの国でも男声合唱は集めるのが大変と見える。大人数集めるとすれば玉石混淆もやむを得ないという事か。ソリストも残念ながらすべてが玉とはいかなかった。
良かったのはアイーダのチェンドリス、アモナスロのマエストリ、名前は今思い出せないがエジプト王の東欧のバスだった。ラダメスの巨漢べトリ、アムネリスのウルマーナはとにかくやりたい放題まるで知性を感じなかった。ということで冒頭の言葉に戻る名物に美味いものなしだ。
大味で観光客向けの特に質を求めない印象だ。ただこのヴェローナの位置はイタリアオペラの歴史の中では重要な位置にあるはずだ。戦後のイタリアオペラの黄金時代の歌手たちは駆け出しの頃はほとんどの人が出演している。これは凄いことだ。いわゆる聖地としてもおかしくない。
ここで認められれば飛躍できる。そういう野心の場だったのではないだろうか。
ただ今回実際に現地で聴いてみてヴェローナ当局はその聖地化にはどうやらあまり興味はないようだ。シミオナートがヴェローナのキャンドルサービスを見ながら「あの時はエスカミーリョはバステイァニーニでね。今日のバリトンとは比べものにもならないわ。」としみじみ言った話をどこかで読んだがそういう記憶も忘れ去られる運命にあるかと思うとちょっと残念だ。
最後にこの公演の最大の功労者は裏コーラスを振った無名の副指揮者であることを記憶しておこう。彼がいなければもっと印象は悪くなったろう。そしてもっとも足を引っ張ったのは舞台転換の裏方たちだ。あんなに能率の悪い仕事は見たことが無い。(S)
アレーナは想像していたよりも狭いものだった。もう無くなっちゃった川崎球場や大阪球場ぐらいの広さを連想した。すり鉢状のスタンドになっていて平土間の客席と舞台を見下ろす形になる。
名物のキャンドルサービスの蝋燭は小さいバースデイケーキ用のものを入り口でくれる。当然スポンサーは地元のお菓子屋さん。私の席はサイドのウィーンの国立だったら2階の上手のロジェあたりだった。異様に乾燥していて水が欲しくなるがそこは球場と一緒でコーラ,水、アイスクリームは抜け目なく売りに来る。因みにカン入りのコーラは4ユーロだった。他にプログラム、クッションも売りに来た。
会場は満席の盛況。大人数で豪華なセットでグランドオペラをやるのだからオペラをそう知らなくても楽しめるという事なのだろう。ドレスコードは平土間の席はあるとのことだったがそこはイタリアのおおらかさか奥方が素晴らしく大胆なドレスを着ている来ているかと思えば旦那はポロシャツにジーパンだったりする。夜の九時に始まり終演が次の日の1時近くなるにもかかわらず子供もおおぜい居た。子供にとっては拷問に等しいのではないだろうか。
さて肝心の演奏について書こう。青天井でオペラというのはかなりきついということだ。それに大人数の合唱は余程ここで歌うことになれていないと絶対に遅れる。指揮もよくみえない位置もあるだろう。指揮はダニエル・オーレン。新国のこけら落としのアイーダでゼッフィレルリと大喧嘩しておりた指揮者でご記憶の人も多いだろう。彼は悪い指揮者とは思わないがこのヴェローナでは何もできなくて安全運転に徹していたという印象しか持てなかった。これは20年以上前にヴェローナが来日して代々木の体育館で公演をした時のサンティの印象と全く同じだった。オケも人数は多いのだがそれに見合うだけの音量とは思えずおっかなびっくりという印象。オーレンが金管もっと出せと神経質に指示を出していた。合唱は女声合唱はプロの人が多く男声合唱は声自慢のアマチュアが多いと思った。どうしてもオケや他のパートを聴いて歌うとこれだけの人数だからテンポが遅れる。1幕の‘グウェラ、グウェラ‘と受け継ぐ男声合唱は崩壊寸前だった。
逆に女性は2幕のアムネリスを讃える合唱、1幕後半の神殿の場での裏コーラスなどしっかりテンポ通りだった。どこの国でも男声合唱は集めるのが大変と見える。大人数集めるとすれば玉石混淆もやむを得ないという事か。ソリストも残念ながらすべてが玉とはいかなかった。
良かったのはアイーダのチェンドリス、アモナスロのマエストリ、名前は今思い出せないがエジプト王の東欧のバスだった。ラダメスの巨漢べトリ、アムネリスのウルマーナはとにかくやりたい放題まるで知性を感じなかった。ということで冒頭の言葉に戻る名物に美味いものなしだ。
大味で観光客向けの特に質を求めない印象だ。ただこのヴェローナの位置はイタリアオペラの歴史の中では重要な位置にあるはずだ。戦後のイタリアオペラの黄金時代の歌手たちは駆け出しの頃はほとんどの人が出演している。これは凄いことだ。いわゆる聖地としてもおかしくない。
ここで認められれば飛躍できる。そういう野心の場だったのではないだろうか。
ただ今回実際に現地で聴いてみてヴェローナ当局はその聖地化にはどうやらあまり興味はないようだ。シミオナートがヴェローナのキャンドルサービスを見ながら「あの時はエスカミーリョはバステイァニーニでね。今日のバリトンとは比べものにもならないわ。」としみじみ言った話をどこかで読んだがそういう記憶も忘れ去られる運命にあるかと思うとちょっと残念だ。
最後にこの公演の最大の功労者は裏コーラスを振った無名の副指揮者であることを記憶しておこう。彼がいなければもっと印象は悪くなったろう。そしてもっとも足を引っ張ったのは舞台転換の裏方たちだ。あんなに能率の悪い仕事は見たことが無い。(S)