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operabuffのブログ

OPERA BUFF(オペラ・バフ)とはオペラ狂のことです。 オペラが好きな方や興味を持ち始められた方にご満足いただけるよう、オペラと歌曲の関連古書と中古CD、西洋文化やコスチュームの関連古書、レンタルコスチューム、歌舞伎や演劇の関連古書を揃えております。

ペーザロではどんな服装でオペラに出かけるのでしょうか?
Mがリポートします。

基本的にペーザロは海辺のリゾートです。歩いている人は海岸でのんびり出来る服装、短パンにTシャツ、リゾートドレスです。
その延長線上にオペラへ出かける服装があります。
もちろん男の人はジャケットにネクタイの人も多いですし、日本でいうクールビズ系の服装の人もいます。Tシャツ、ジーンズの人もいないわけではないですが少数派です。女性はリゾート系のロングドレス、ワンピースか、しゃれたブラウス+スカート、パンツが多いです。アクセサリーにこっている人も多いですね。

ベローナより観光客が少なく、全体に経済的に余裕がある人のリゾートという感じで、平均年齢も高いかな。オペラに来ている人はその傾向がもう少し強くなります。

少し日常よりは、頑張っている人が多いかな。
日本人も多いのですが、もう少し頑張ってほしいかな・・・・・


オペラのレベルが結構高いので、それを楽しみに毎年来ている人が多そうです。
また、町のお店で、色々ドレスを売っていますので・・・ちょうどバーゲン時期です・・・それを買って着ていってもいいかなと・・・・

今年のペーザロ、ロッシーニ音楽祭のハイライトはアルノール役にディエゴ・フローレスを配したこのアレーナでのウィリアム・テルであることは間違いないだろう。カフェのウエィターのお兄さんまで「ヴァカンスか?」と聞くから「Si.」と答えると「オペラか?」と聞くからこれも「Si.」と答えると「ウイリアム・テルだろ!」と言う始末だ。
アレーナへは無料バスがホテルが集中している海岸通りのフェルマータまで来てくれる。
6時の開演で4時半にバスが来る。その頃になるとオペラに行く人が出てくるんだがわが同邦人もどこにこれだけいたのかと思うほど湧き出てくる。普段は街中では居ないわけではないがほとんど見かけないのだ。銀座通りともいうべきロッシーニ通りを外れるともう同邦人にはまず会わない。
ペーザロの町は小ぶりでいて道が意外と入り組んでいてぶらぶら散歩するには楽しいと思うんだが。
せっかく来たんだから歩くべきだと私は思う。
人を見たら泥棒と思えっていわれたのかしら?勉強好きの日本人だから今晩観る演目の勉強でもホテルでしているのかしら?つまらんことだ。

本題に戻ろう。アレーナはバスで10分ぐらいだった。どこにでもある体育館だった。スタンドまで使用して球場のようにコーラ売りに来るのかと思ったが入るとスタンドは客席としては使わず、客席は板で平土間を囲いその中に客席を置いていた。要するに即席の小屋を作ったのだ。
ヴェローナとは根本的な姿勢の違いを感じる。スタンドは最終幕で借景で人を置いて使用していた。

ウイリアム・テルはシラーの原作でロッシーニの書いた最後のオペラだと思うがCDにしたら三枚分でかなり長いグランドオペラだ。正直飽きるぐらい長い。ただ今回の演奏はソリスト、合唱、バレエなど総じて良くて眠るほどつらい瞬間はなかった。
何といってもディエゴ・フローレスの声は期待以上に素晴らしかった。久しぶりにオペラスターを聞いた感じがする。容姿も良くゲッダ、クラウスの後継者になることは間違いないだろう。
いの母音でハイノートをポンポン出すのが驚異だった。フローレスに感化されたのか他のソリスト、合唱も熱演。合唱とオケはボローニャのテアトロコムナーレの人たちだった。リコルディのヴォーカルスコアを見るとわかるがこの作品のスコアの厚さはかなりある。合唱団も覚えるのも大変だったのではないだろうか。開幕の合唱のハーモニーが素晴らしくフローレスが歌う前にそれだけで幸せになれた。こんなことって珍しい。他のソリストではテル役のアライモがノーブルで良かった。巨漢でもう少し痩せた方がいいと思うが。
唯一ブーイングが出た瞬間があった。圧政者側であるオーストリアのゲスレルのパーティで民衆が余興のバレエを踊らされるが出席の高級軍人たちが苛める。バレエはとても巧くて妙にリアルなのが災いしたのかそれが観るに堪えないと思われたらしい。私はブーイングするほどでもないと思ったが。

演出はグラハム・ヴィック。衣裳・装置はポール・ブラウン。ともにわかりやすく衣裳は時代的には19世紀後半から20世紀初頭。民衆は赤旗を振る。舞台は三角形.死角はほとんど無かった。
さて高水準の公演で大いに満足したがロッシーニのグランドオペラセリアはもちろん難しいしそれ以上に現代人のオペラ鑑賞感覚からするとちょっとしんどいのではないかと言うのが正直な感想だ。当時のパリではこの長いオペラを最初から最後までずーとみてた人は稀だったのではないだろうか。パトロンの旦那は贔屓のバレリーナが出る幕だけ見て帰るとか、贔屓の歌手が出る場面しか見ないのが主流だったのではないだろうか。そういえばウイリアム・テルは全4幕だがどの幕も独立し聴いてもそれだけでもひとまず完結しているのに気が付いた。
やはりロッシーニはスピード感のある軽妙なブッファがいいというのが結論というところか。
ロッシーニ本人もそのことは承知していたのかもしれず早い時期に筆を折った理由もそこらにありそうな気がする。
皆さんはヨーロッパの比較的古くて小さい素敵な劇場にお入りになったことがあるだろうか?このペーザロのロッシーニ劇場も期待にたがわず良い劇場だった。
ただ困るのはトイレが小さいことだ。アン・デア・ウィーンの3階にはなんと個室が一つしかなかったしロンドンのハーマジェスティック劇場も最上階に個室が二つそれも一つは鍵が壊れていた。
魅力的な劇場ほどその傾向が強い。ロッシーニ劇場も予想はしていたが私が使用した場所は個室が二つ各国の素敵なジャケットの紳士たちが辛抱強く行列を作っていた。
これからいらっしゃる方はそういうものだと思い始まる前に済ませた方がよろしいと思う。
まあそんなくだらないことはともかくペーザロのロッシーニフェスティバルはロッシーニをまとめて聴ける唯一の機会といえるオペラファンには見逃せない行事となった。
普段日本にいるとそう聴く機会は多くない。ロッシーニのおまとめ買いのチャンスといったところか。
今回はペーザロに一週間滞在してみることにした。
なりゆき泥棒の初日を観た。ポネル演出の才気あふれる舞台はけして観客を飽きさせない。
後ろに座っていたドイツ人の坊やはケラケラ楽しそうに笑っていた。とにかくスピーディな展開。澱みない台詞、アンサンブルがロッシーニの命だ。その意味ではものすごいハイレヴェルな舞台だった。充分けいこを積まないとあそこまではいかない。実はラードロという単語に惑わされて泥棒かささぎとばかり思っていて序曲がなるまで誤解にきずかなかった経緯があるのだがどんなお話かも知らずに見ても充分楽しめるのがロッシーニたる所以なのだろう。
最初舞台上には何もない。興行師役の黙役が登場してトランクから楽譜を出して指揮者に渡すところから始まる。序曲の間に中央のトランクで隠した中央のすっぽんからソリストが次々に登場する。
そして裏方、ソリスト総出で舞台上をセットするのだ。フィガロみたいな召使役マルティーノが指示を出すのだ。これがおもしろい。衣裳はお読みになった方はわかるだろうが鹿島茂氏のパリ風俗とかに載っている彼のコレクションの絵がそのまま抜け出たようなものだった。
歌手はどの役も巧く特にベルニーチェ役のエレナ・サリアゴヴァは容姿も良くてスターの素質を持っていた。ただ良いことずくめで終わらないのがオペラだ。
多分中国人だろうが指揮のリンという女流指揮者はどうしょうもなかった。とにかく拍がわからないのだ。舞台上ではすごく生気があるのに舞台の下は崩壊しないようにするのが精一杯、後半はヴィオラのトップがキューを出していた。チェンバロが神の様に巧かったので何とか救われた。
なぜこの人が指揮なのか理解に苦しむ。スピード感を演出するのは指揮者なのに...

ところでどんなお話しかって。ご自分でお調べなさい。