午前中、カーブスにいくつもりでほぼ用意して、お茶までボトルに入れていたのに~
お天気も悪いし、うすら寒いのに負けて、掃除機かけただけでぼんやりしていた。
これではいかん、とラジオ体操とストレッチをする。
昔、20代後半から30代半ばまで、辛い日々が続いていた。
たぶん、主婦業とか、子育てとか、毎日同じことを繰り返すのが性に合ってなかったんだと思う。
それで、小説を書きつつ、乱読をしていた。
澁澤龍彦を読み耽っていたのもそのころで、「ビブリオテカ」という選書シリーズを
詩人の友達に借りて、次々に読んでいた。
その友人はランボーの影響を受けて、すごく感性の鋭い詩を書いていた。
どこに発表するでもなく、ノートに清書した詩編を読んで、唸った。
その感性は、鋭く、私にはないものだった。
彼は心の病で仕事はなかなか続かなくて、障碍者年金で生活していた。
母親の援助もあったかもしれない。安アパートに蔵書を積み上げていた。
高価な全集もの、画集、どんどん買ってしまうのだった。
衣食住にはお金をかけず、本だけが趣味だった。そんな彼だったけど、ちゃんと恋人はいた。
それで、気安く貸してくれるので、ついいろいろ借りていたのだと思う。
その頃の私が澁澤の文章を理解していたのか怪しいけど、頭の体操という感じだった。
日常からの逃避として、活字を追っていればそれで良かった。
今、何が残っているのかと思うけど、教室で役立っていることもある。
深くはないけど、浅い、薄い引き出しは沢山持っている感じかな。
10代から読み続けてきて、カスミを食ってたようなものだけど、その蓄積は少しはあるらしい。
いま、本物の知性や教養、芸術を感じさせてくれるような作家が減ったなあと思う。
最近は新作は殆ど読んでいないのだけど。
歌も10年以上続けてきたけど、持ち声は変えられないから、歌える曲は限られてしまうと、
クラシックの壁に突き当たっている。
でも、なんだかんだとチリツモでも、身についているのかもしれない。
今から、仕事やりまーす。