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僕はオカマが大っ嫌いなんだよ!

日本人って食事で箸使うじゃないですか。

 

フランス料理や、なんか知らんけど気取った店では、ナイフとフォーク使うじゃないですか。

 

日本の汁物って、お椀のまますするのでスプーンが必要ないんですよね。

 

だから箸だけで食事できるんですが、

 

フィリピンではフォークとスプーンなんですよ。

 

右利きの僕は右手にスプーンで左手にフォーク。

 

スプーンはナイフの役割も果たすのですが、僕がすむ田舎ではフライドチキンとかあると、

 

結局手で食べるんですね。

 

で、フォークとスプーンはありながらも、手でいただくわけです。

 

 

ネパールに行った時も、伝統的なお店では手で食べてました。

 

手で食べると、なんか美味しいんですよね。

 

 

で、

 

ある時、犬が口だけで美味しそうにご飯食べてるのを見て、

 

食事って、自分流のスタイルで食べるのが一番美味しいんじゃないかって思ったんです。

 

 

ここでは食事のマナーやエチケットは置いといて、

 

ま、もともとエチケットもマナーもない僕で、

 

食事中でもへっちゃらでゲップをする僕の、正しい食べ方を、

 

まさにさっき!

 

発見したんです。

 

 

 

日本人が、なんか知らんけど記念日とかに気取った店行くと、

 

右手にナイフ、左手にフォーク持って、

 

いかにも「このスタイルの食事には慣れてますよ」的なスカした顔して、

 

切った肉をフォーク(尖ったのが下向き)で口に運び、

 

「う〜ん、スモーキーで(薫製肉)口の中で溶けちゃうね」などと、

 

訳わからんこと言いながら食ってるじゃないですか。

 

ここで燻製肉が溶けるかどうかは置いといて、

 

 

 

で、次の料理が出てくるまでの退屈な長い時間、

 

会話も食事の一品だよね、と、

 

もうお前の頭の中は、次に行くラブホで頭いっぱいのはずが、

 

僕のディナーは毎日2時間かけてます的なスカした顔して、

 

頭の中は○○○でいっぱい。

 

 

 

 

ま、そんなことは置いといて、

 

日本人の僕がフィリピンに移住して、

 

最初は右手にスプーンに左手にフォークだったんですが、

 

どーも食べにくいんです。

 

 

そこで先日ダイソーを発見し、

 

箸を買ったんですよ。

 

 

 

その箸を使って食べながら、自然と左手に持ったのがスプーンだったんです。

 

 

右手に箸、左手にスプーン。

 

 

 

 

めっちゃ食いやすいんですよ!

 

フィリピンでは汁物をご飯にかけて食べることがあるので、

 

スプーンは重宝するんですが、

 

僕的には、右手に箸、左手にスプーンを持つことによって、

 

食事のストレスが半減しました。

 

フィリピンに来ることがあれば、ぜひ試してください。

 

 

 

 

 

 

 

かなり前振りが長くなりましたが、

 

こちらに移住して1ヶ月以上が経ちました。

 

僕、もともとオカマが大っ嫌いなんですよ。

 

16歳の時、ディスコの帰りに東新町のサウナフィンでオカマに犯されそうになったり、

 

オカマバーに連れて行かれた時、

 

大人のオモチャがマイクになってて、

 

それをペロペロ舐めたオカマが、僕の口に押し当てまして、

 

唾臭いのを今でも覚えてまして、

 

トラウマになってるのか知りませんが、

 

とにかくオカマ、、、あ、ゲイは大っ嫌いなんです。

 

 

 

今ってLGBTQとかいうじゃないですか。

 

人権がどーのこーのって。

 

 

 

いいんですよ。

 

別に僕は普段オカマは大っ嫌いなんだって言いながら歩いてる訳じゃないので、

 

ただ好みの問題な訳です。

 

 

 

で、整理すると、

 

レズって女性同性愛者なんで目立たないんです。

 

それはそれでいいし。

 

バイも見た目では分かりにくい。

 

トランジェスターはそれなりなんですが、

 

 

 

ゲイだけは「ゲイ!」って主張するじゃないですか。

 

 

 

そもそも日本だとオカマだけなんですよ。

 

バーがあるのは。

 

それを商売にしてるのは。

 

 

 

日本はまだいいんです。

 

こっちのオカマって、

 

99.999%は汚いオカマなんです。

 

その汚いおかまが堂々と3トーンくらい高い声でキーキー言いながら歩いてるんです。

 

 

 

人権だとかいいんですよ。

 

それぞれの感性で生きてくれれば。

 

 

でも、LGBTQの中でオカマだけが迷惑をかけてるんだと僕はハッキリ言いたいのです。

 

 

そいつらの個性や人権は認めますが、

 

ってか、勝手にやればいいんですが、

 

 

 

 

僕はオカマが大っ嫌いなんだ!という僕の人権と個性として認めろよと。

 

日本ではLGBT法案がどーのこーの言ってますが、

 

綺麗事は置いといて、

 

インフラが追いつかないだろ、と。

 

 

公衆トイレは未だに、

 

男性用、

 

 

 

女性用、

 

 

 

 

これに人権だとか綺麗事言ってるんだったら、コレ↓を用意してからにしろよと。

 

 

 

 

公衆浴場だってそうだし。

 

 

 

 

 

 

あ、数年前に、

 

オカマに心奪われたこともありましたが、

 

この時は、戦場に出て1ヶ月飲まず食わずの状態で、

 

フと人肌に触れた瞬間、

 

自分を見失ってしまったような状況だったんだと思います。

 

 

 

 

 

あ、そーいえば、

 

こちらではオチンチンが売ってるお店がありました。

 

 

 

 

役に勃たなくなった人は紹介するので、

 

ぜひお待ちしております。

 

移住生活始めました

日本にいる間にサロンを閉店し、

 

渡比するまでの間、約2ヶ月間プー太郎をしてたんですが、

 

それなりにやることがありまして、

 

一番面倒だったのが会社の解散手続き。

 

会社を立ち上げるのは簡単なんですが、解散する手続きって大変なんですね。

 

書類がやたらと面倒で、わざわざ法務局の本局まで出向かないといけないし、

 

それこそ結婚するときは簡単だったんですが、離婚する時は死ぬほど大変だっ、、、、、

 

ま、いいや。

 

 

 

その他は家を売却したあと、車も売却し、

 

 

 

一気にスケールダウンし自転車移動に。

 

 

 

 

 

 

なんやかんやしてても時間はまーまーありまして、

 

暇つぶしにラウンドワンに行ったんですね。

 

そしたら凄い達人に会いまして、

 

 

 

 

 

 

2番目の子なんて終わったあと汗だくでガッツポーズしてましたからね。

 

 

 

なんやかんやで渡比する日が来まして、

 

3年ぶりの飛行機だったんですが、コロナの関係でe travelを用意したり、

 

接種証明のアプリを入れたりと、準備万端で行ったらまずはイミグレで大渋滞。

 

 

 

 

マニラ空港ってなんで毎回こんなに混むんだろうと思いながら、

 

ようやく順番が回って来たと思ったら滞在期間だけ聞かれ数秒でスルー。

 

 

 

到着が深夜ということもあり、速攻ホテルにチェックイン。

 

デュテルテ大統領の時はホームレスが排除され、

 

街中での喫煙は全面禁止。

 

上半身裸だと捕まるし(以前のフィリピンでは普通)、

 

意味なくたむろしてても職質されてたんですが、

 

ボンボンに変わってからは元のフィリピンに戻ったようで、

 

 

 

 

 

良いのか悪いのかわかりませんが、僕は今の雰囲気が馴染みます。

 

 

一つ思ったのは、

 

以前は物乞いも店の出口で待ってたのに、

 

今では両替所だと真横に来るし、

 

 

コンビニでもレジまで来るようになりました。

 

 

マニラのストリートチルドレンは、組織化された大人たちが雇ってる場合が多いのですが、

 

貧富の差、貧困で言えば以前より悪化したように感じました。

 

 

 

 

 

スモーキーマウンテンに近いスラム街は相変わらずで、

 

ゴミを集めてはジャンク品や鉄、ガラス、使えそうなものを仕分けし売る。

 

スカベンジャーは健在で、僕は見慣れてしまって感覚が麻痺してるのかもしれませんが、

 

空腹を満たすために必死な人たちがそこにはいました。

 

 

 

 

 

 

数日間マニラに滞在し、いよいよフィリピンのほぼ最南端であるジェネラルサントス に。

 

 

この田舎感がたまらなく好きで、

 

 

 

 

都会のような貧困の差は見られないと思ってたんですが、

 

田舎の質素な暮らしの中でも、さらに貧しい暮らしをしてる家庭もあるようで、

 

僕の家から出た廃材を「これ持ってって良いか?」と聞く子供。

 

 

おそらくコメを炊くための火起こしに使うようで。

 

5歳くらいの子供が2ペソ(5円〜6円)でバナナを売りに来たりと、

 

 

ホームレスこそ見かけないものの、やはり生活は苦しいんだなーと考えながら、

 

トライシクルで買い物に出かけてると、

 

 

何気に後ろを走るトライシクルをボーっと見てると、

 

 

 

女の子の靴がシャネルでした。

 

 

 

 

 

その時僕は、

 

アウトレットで買ったGAPのビーサン550円を履く自分が、

 

一番貧困なんじゃないかと思いました。

僕の大好きな叔母さん

無職になってから約1ヶ月半が過ぎました。

 

時間の潰し方が下手なのか、何をして過ごしたらいいのか分からず、

 

とりあえずは家電量販店→ホームセンター→本屋などと、

 

全く有意義ではない毎日を過ごし、

 

いよいよやることなくなり、パチンコ屋に行ったんです。

 

するとアッという間に3万とかなくなったんですよ。

 

 

収入があるときはそれでもよかったんですが、今の僕は無収入じゃないですか。

 

こんなことしてたらヤベーなと思ったとき、

 

1円パチンコってのを知ったんです。

 

キャンブルとしてはローリスクローリターンで、周りを見渡すとお爺ちゃんとお婆ちゃんしかいないんですが、

 

その日は1800円使って2000円出たんです。200円プラスになったんですよ。

 

 

それから4〜5日通ってたんですが、

 

「リーチ!」ってなると、ボタンを叩きまくるお婆ちゃんや、

 

隣を見るとハンドルを持ったまま居眠りしてるお爺ちゃんが。

 

 

 

 

 

「何やってんだよ僕は」と、

 

強烈に悲しい気持ちになりまして、すぐにその場を立ち去りました。

 

 

 

 

 

ある日、フラ〜っと長野県の友達に会いに行き、

 

飲みに連れてってくれたBarがかなりセンスが良く、

 

楽しい会話と有意義な時間を過ごしながら、

 

 

 

 

「時間の使い方ってこーだよな」と思いました。

 

 

 

そのシャレオツなBarに入るとお風呂までありまして、

 

 

 

よく意味が分からなかったんですが、

 

マスターの話では、以前、この風呂の栓を抜き、

 

店内を水浸しにしたバカがいたそうです。

 

 

 

 

翌日は長野をブラブラとし、大きな橋を歩いたり、

 

 

 

スケールダウンした橋を渡ったり、

 

 

 

そこそこ有名な棚田へも行ったんですが、

 

 

 

ここに来るのは今の時期じゃないな、と思いました。

 

 

 

そんなこと思ってると、

 

警察から電話がかかって来まして、

 

僕の車からタイヤを盗んだ犯人を捕まえました!と。

 

ただ、盗んでは売って、の生活をしてた奴なので、

 

タイヤは返ってきませんとのこと。

 

僕は「では、しっかりと反省して罪を償ってください」などと、

 

自分でも「お前が言うな」と思いました。

 

 

 

 

季節も良くなり、

 

ある日「山に登ってみよう!」と血迷ったことを思いつき、

 

近所で有名な弥勒山へ行きました。

 

 

入り口から3分も経たないうちに「辞めときゃよかった」と思いましたが、

 

時間だけはいっぱいある僕は、とりあえず進もうと思い、

 

約1時間半かけて頂上付近まで来ると、

 

いかにもアソコが天辺だろ!と言う景色が目の前に広がり、

 

 

 

 

今までの疲れも忘れ駆け上がりました。

 

 

 

 

 

頂上の景色は、

 

ま、ぶっちゃけそれほど感動することもなく、

 

ただ、ここまで登った達成感に浸りながら、

 

持ってきたおにぎりとカップヌードルを食べようとお湯を沸かしてると、

 

割り箸を忘れたことに気付きました。

 

 

 

終わったな、と思いました。

 

おにぎりだけ食って帰るかと思いました。

 

 

 

 

いや、待てよ。

 

割り箸って何で作ってたんだっけ?

 

木じゃんね。

 

周りは木だらけじゃんね。

 

 

 

 

 

すぐに問題は解決しました。

 

 

なんか生きるスキルがまた一つ上がった気持ちになり優越感に浸りながら、

 

 

 

この山ではクルミを持っていくと、野鳥が食べてくれる情報を聞いてた僕は、

 

満腹になってから、野鳥にもご飯を食べてもらおうと、

 

手のひらにクルミをおいて待ってると、

 

 

 

 

 

凄いでしょ、コレ、マジで。

 

 

ってゆーか、一瞬のシャッターチャンスをスマホで撮った僕も凄いなと思うわけです。

 

 

 

みょうに嬉しくなり、登山ってこんなに楽しいんだ!と思いながら下山したんですが、

 

それ以降は一度も行ってません。

 

 

 

それから、僕に異変が起こったこととすれば、

 

こんな写真を撮り始めたことです。

 

 

 

 

以前の僕の写真ファイルには、

 

こんなのしかなかったんですから、

 

 

 

人間って変わるんだなと。

 

 

 

 

それからもこんな本読んでちょっと感動しながらウルウルしたり、

 

 

 

 

フと、僕が大好きな叔母さん、

 

僕の母親のお兄さんの奥さん、

 

僕の母親は、僕が3歳の時に癌で他界してるんですが、

 

その頃、僕たち兄弟の面倒を見てくれた叔母さんに会いたくなり出かけると、

 

 

10年以上会ってなかった叔母さんでしたが、

 

声や雰囲気は僕が子供の頃のままで、

 

当時、僕たち兄弟4人と、叔母さんの家族のご飯、10人分を、

 

毎日どうやって用意しようか、大変だった話を聞きながら、

 

1時間ほど喋ってる中で、僕が住んでるところで「つくし」が20本くらいで150円で売ってたよ、

 

ってな話をすると、

 

つくしなんか裏の畑にいっぱいあるとなり、

 

叔母さんと一緒につくし狩へ。

 

 

今まで見たことない量のつくしが採れました。

 

 

叔母さんが作ってる畑でネギやら大根の葉をもらい、

 

 

 

まさに僕が理想としてる生活を、

 

大好きな叔母さんに気づかせてもらえました。

 

 

 

 

なんか、、、いい感じのブログになってしまいました。