間近にある生と死 生きるということ
我ながら大げさなタイトルを付けたもんだと感心してるんですが、
大きく育った豚をレチョンバボイ(豚の丸焼き)にする為、
庭にも炊事場が必要だね、となり、
早速作り始めたんですが、
炎天下での作業は過酷を極めまして、
ココまでやるのに2日間。
天板にセメントを流し込んで出来上がりまで4日間かかりました。
こんなんで大丈夫なのか?と思いながらも、
翌日はココで豚をさばくので心配しても仕方がない。
丸焼きにした豚はグラム売りする為、
すでに予約で完売状態だったんですが、
朝から配達しないといけないので夜中から作業が始まります。
レチョンバボイを作れる人はそれほどいるわけではなく、
ようやく探して見つけた人は、目がイっちゃってる無口なオジさん。
豚を殺しまくってるとこーゆー目つきになるんだろうかと思いながら、
早速豚小屋から1匹連れ出し、
(ココ↓から残酷な表現と写真があります)
悲鳴をあげてる豚を押さえつけて、カナヅチで頭をぶん殴ります。
1発では気絶しなかったのか、もう1発。
僕は変な使命感というか、ココから目を逸らしてはいけないんだと思い、
最初から最後まで見届けようと。
気絶した豚をテーブルに乗せ、
最後の一撃はナイフで首を刺し、殺します。
出てくる血は料理に使うので、鍋に絞るように溜めます。
肝と腸と血で煮込む料理はみんな大好きなようで、
近所におすそ分けしたら喜んでもらえました。
内臓を取り出し、
鉄の棒をお尻から口に差し込み縛っていきます。
ココにレモングラスや野菜、調味料を入れお腹を閉じます。
ココからじっくり焼く為、目のイっちゃってるオジさんは、
一晩中、鉄の棒をクルクル回し続けます。
僕は睡魔に負け、早朝5時に起きると、
レチョンバボイが出来上がってました。
丸焼きにされた豚の後ろには、
順番を待つ豚がまだ寝てました。
子豚から仕入れて、3ヶ月間育てた豚を丸焼きに。
というか、この豚はこの世に生まれて3ヶ月半で食べられるわけです。
豚は人懐っこく、
豚小屋に入ると僕の短パンを口で引っ張ったりして遊びます。
小さい目は時に愛おしく見え、豚をペットで飼ってる人の気持ちも分かる気がします。
オジさんは休むことなく、早速見たこともないようなナイフで切り分けていきます。
味の染み込んだお肉はとても美味しく、
パリッとした皮は永遠にビールが呑めてしまいます。
高級な食べ物なので、この辺の庶民は年に数回しか食べることができません。
配達も終わり、今回の一大イベントは終わったんですが、
炊事場は予想通り壊れました。
鉄パイプで補強し、
天板を全て塗り直しました。
このままだとカビが発生してしまうんじゃないかと思い、
防水も兼ねて余ってるペンキで塗ることに。
この時点であまりの不自然さに後悔マックス。
黒いペンキも余ってたのを思い出し、
混ぜてグレーにし、塗り直したんですが、
それほど変わらず、やはりやめときゃ良かったと後悔。
足も塗れば良くなるんじゃないかと、
塗り始めてから気づく、、、塗料が足りない。
フィリピンに来て自分が変わったことといえば、
「まー、いっか」と思えるようになったことです。
何かとバタバタしてて気はそらせていたんですが、
やはり動物を殺すというのは想像以上にショックでして、
なんとなく嫌〜な気持ちでいると、
お隣で生まれた、まだ生後1ヶ月ほどの子犬が、
家の前でバイクにひかれ、死んでしまいました。
僕にもなついてた犬なのでこれもまたショックで。
ひいたヤツは何するわけでもなく、そのまま立ち去ってしまいました。
隣の家の子供は、死んでしまった子犬をよそに、
他の子犬と遊んでました。
僕は半泣きで死んでしまった子犬を裏庭に埋めてやったんですが、
子犬が死んでしまったことをなんとも思わない子供達に、
どんな生活をすればそんな残酷になれるんだ?と。
きっと僕ではまだ理解できない、過酷な生活を送ってるんだろうか。
「生と死」「生きる」っていう永遠のテーマは、
僕にも理解できるようになる日がくるのかな。