瀬島龍三さんとは、
以下ウィキペディアより。
説明
「瀬島 龍三は、日本の陸軍軍人、実業家。陸士44期次席・陸大51期首席。 太平洋戦争のほとんどの期間、参謀本部部員を務めた。最終階級は陸軍中佐。 戦後は伊藤忠商事会長、中曽根康弘元首相の顧問など多くの要職に就任し、政治経済界に大きな影響力を持ち、「昭和の参謀」と呼ばれた」僕と瀬島様の出会いは入店3年目の春、伊藤忠本社横のサロンに移動になった時です。
まだお客様を10人くらいしかカットしていないペーペーの僕が新人という事で紹介されて「金沢出身です」と答えると「そうか〜僕は富山県なんだよ。じゃあ僕の頭で練習しなさい」と仰ってくださり、それから僕が退社するまで10年間担当させていただきました。
ちょうど臨調の最後の時期だったと思います。
瀬島様は若い人と交流するのが大好きで、僕やスタッフを誘って隣の蕎麦屋で昼ごはんを食べたりすることもありました。
いつもスーツをお召しでしたがだいたい同じものばかり、仕事で地方に行くと地元の人が歓待してくれるそうですが、御馳走より家庭料理の方が好きだそうで、そういうものにはこだわりは無さそうでした。
細かい数字などもしっかりと覚えていて驚かされる事もしばしばありました。
そんなエピソードを記者さんに話した中で使われたのは左官のエピソード↓
記者さんに話すのを忘れたエピソードをひとつ。
過去に大河ドラマを石川県に誘致したいということで、県の関係者が瀬島様に会いにいらしたそうです。
その時は「石川県は文化が盛んな土地だから、そういうのと絡めていけばいいって話したよ」と仰られていました。
いつもにこやかにお話しをして頂いてましたが、仕事では大変厳しいという話は周りから聞こえてました。
瀬島様に提出するペーパーは3枚までで、それ以上あると読んでもらえなかったそうです。
最近見たニュースでAmazonもそういう仕様になったそうですね。
瀬島様のことを悪く評価する面もありますが、僕が接して感じた中では全然そんな人ではありませんでした。
日本全体のことを考えられていた好々爺という感じです。
ある時瀬島様の自宅に若い男の人が訪ねてきて、過去のあれこれはどういう事ですか?と聞いてきたそうです。
たまたま在宅していた瀬島様はその人を自宅に上げて居間で2人で話したら、わかってもらって帰ってくれたよ〜、と話してくださいました。
大好きなおじいさんに会えなくて寂しいです。