この前行ったチェンマイの瞑想寺ですが、かなり大きく、たくさんのお坊さん(MONK)が瞑想ホールに集まって瞑想をしていました。おそらく200人ぐらいはいたような気がします。我々一般の瞑想者は、50人ぐらい?、その他、女性の常住のような方たちを含めると総勢300~400人ぐらいいたのではないかと思う。

お寺を中心として、周辺のエリアが一つの町のようになっていて、そのエリアの中に、MONKの住居や、我々一般の瞑想者の住居、瞑想ホールなどがあり、基本的にはそのエリアの中で、瞑想生活をします。

エリアの外と内は特に区切りがあるわけではなく、寺の外には自由に出れるし、エリアの中に一般の人も住んでいると聞きました。ほんとに一つの町が寺を中心とした瞑想場みたいな感じなんですかね。タイならではだと思いました。昔の日本も江戸時代ぐらいまでそんな感じだったのかもしれません。

モンクも普通にエリアの外に出て、町の食堂で昼飯なんかを食べてました。自分も瞑想に入る前と瞑想が終わった後に同じ食堂に入りましたが、おそらく同じモンクが食堂にいて、その食堂のおばちゃんと普通に話をしていました。その食堂の常連だったのでしょうか。

モンクとはほとんど話すことはできませんでしたが、この前書いたように、毎日決まった時間に瞑想の指導を受けていたモンクは黙っていると強面ですが、しゃべると顔が柔和になり、話し方も穏やかでした。これが仏弟子というものなのかという感じでした。

一般瞑想者は、白人が多く95%ぐらい、アジア系5%ぐらいの割合でしょうか。黒人の方は見ませんでしたが、ホームページを見ると写真の中にいましたので、たまたまいなかっただけかもしれません。

一般瞑想者は、何か月も常住しているような長期の人、自分のような短期の人いろいろだと思いますが、瞑想に来るような人なので皆が良い人ばかりかというと、そういうわけでもなさそうです。

まあ自分が参加していることからもわかるように、皆、普通の人なんでしょう。中には聖人みたいな雰囲気の白人もいて、少し話ましたが、まあ普通の人ですよね。瞑想しているからと言って、人間性が優れているかというと必ずしもそういうわけでもないだろうと思います。やっぱり人間なんでしょう。

食堂や清掃などで働いている人達は地元のタイの人達なんでしょうが、こんなところで働いているぐらいだから人格もさぞかしご立派な人達なんだろうなと思っていましたが、こちらからお辞儀をしても無視する人もいたり、やたらと向こうからお辞儀してくれる人もいたり、ほんといろいろでした。

朝食、昼飯は、食堂でのビュッフェ形式で自分でお皿に盛っていくタイプで、少し時間に遅れていくと、すぐになくなってしまいます。

自分が10分ぐらい遅れて食堂に行くと、チャーハンしかなくてそれを盛って席に向かうと、おそらく60代と40代ぐらいの2人のアジア系の男がニヤニヤして自分の顔を見ていました。なんと愛想の良い人たちだと思って、お辞儀をして席に着きました。

炒飯を食べ終えて、席を立ち、食器を片付けるべく、2人の男のそばを通ると、その2人の男はそれぞれ皿を2枚ずつ確保して、片方のさらには大盛のチャーハン、別の皿に大盛のフルーツ(メロン?マンゴなど)を盛っていました。

フルーツなんかあったっけ?と思いながら、その大盛のフルーツがとてもうまそうで、「それどこでgetしたの?」と英語でその男たちに聞いてみました。すると、英語が通じたようで、その男たちはなぜか気まずそうに、近くのビュッフェの指さしました。見ると空の鍋が置いてありました。「なるほど」と全てを理解しました。

おそらく食事の時間になるとすぐに来て、フルーツを大量に確保したのでしょう。確か自分がビュッフェに来た時にはすでに空になっていました。とすると、さっきの2人の男のニヤニヤの意味が分かった気がしました。

皿は一人1枚とも決まっていないし、まあ早い物勝ちなのでしょうがない。

ただピリ辛のチャーハンしか食べれなかった自分としては、そのフルーツがとてもうまそうで、「明日は早く来てフルーツGETしよう」と思いましたが、結局、最終日までフルーツをGETすることはできませんでした。システムが良くわからなかったのもあるかもしれません。

食堂を出ると、露店でフルーツを売っていました。おそらく寺の中の人ではなく、一般の行商なんでしょう。日本でもよくある出店みたいなもんです。

フルーツを食べれなかった自分を見透かすかのように、うまそうなマンゴーが並べられていて、ついつい買ってしまいました。20バーツだったと思います。愛想の悪い露店のおばちゃんに100バーツを渡すとお釣りを渡されました。「コープンカー」とか言いながら、釣りを受け取って帰ろうとしましたが、釣りをよく見ると、全然足りませんでした。

「おい、まじか。こんな神聖な場所でごまかしかい」と思いながら、釣りを見せると、向こうもわかってたんだろう。笑いながら「ソーリー」とか言いながら釣りを渡してきました。何が「ソーリー」や。ここが町中ならもしかしたら激怒したかもしれないですが、大した金額でもなかったので、怒りもせず、そのまま受け取って帰りました。

タイは仏教が根付いているからと言って、皆が仏弟子かというとそういうわけでは当然なく、寺の中でもこういうことはあるということなんでしょう。もちろん、良い人もたくさんいるし、悪い人もたくさんいる。その悪い人も常に悪いわけでもないかもしれない。これはまさに諸行無常という仏教の教えに繋がることではないか。などと感じなら、自分の部屋に戻っていきました。

次の日は、朝食の後に、露店でヤクルトを売っていたので、ついつい買ってしまいました。1本20バーツで約80円。日本に帰ってスーパーで見ると、10本入り180円でした。「How much?」と聞いて「20バーツ」と下を向きながら答えていた露店のおばちゃんが何を考えていたのかは知りません。まあ海外だとそんなもんなんかね。

もちろん、一般人がそんな人ばかりかというとそういうわけではなく、良いと感じる人もたくさんいました。諸行無常、玉石混交、世の中にはいろんな人がいるというわけなんでしょう。

それに気づくと、少し気が楽になった気がしました。