人間ドック、お医者さんとの面談の時、必ず「肺炎やりました?痕が残っていますねー」と言われる。
5歳の時の肺炎の痕跡がまだあるのだ。
肺炎になってしまった「原因」は、暮れの寒空の下、薄着の私を抱いたまま知人とのおしゃべりに夢中になったしまった母親にある、、、と、当の母親から聞いていた。
入院した病院の近所にお鮨屋さんがあった。
当時、お鮨と言ったらなかなか口に出来る物ではない。
母親は私にすまないといった気持ちもあったのか、単に自分が食べたいだけのことだったのか、定かでないが何回か病室まで出前をとった。
もちろん、父親や兄弟には内緒(だったと思われる)。
同室に私と同じ年頃の子がいた。
その子の母親は、アルマイトの鍋でご飯を炊いて、二人で食べていた。
おかずは何もなかった記憶がある。
私たちは贅沢なお鮨、同室の子は鍋ご飯。
子供心にもなんだか、悪い気がしてお鮨が美味しくなかったような記憶があるが、本当のところはわからない。記憶が作られてしまっているかもしれない。
私はたいしたこともなく退院したけれど、最初の頃の高熱と同室の親子の「ご飯」が今でも思い出される。
あの親子はどうしているだろうか?