前回の「フロイトとユングの違い(その1)」

のつづきになります。

 

心理療法の患者さん(クライアント)を

大きく「神経症圏」と「精神病圏」

に大別する考え方

(本当は「境界域」というのもあるのですが)

がありますが、

フロイトは主に「神経症圏」を

扱っていました。

 

これは、現在で言う不安症・不安障害

あたりに相当し、

悩み苦しみなどがありながらも

一応生活はできている人たちである

ことが多いです。

 

対する「精神病圏」は

通常の生活を送ることが

困難となり、多くは入院を要するような

障害・状態

(統合失調症やその周辺、

うつ病・双極性障害のうち重篤なもの)

を指します。

 

フロイトの用いた「自由連想法」

というアプローチは、精神病圏の

人たちには困難だったのです。

 

そこでフロイトやフロイト学派は

「分析可能性」という概念を

持ち出し、分析できる人たちは

いわゆるエディプス期の「葛藤」を

病因としている人たちだと

しました。

 

要はそれより深刻な人たちを

「分析不可能」として切り捨ててしまった

わけですが、ユングの方は

精神病圏の患者さんも

相手としつづけた人でした。

 

しかし、精神分析学派のなかにも

精神病圏の患者さんを

相手にした人たちは少なからず

いるのです。

 

有名どころだと

ハリー・スタック・サリヴァン、

フリーダ・フロム=ライヒマンなど。

最近でもいます。

(ブライアン・ケーラーなど。)

 

その他にもフロイトの「葛藤」に対し、

エディプス期以前の発達上の

「欠陥」があったのではないかとし、

それも治療(分析)可能とした

のはイギリスの「対象関係論」

と言われる学派の人たちでした。

(クライン、ウィニコット、ビオンなど。)

 

(こちらはユング派ではなく

精神分析学の学派と考えられています。)