江戸時代というと鎖国、
日本は鎖国をしていた国であり、
なんとなく日本人本人としても
そのためあまり対外的に
オープンでない、
といった自己イメージを
持ってしまっている場合が
少なくないのではないでしょうか。
が、一口に「鎖国」と言っても、
そんなに単純な話ではなく、
一概に「閉じていた」とも
言えないようです。
まず、江戸幕府を開府した
徳川家康はもともと
対外貿易に積極的だったらしい、
という話。
のちのち黒船が来航することになった
浦賀に港を造ろうか、という
話まであったようです。
が、代替わりで鎖国となりました。
19世紀(1800年代、江戸時代後期)
ともなるとだいぶ騒がしくなってきますが、
それ以前も松前藩を通じて
アイヌとの交易(収奪と言っても
いいかもしれませんが・・・)が
あったり(当時アイヌの地=蝦夷地=北海道は
厳密には「日本の一部」でなかった
と思うので・・・)、
さらには、大陸のアムール川付近との
交易もあったようです。
来たの果て、宗谷とか樺太を
通じてのことだったので、
一般には分かりようもありません。
実際、19世紀初頭はロシアが
北海道近辺に出没したりして
幕府は「防衛」を強化しています。
まったく、起こっていることに
無関心だったわけではないのです。
ご存じの通り、長崎の出島を通じて、
中国とオランダとのみ
交易が行われていました。
オランダは日本にいろいろ
国際情勢を教えてくれたようです。
吉村昭の『海の祭礼』という小説に、
日本ではじめての英語教師
ラナルド・マクドナルドについて
書かれていますが、
オランダ語はじめ才能のある
通詞(通訳)たちが外国語を
学んでいったのもこの時期です。
(ラナルド・マクドナルドについては、
以前ブログで書いています。
こちらもどうぞ♪↓)
ペリー来航時の日本を救った!? 江戸時代の英語教師 | openmind-psychologyのブログ (ameblo.jp)
黒船来航のとき、それは大変なことでは
ありましたが、それ以上にわたわたせず、
なんとかなったのはすでに
そうした「準備」が着々と
行われていたからに他ならないでしょう。
しかし、こうしたことを
一般庶民はまったくと言っていいほど
知らなかったし知らされていなかった
でしょう。
なにせ「鎖国」ですから。
現在の日本の外交にも
なんだか同じような調子を感じます。
「お上」は知っていてなんとかして
くれるけれど、
一般の人は知らされていない、
といった感じです。
しかし江戸時代ではないので、
情報通の人などからあれこれと
話が漏れては来ます。
ネットもありますし、海外の情報だって
見られます。
(外国語できなくたって最悪
グーグル翻訳というのもあります。)
鎖国時代ではないのだから
もうちょっとオープンになっても
いいのでは? と思います。