ご存じのように、

日本は江戸時代初期から長い間、
鎖国をしていました。
 
その間、中国とオランダだけが
長崎の出島で日本と交易する
特権を持っていました。
 
しかし、江戸時代も終わり頃になると、
ロシア、イギリスなど、
日本の近海に出没する他国の船が
かなり増えたようです。
それというのも日本近海は
鯨漁に適していたということも
あったらしいです。
 
ところが、日本人でわずかながらでも
できる言語は中国語、ポルトガル語、
オランダ語だけ。
ロシア語英語その他は
できる通訳がいない状態でした。
 
そこに現れたのが
アメリカの青年、ラナルド・
マクドナルドでした。
彼は白人とネイティブ・アメリカンの
混血で、アメリカでの差別もあって
船乗りになり、日本の話を聞いて
日本に憧れるようになります。
 
そして、鎖国中の日本に密入国を
敢行、成功しますが、
当然のごとく囚われの身となって
しまいます。
 
彼がたどり着いたのは
日本の北の端、利尻島でしたが、
当時のお決まりとして
長崎に搬送されました。
 
長崎で座敷牢に暮らす間、
しかし彼はどうやら無害で、性格も
温厚なようだと信頼を得ていきます。
 
何度かの取り調べなどを経て、
オランダ語通詞(通訳)だった森山栄之助は、
ラナルドから英語を学べるのでは
と思いたちます。
 
当時、日本には英和辞典みたいな
ものは存在していたのですが、
話す人はオランダ人などで、
発音が不正確だったりしたようです。
 
ほかにも通詞たちが学びましたが、
森山は特に熱心に特訓を積み、
やがて通詞たちはラナルドと
会話を交わし笑い合えるような
仲になります。
 
そして、日本にとって転機となった
ペリー来航の檜舞台で
交渉の通詞という大役を果たします。
 
そのときは英語よりもオランダ語が
流ちょうということで(オランダ人も
驚くくらいだったそう)、
オランダ語が使われたそうですが、
森山のアメリカ人を怖れないフレンドリーな
態度が場を和ませたということです。
 
一人の青年の無謀とも言える
勇気ある行動がなかったら、
日本の歴史が変わっていたのかも
しれませんね。
 
 
ラナルド・マクドナルドの話は、
下の小説に詳しいです↓