コロナ自粛からの流れで、

最近井上靖にはまってしまっています。

異様に漢字が多いのですが、

なぜかサクサク読めるのは

やはり筆力なのでしょうか。

 

さて、その井上靖の『楼蘭』のなかに、

『僧伽羅国縁起』という

短編がありました。

 

これは、セイロン(スリランカ)の起源についての

伝説らしいので長くなりますがあらすじを

書いてみます。

 

☨☨☨

昔、南インドのある小国の

お姫さまが隣国に嫁ぐことになりました。

あまり遠くなく3,4日くらいの

日程で、最後の山を越えるとき

テントを張って夜営をしました。

 

ところが虎に襲われてしまい、

護衛の人たちなどは逃げだし、

お姫さまはなんと虎にさらわれてしまいました。

 

お話なので、お姫さまは虎と結婚し、

二人の子どもが生まれます。

男の子と女の子でしたが、

見た目は人なのに性は虎、という二人でした。

 

子どもが大きくなる頃、

なぜか突然人語をしゃべれるようになりました。

曰く、人間なのだから人里で暮らしたい。

と、男の子は母に虎の父を見捨てて

逃げ出すことを提案しました。

 

母は夫の虎を見捨てられない、と言いますが、

虎の留守に男の子が主導する形で

3人は人里(お姫さまが来た街)に

逃げ出します。

 

そこはインドなので、服や食料を恵んでもらい、

街の片隅に住まわせてもらうようになりました。

 

一方、家族に逃げられた虎は

怒ったのか、ひんぱんに人里を荒らし、

被害が相次ぐように。

 

最初民間で虎退治をしようとしましたが、

あちこちで被害があり、とうとう王様が

虎を退治した勇者には褒美を取らせよう、

と募集を開始します。

 

みんな尻込みしましたが、虎の息子である

青年が名乗り出ました。

あまりに暮らしが貧乏なので、

手柄を立てようと思ったのです。

 

母はしかし、あなたのお父さんを殺すなんて

とんでもない、と言いましたが、

息子は聞かず出かけて行きました。

 

山中で息子は虎を林の入り口で見つけました。

悠々と寝そべっていた虎は、

最初襲ってくるかに見えましたが、

どうやら息子を覚えていて

気を許しているようでした。

 

父と久しぶりに対面して、

息子にもいったん親子の情のようなものが

戻りますが、多くの人が被害にあっている

人間界の状況を思い出し、

心を鬼にして持ってきたナイフで虎を刺し、

とどめを刺しました。

 

街に戻った息子は、勇者として

歓声を浴びました。

王様は、褒美を取らせるためにどのような

方法を取ったのかなど、息子の背景をあれこれ

知りたがりましたが、息子は黙っていました。

 

しかし王様は諦めず、なだめたりすかしたりして、

とうとう真相を息子から聞き出してしまったのです。

 

王様は、虎を退治したのは手柄ではあるが、

父親を殺すのは逆である、と言い、

息子と娘をそれぞれ別々の船に乗せ、

食料なども豊富に積み込んだ上、

国から追放しました。

 

娘はペルシャの西の国に流れ着き、

そこの女王になり、

一方息子はある島に漂着しました。

 

その島に暮らしていると、

あるとき商人と数十人の連れがやってきたので、

商人を殺し、残りの男女と暮らしはじめ、

子どもができました。

 

ほかにも船で渡ってくる集団があり、

人口はだんだん増えていきました。

 

青年の功績により国は

「獅子を倒した男の子孫の国」と

言われるようになりました。

(「虎」はいつの間にか「獅子」になっていたのです。

ついでに言えば獅子の子孫でもあるわけでした。)

☨☨☨

 

・・・というお話でした。

 

それではたと思い出したのですが、

スリランカの国旗には獅子がついています。

小説の題名には「僧伽羅(ソウカラ)」とありますが、

「シンハリ(シンハラとも)族」という民族がい、

きっとこうした人の子孫だと言う

誇りもあるのでしょう。

 

心理方面から言えばこの話は

フロイトの提唱したエディプス・コンプレックスの

元になっているエディプス(オイディプスとも)の

神話に似ていますが、

父を父と知りながら殺すというところと、

母と結婚するというのがないという点は

違っています。

アジア版でしょうか(^^)

 

井上靖の別の小説(『天平の甍(いらか)』)では、

中国の昔の呼称でスリランカは「獅子国」

と書いてありました。

 

 

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文中で触れた本です↓