数日前、自宅近くのあるビルの公共スペースで、赤ちゃんにミルクをあげているお母さんがフト目に留まりました。

ソファに座って、ひざの上に赤ちゃんを乗せて、ミルクをあげています。赤ちゃんはややびよーんと伸びているような感じ。

つい、「これでいいのかな」と思いました。

 

もちろん親子の一場面だけ見て、「そうだ」と決めることはできません。

いつもそうなのかもしれないし、この日はたまたまそうだったのかもしれません。

しかし、私が気になったのは、赤ちゃんが抱っこされていないこと。赤ちゃん特有の丸まった姿勢ではなく、赤ちゃんの顔も、お母さんの顔からだいぶ(お母さんが身体を起こしていて、ひざの上だから多分50~60センチくらい?)離れていました。

 

授乳は、たとえミルクでもお母さんと赤ちゃんの大切なコミュニケーションの時間。

赤ちゃんは抱っこしてもらってお母さんの暖かさや匂いを感じ、また母乳やミルクを味わいます。

顔も相当お母さんに接近しているはずで、「この人から、ゴハンが来るんだよね~・・・」「この人が、ママなんだよね~・・・」などとだんだんに思いながら、飲んでいるはずです。

 

人と人の距離にはいくつかの段階があり、「親密な」距離はまさに授乳時の母子の距離。

または恋人が見つめ合ったり、カフェのテーブルで顔を近づけて話をしたり。

親しい友だち、親子、仲のよい親戚などもかなり接近するでしょう。

 

この親密な距離では、体温や匂いが感じられ、顔も全体が見えなくて歪んで見えたりします。

 

そういう接近した距離を、赤ちゃんがお母さんと経験するのは面白いことです。

なんと言ってもちょっと前までは「一心同体」だったわけですから・・・

 

ここで親密さを経験しておくことは、その後赤ちゃんがお母さんから離れていく(母子分離)プロセスの上で、大切なことだと思えます。

 

また、その後人生のいろいろな場面で、親密さを経験しているということは大切になってきます。

逆に親密さをまったくと言っていいほど経験していなかった場合、他人と親密になる(たとえば恋仲になるなど)のは難しくなってしまう可能性もあります。

 

乳幼児期にはそうした、身体の接触、親密さ、甘え、感情表現など、いろいろ大切なエレメントがあり、それを経験できることが母子にとっての心理的な健康につながるのだと、思います。

 

とはいえ、すべての女性が親密さに準備ができて母親になるわけではないとしたら、そこが苦手な人は、やはり心理療法などを活用してもらえればいいのにな、と思います。

 

「赤ちゃんを楽しめない」=「母親失格」ではなく、楽しめないとしたら、そこになにがあるのか? と探っていくことで、原因を理解して解消することはできるでしょう。

(ただ、実際問題として小さい子のいる人のカウンセリングなりは、時間・場所等々から難しくはあるのが、問題なのですが・・・)

 

健康や身体の理由で、赤ちゃんに母乳をあげられない人もいます。

日本は母乳礼賛文化であるように思えますが、大切なのは「母乳かどうか?」ではなく、上記のような「親密さを経験できているか?」「親密さを経験できるようなやり方をしているか?」だと思います。

 

抱っこしたり、顔を見たり、「おいちいね~」などと話しかけたり、等々、親密さを促進する方法はいろいろあります。(音楽をかけるなどもいいかも。)

それら瞬間瞬間が、スポンジのようにすべてを吸収している赤ちゃんの脳とこころに、刻み込まれてゆくのです。

 

(注: ここでは、主に人生最初の重要な関係としての母子関係での親密さについて書きましたが、仮にお母さんと親密さが十分に経験できなくても、家族の他の人~お父さんや兄弟など~と親密さが体験できれば、問題ないとも言えます。また、家族の外の人、保育士さんや親戚の人、近所の人、などの可能性もあります。)