歯抜け状態の表参道ヒルズに『消費社会の神話』の終焉を見る
「表参道ヒルズ」シャッター通り商店街 ~ブランド突然死の時代~
というブログエントリを読みました。
かつての同潤会青山アパートにはアーティストやデザイナーが集まって「手作り感」あふれる楽しい店があったとのこと。ところが、森ビルによって建て替えられた「表参道ヒルズ」はブランドショップが立ち並ぶ「ブランド」神の神殿のようになってしまい、とても違和感を感じていたが、久し振りに訪れてみたところ、不景気の煽りなのか、ブランドショップが15近くも閉店していたというのです。
これを読んで私は、学生のころに読んだボードリャール『消費社会の神話と構造』を思いだしました。「ブランド」とはボードリャールが言うところの「記号」で、モノ自体の使用価値ではない、高級車には高級車としての「記号」、大衆車には大衆車としての「記号」があり、それを個性として消費している・・・ではなく消費させられている、のが現代消費社会だというわけです。
高度成長期の画一的な大量生産大量消費の時代が終わり、大衆が個性に目覚めたと思ったら、こんどは「個性を大切にしましょう」というフレコミの下、結局は大企業のいいモルモットになっているだけだった・・・。書中ではパリの高級百貨店の話、教育熱が上がる話、趣味講座が繁盛する話などがありました(昔の記憶ですが)が、そんなことまで大資本の掌中にはまらなければならないのかと憤慨したのを覚えています。
でもって、「表参道ヒルズ」がシャッター通りになっているということは、これはもしかしたら大衆消費社会の終わりの始まりではないかと感じた次第です。カトラーさんが予想するように、銀座の高級ブランド店もこれからどんどんシャッターを下ろしていくことでしょう。
『消費社会の神話』がついに崩壊するのか!?
しかもこの流れは、恐らく日本が世界で一番先頭をいっています。高級スポーツカーが売れない中、突拍子もない「痛車」が出現したり、再開発の話を拒絶して踏ん張る下北沢や、はたまたウラハラ、ウラカシの古着屋、アキバのフィギュア店に若者が集まったり、個性的で面白い光景が見られます。
人々が本当の個性に目覚め始めている。「マス」なもの、マスメディア、大企業、は消えることはないまでも、かなり力を失うことになりそうです。だから、景気の落ち込みはしばらく続き、不況は長期化するでしょう。そのような試練を経て、「マス」対大衆という経済構造が転換し、「個」対「個」の豊かな経済が復権するとしたら、それはむしろ望ましいことではないでしょうか。
というブログエントリを読みました。
かつての同潤会青山アパートにはアーティストやデザイナーが集まって「手作り感」あふれる楽しい店があったとのこと。ところが、森ビルによって建て替えられた「表参道ヒルズ」はブランドショップが立ち並ぶ「ブランド」神の神殿のようになってしまい、とても違和感を感じていたが、久し振りに訪れてみたところ、不景気の煽りなのか、ブランドショップが15近くも閉店していたというのです。
これを読んで私は、学生のころに読んだボードリャール『消費社会の神話と構造』を思いだしました。「ブランド」とはボードリャールが言うところの「記号」で、モノ自体の使用価値ではない、高級車には高級車としての「記号」、大衆車には大衆車としての「記号」があり、それを個性として消費している・・・ではなく消費させられている、のが現代消費社会だというわけです。
高度成長期の画一的な大量生産大量消費の時代が終わり、大衆が個性に目覚めたと思ったら、こんどは「個性を大切にしましょう」というフレコミの下、結局は大企業のいいモルモットになっているだけだった・・・。書中ではパリの高級百貨店の話、教育熱が上がる話、趣味講座が繁盛する話などがありました(昔の記憶ですが)が、そんなことまで大資本の掌中にはまらなければならないのかと憤慨したのを覚えています。
でもって、「表参道ヒルズ」がシャッター通りになっているということは、これはもしかしたら大衆消費社会の終わりの始まりではないかと感じた次第です。カトラーさんが予想するように、銀座の高級ブランド店もこれからどんどんシャッターを下ろしていくことでしょう。
『消費社会の神話』がついに崩壊するのか!?
しかもこの流れは、恐らく日本が世界で一番先頭をいっています。高級スポーツカーが売れない中、突拍子もない「痛車」が出現したり、再開発の話を拒絶して踏ん張る下北沢や、はたまたウラハラ、ウラカシの古着屋、アキバのフィギュア店に若者が集まったり、個性的で面白い光景が見られます。
人々が本当の個性に目覚め始めている。「マス」なもの、マスメディア、大企業、は消えることはないまでも、かなり力を失うことになりそうです。だから、景気の落ち込みはしばらく続き、不況は長期化するでしょう。そのような試練を経て、「マス」対大衆という経済構造が転換し、「個」対「個」の豊かな経済が復権するとしたら、それはむしろ望ましいことではないでしょうか。