この話題、実はまだ続いてます
その前に。
先日メッセージボードにブログの紹介を書きました。
パソコンではブログトップの記事の上にいつも現れると思うんだけど
スマホで見てくださっている方のためにちょっとここに一部&解説を書いておきます。
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私のパッション(=てか「好きなこと」)は
★自分の内面(=てことはひいては人間と世界・宇宙のしくみ)を深く知ること と
★この美しい地球を広~く知ること(=多様性に富んだ風景にたくさん出会うこと)
なので、このブログには、
心理学・セラピーに始まり、
ボディワーク・エネルギーワーク・占い・リーディングを経て
瞑想・目覚め・悟り・非二元に行きつき、さらに
バシャールやエイブラハムなど高次の意識の智慧に出会った
これまで旅してきた「スピリチュアルなお話」と
ここ数年の「旅行の記録」の両方がランダムに書かれています。
どちらかにしようとか分けようとか考えたこともあるけど
“「内なる存在」と統合した「ほんとうのじぶん」として
この美しく多様な世界を自由に喜びをもって生きること”
をテーマにすると、私には分けられなくて、ごっちゃにぶっこむことにしました。
海外旅行の写真はインスタにて整理&アップ中で、
一都市につき1記事をブログにも記録用で載せようと思います。
実はインスタのことほとんどアルバムみたいなものだと思ってたら
案外面倒で時間取られそうなので、3日目くらいで削除しようとしたけど(SNSが苦手)
慣れて来て、ちょっと楽しくなってきました。
本来の使い方がどうであれ、私は自分にとってのアルバムにしようと思っています。
それが私にとってはワクワクのボルテックスになるの。
ほんと、人が撮ったきれいな写真見るのも好きだけど、
自分が見た風景は、その奥の実際の拡がりや空気感、
その風景に出会った時の心が震えるような感覚まで蘇って、
地球や世界やそこに生きる人々や動植物やいのちの営みすべてが
とてもいとおしくなって意識が拡がる思いがします。
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さて。
「思考と創造について」思うことを書いて行きます。
思考って「無い方がいい」と思っていた時期がありました。
マインドやエゴの思考って邪魔でなくすべきものだーと思っていて。
でもこの世界に現れて来るものの中でいらないものなんかありません。
すべては全体(源)の表現ですからね。
(マインドやエゴと呼ばれるものも、身体の他の仕組みや働きと同じく
全部この世界を楽しむための働きですからね。
バシャールはそれを、物質世界を体験するスピリット(魂とか霊とか言われる状態)にとって
ダイビングの際の水中メガネと言う装備のようなもの、と例えていました。)
思考について、一つの例としてこんなプロセスがあると思います。
(自分の体験から類推。必ずしもこうではない場合もあると思う)
1.思考に無自覚な時期
無意識にいつもなにかグルグル考えているのに、
何を考えているのかに自分でも気づいていない(ことが多い)。
ネガティブな気分の時はネガティブな思考が出て来る
(あるいは同じ波動の思考をキャッチする)けど
気づかずに巻き込まれ、延々と続く思考に振り回される。
2.思考に気づく時期
本来の自分の静寂のエネルギー状態(「空(くう)」)を体験したり、
「本当の気持ちはなに?」と表面的思考より深く自分の思考を見ていったり、
感情のナビゲーションを使って本来の自分のエネルギーと波動があって来ると、
まるで青空に浮かぶ雲を見るように
静寂の中に浮かぶ思考に気づくようになる。
(思考にも感情にも。つまりマインド[orエゴ]の動きに気づく)
ちょっと思考との間に気づきのスペースができた状態。
3.思考が無い状態を体験する時期
たぶんたいていは瞑想・禅・呼吸法・ヨガなどの体験を通して(?)
静寂の中で、全く思考が湧かない空っぽなスペースを体験する。
もしかしたら、思考が消えたり、体の感覚が消えたり、
考えようとしても考えられない、という体験をするかもしれない。
「個」という分離はない(=わたしはいない)と
どこかで腑に落ちるのもこの時期じゃないかな?
4.気づいている意識で思考する時期
はっきりと自分の中でなにが起きているか、その感覚に気づいている。
その中で、目的を自覚しながら意図的に思考を使う。
(エイブラハムは「ソースの思考」という言い方をするんだけど、
ソースエネルギーにアラインメントされた(周波数が一致して整った)
波動の中で[その状態・感覚で]思考が起きる)
これバシャールからボキャブラリーを借りて別の言い方をすると
フィジカルマインド(物質の身体のマインド)と
ハイヤーマインド(高次元の自分のマインド。言い換えるとハイヤーセルフ)の
波動の周波数が合って統合された状態、と言ってもいいんじゃないかな?
…その先はまだ知りません~…。
で、「意識的な思考」と「無意識の思考」は
ステート(心身の状態)が全然違っていて、
感覚的にはまったく「別物」なんですね。
なので私はこう思っています。
身体のすべては、消化吸収、呼吸や血液運搬、内分泌系やホルモンの変化、
神経系統、免疫…などなど自動的に働いていて(起こっていて)
私達はまさにいのちの力に生かされていて、なにひとつ自分でやってはいないわけです。
が、たったひとつ、自分でも意識的にできるのが呼吸で、
なので呼吸は顕在意識と無意識をつなぐ架け橋、とも言われています。
同じことが「物質次元の身体」と「目に見えない私たちの本質ソースエネルギー」
(=いのち、大いなるすべて、源、神)の関係における「思考」にも言えるんじゃないかな。
世界を創造しているのは見えないソースエネルギーで、
まさにすべてはこのただひとつの永遠のエネルギーがただ絶えず変化しているだけ。
すべてはただ起きていて、自然界の天気や事象が絶えず移り変わるように、
私達も同じ一つながりの一部として絶えず変化しているだけ。
で、私達は量子がエネルギー状態(波)から収束して物質(粒)になった
現象界を、(肉体としては五感を通して)知覚しているんだけど。
人間は「波動の翻訳機能」を自動的に使って世界を認識する仕様になっているから
エネルギーの波を色や音や味や香りや手触りとして知覚し、
それを解釈して「世界」として認識しているわけなのね。
で、純粋な知覚の上に思考(マインド・エゴ)の解釈が乗っているわけなんだけど
「リンゴ」をそのままただ見るのがありのままの世界の純粋な知覚とすると
「丸い」「赤い」「紅玉」「美味しそう」「高い」などは全部思考の解釈になるのね。
で、この解釈は単純なモノから抽象的なものまで
ありとあらゆる事象に及んで、その人独自の世界観(=その人の宇宙)を作っているわけ。
それを、これまで赤ちゃんから成長してくる段階での
親や教育や社会からの刷り込みで、ほとんど無意識に取り入れてきたんだけど、
その思考は、無意識に沸いても来るけど、同時に呼吸と同じように
意識的にすることもできる、つまりすべてがお任せのいのちの表現の中で
人間が意識して使える余地を残している唯一の表現なんじゃないかな~と思うんですよね。
(私がそう思っているだけで仮説です。
【追記:細かく言うと「潜在意識次元における言葉」とも言えるイメージなんかもそうかな?
顕在意識の思考=ことば、潜在意識の思考=イメージ、みたいな】)
なので、思考は「意図的な創造」にとって重要なアイテムになっているんだと思います。
長くなったので今日はこの辺までにしますが、
私は「人間には自由意志があるかないか」についても、
簡単に言うと「意識レベルによってあるとも無いとも言える」と思っているんだけど
自由意志があるとしたら、この「意識的な思考」のスペース、
そこから生まれてくる個人の選択、と言うことになるんですよね。
(蛇足かもしれないけど、非二元では「すべては決まっている」「自由意志はない」と
断言される方も多いんだけど、私はちょっと違う理解を持っているので
それについてもいつか書きたいと思っています。)
で、その「思考を意識的に使う」方法のいくつかを書こうと思ったのに、
前置きだけで終わってしまった・・・。
ま、私のペースで書いて行きます。
次は旅行記いくつかアップします。