はい、33日間に及ぶヨーロッパ旅行から戻ってやっと発信モードになりましたー。
ここ数年、年に数回数十か国を旅行して撮りためた写真が
あまりにもぐちゃぐちゃになっているのをなんとかしたいな~と思って、
自分の記録のためにもインスタを始めましたよ~。
今回の旅行の写真をぼちぼち整理しながらあげて、それをブログにも
反映させれば旅行記を兼ねられる!とも思って。楽しんでやってみましょ
で、ブログではこないだの続きやエイブラハムの最新情報などを
書いて行きたいんだけど、あまりにも膨大で、文字では限界感じつつ
やれるだけやってみます。
…てか、去年の分さえ全然書き終えてないんだけどね。(;^_^A
去年は「現実創造の5ステップ(→まとめココ)」について
かなりページを割いて書きましたが、他にも書きたかった大きなテーマがあって。
Create your own reality. 「あなた自身の現実を創造しなさい」
てことだったんだけど。
この英語、「他の誰でもないあなただけの、あなたという世界の
現実を自分で創るのよ!それはあなたにとっては幻想なんかじゃない、
あなたという小宇宙の、まさにリアリティなのよ!」って感じが
すごく表れていてシビレます…。
ここでさらに私流に解説含めるとね、私が見て体験している世界は
本当に私自身の反映(or私というプロジェクターを通した投影)で
「一人にひとつの宇宙がある」ということば通り、
私の体験する物質世界(宇宙)は、私が生まれた時に開いて
私が身体として死ぬときに閉じるのね。
それを100%体験しているのは私だけなわけ。
それはすべての人についても同じで、人間の数だけ「その人の宇宙」があるわけ。
人は自分の体験の外側には行けないし誰かを代わりに体験することもできないからね。
それをエイブラハムはvibrational reality(波動の現実;エネルギーの世界)に対して
time-space reality(時空間の現実;エネルギーの波が粒として現れた物質の世界)
って言うんだけど、私達がクリエイトするのは、あくまでも「own」(自分自身の)現実
であり、その仕方を繰り返し繰り返し教えてくれてるんですよね~。
そして、この「reality」(現実)という言葉の深さ!
だって、realityって、ひとつじゃなくて多次元になっているからね。
WSでその場のエネルギーの中で聞いた時、
「エイブラハムは全部わかって言ってる!」と雷に打たれたみたいに
衝撃的にわかって(ほんとあの場では「理解が降りてくる」て感じなんですよ)
それで「空」(空即是色の「くう」ね)と「色」が(色即是空の「しき」)がひっくり返って
完全に混ざりました、私の中で。
別の表現で言うと、見えないエネルギーの世界と見える物質次元が等価というか
同じ「いまここ」でなんの矛盾も疑問も無く同じものとして統合したというか・・・
何もおきていない世界とすべてが起きている世界が裏も表もなく
本当に今まさにここに同時に両方あって、
どちらかが現実でどちらかが幻想じゃなくて
どちらも現実・リアリティであり(しいて言えば次元が違うだけ)
【追記:ん~言葉は難しい。もう一歩踏み込むと
「(この世界は)波動を解釈したホログラムという夢のリアリティ」なんだけどね。
言葉の上では矛盾しているけど、すんなり成立するのは次元の違い、てことになるの。】
そう、「次元」て言葉を使えば、私ってすでに多次元の存在だったのか~みたいな。
(存在の次元の話は前から書きたかったテーマの一つなので
これも別の機会にゆっくり書きたいです。)
で、「エイブラハムはわかってる言ってる」というのはつまり「非二元」的なことをです。
非二元てのは簡単に言うと
すべては一つのエネルギーの現れで分離は無いんだよー、
「私」という分離した個人がいる感覚も幻想で、すべては
ひとつのいのち(全体;「それ」)がただ現れ変化しているに過ぎないいんだよー
(なので「二つじゃない=ノンディユアリティ」)ってことなんですが。
でもねー、これが腑に落ちると、今度はひっくり返って、
「世界がこんなに多様性に富んでいること(分かれて見えること)
人間にそれぞれの身体と「自我」があって、「わたし」を感じることができて
各自が自分のストーリーを紡ぐことができて、
選択・意志決定し行動している(ように見えるとも言う←この辺も改めて書きたい)
この世界ってなんてすごい「幻想」なんだろう!」って
すべての源のエネルギー(ソースエネルギー)、いのちの豊かさに
限りない感動を覚えるのです。
(今はこのことに気づく人がどんどん増えていて、これを読んでくれてる
あなたもわかってるんじゃないかって気がします。)
でね。
今までいろんな観念を掴んでいて、記憶や感情や思考と同化して生きて来た人が
非二元に出会うと、分離は幻想だった、もともとなかった、ただこれ、
どこまでも自由でなににも捕らわれない命の動きがあるだけ、って
「私」という人生ストーリー(しかもたいていは苦しみの)からの解放が起きるわけだけど、
それはいわば個から全体へという動き。
でもエイブラハムは目に見えない世界から語り、
「個」に分かれて見えるその多様性こそがいのちが表現したかったこと、
ソースが体験したかったことだよ、ってその素晴らしさを説くんです。
エイブラハムは、私たち人間はソースの物質の部分でその延長であり、
leading edge、つまり「最先端」なんだよ、
ソースに導かれ、ソースの「後ろを行く」んじゃなくて、
「先を行く」最先端なんだよ、って言う言い方をするんですよね。
(そしてそのleading edgeの意味は今回2018年のクルーズでまた強調されたので
このことについても書いて行きたいと思います。書きたいこといっぱいだな…(-。-) ボソッ)
よく、禅とか非二元の世界では海(全体)と波(個)の例えを使うんだけど、
私達は波の一つ一つのように分かれて見えるけど、本当は海そのもの。
(全部繋がっているし全く同じ成分でできていて波は海の動きというただの現象)
その例えを借りて言うと、
海が自ら波をやってるの。海は波をやりたいの。
思いっきり波として自分を表現したいの。
あらゆる可能性領域を、隅から隅まで(って本当に「隅」があるわけじゃないけどね)、
あらゆるものになって、あらゆる体験をして、あらゆる感覚を味わいたい、と。
まさにそれを全体はやりたいのか!
ソースはわたしをやりたかったのか!って感じなわけです。
あなたをやりたかった。
これまでに生まれて来たすべての人をやりたかった。
すべての動物を、鳥や魚や木や草や花や鉱物や存在するすべてを。。
ありとあらゆる方法で、自分のすべてを知りたい!
そんな爆発的な衝動が、ビッグバンだったのかも…なんてね?
私達の自分を知りたい、という内側からの衝動はソースのものだし、
もっと拡大(成長)していきたい、という衝動もそうなんですね。
(知りたいとか成長したいとか赤ちゃんだって放っておいてもそうだもんね)
最後にエイブラハムが去年のクルーズで言っていた印象深いセリフで締めます。
「ソースは心の平静さのことじゃない。
“enthusiasm” つまり「なにかに情熱を燃やし熱意を持つ感覚」もソースだし
「興味のあるものを探す」のもソース、
だからソースの見える部分であるあなたは
observer 観察者じゃない、spectator 傍観者でもない!
創造者であることがあなたの自然の性質! さあなにを創造したい?」