1週間ほど前から沖縄に来ています。

 
(これうちの近所を散歩した時撮ったの)


earthTVが復活したみたいで、私が初めてインタビューしていただいて
しゃべった動画も、またYou Tubeで見られるようになりました。爆  笑

「ノンデュアリティと現実創造(引き寄せ)の出会い」とタイトルをつけてもらって
ここ(⇒クリック)で見られます。 
 
(そしてこの動画の補足記事をここ(⇒クリック)で書いています。
マニアックな人向け?笑)


ノンデュアリティ(非二元)て、
言葉の表現として聞いちゃうと頭で捉えるのが難しくて
「?」ってなってる人が多いかもしれないけど、
実は誰にとっても親しみのある感覚から入るとわかりやすいかもしれない!
・・・と思って、今日はそんな切り口からちょっと書いてみます。

(特に日本人にはこちらのアプローチの方が捉えやすいかも)


それは、私達の誰もが、いくら年を取っても
小さい頃から変わることなく内側の奥深く持っている
「ある」という存在の感覚。

これは例え、目が見えなくなったり耳が聞こえなくなったりしても、
極端な話「五感」がすべて取り除かれて外界との接触がなくなっちゃったとしても
相変わらずあるであろう、「存在」の感覚。

身体という制限にかかわりなく、時間の影響も受けず、
誰の中にも動かずにある静寂のスペース。

これが「空」であり「それ」。
永遠に実在する「いまここ」。
 
(だからこの「ある」という「存在」の感覚は、無くなりようがありません。
たとえ身体が「死」により滅びたとしても、この感覚は形を変えて
何らかの形で続いていくんだと思います。
なので、「私はいない」でこれを消そうと思ったら意味が違うの。)


それは、思考や感情や、他のあらゆる現れては消える感覚とは全く別の、
それらあらゆる動きが現れては消えていくなにもない空間、
映画で言ったらスクリーンのような、まっさらの動かないベース。

その、一度も離れたことが無いなじみの感覚を見つけた(自覚した)時、
人によっては「あ~これか~」って笑っちゃうかもしれない。

それが実は「個人的な感覚」ではなくて、「全体意識」。
「気づきの意識」。
みんなが共有していて、宇宙にはこのたった一つの純粋意識しかない。

いや、「みんなが共有している」というより、実際には、
このひとつのエネルギー、ひとつのいのちの源が、
物質の時空間に現れた(自分を投影させた)のが私たちだというわけ。

そのいのちの源が「ソースエネルギー」であり「おおいなるすべて」であり
「神」とも「本当の自分」ともいう。

(バシャールが言うには、この構造は三位一体らしい。口笛
まずは自分が誰かも知らず認識も自覚もない「The one(たったひとつのもの)」 
があり、その一つの側面が「All that is(大いなるすべて)」で、これは
自分を反映させることにより自分自身を認識し、自分が誰かを知り、自覚している。
つまりここで、「観るもの」と「観られるもの」が生じることになるわけ。
それが「大いなるすべて」とその反映であるわたしたち。
でも繰り返すけど、それは分離していない同じひとつのものなの。)


 
もしこれを、「宇宙意識と繋がりたい」と外に探していたとしたら、
いつかこれと溶け合いワンネスを体験したいとか思っていたとしたら、
「空(というどこか)に入りたい」とか
「わたしはいない」という「もう一つの世界」を体験したいと思っていたとしたら、
ちょっと的を外しているかもしれなくて、
実は自分がもうすでに「それ」だよ、だからいつも共にあるよ、
いつも感じていた、動かない、実在の感覚が「それ」だよ、と言ったら
驚く人もいるかもしれない。

どこかに行かなくていい、どこかを探さなくていい、なんの修行もいらない、
なにもしなくていい、もうすでに「それ」だから!笑

その、「分かれていないんだよ」というのが「非二元(=ふたつではない)」
つまりノンデュアリティで、
全体であり個人である、エネルギーであり物質である、
観るものであり観られるものである、
空(くう)であり色(しき)である、それは不可分なんだ、ということ。


この時空間の物質世界を生きる個人としては、その感覚としっかり繋がる
・・・というか、そこにしっかりと「ある」こと。
「存在」の感覚に落ち着くこと。

その時、「個人としての私」は消えていて、「全体意識」(=いのち)だけがあるはずだ。
 
 
・・・と結局言葉で書かざるを得なかったけど(笑)、どうかしら?
その感覚。
 
 
そして、そこに「現実創造」のパワーもある。
 
この「源」はゼロポイントであり、何もないとも言えるけど
ありとあらゆる可能性で満ちているともいえる。
 
すべてが現れる「空(くう)」であり、
どんな映画をも映し出すことのできるスクリーンだ。
 
そこにあるのはただのエネルギーの波だけど、
観察により、どんな粒(創造物)にも変えられる量子場(クォンタムフィールド)だ。

(↑量子力学の、「観察者効果」が「波」のふるまいをしている素粒子を
「粒」に収束させるというミクロの話をべースにした表現をすると)
 
「いのち」がどう現れたがっているのが、なにを表現し、どんな創造をしたがっているのか、
その舞台になるのが、この物質の時空間だ。

この時空間で私達は、時間の流れに沿ってそれを観ていくし、
時間=動きでもあるから、「空間」を動くという体験を楽しんでいく。

「おおいなるすべて」があらゆる多様性をもって現れた私たち「個人」が
目覚めた意識で望みの夢を見る遊びが展開していくのが地球。
だからこそおもしろいし、その自覚(=目覚め)はどんどん広まって行くんだと思う。