先日、二男とパスタを食べに出かけた。
けれど、ランチ時だったので、駐車場もいっぱい。
楽しみにきたのに、中に入れない。
がっかりした。
それと同時に、怒りがこみ上げてきた。
でも、「怒りは自分に盛る毒」だから、すぐに打ち消した。
そして、時間をつぶすために、図書館へ。
行ってみると図書館は休館日。
またまた、予想外の展開。
ぶらぶらしてて出会ったのが、この会場。
しょうがいを持った方が作られた、織物の展示がしてある会場だった。
しかも、タイトルが「炎と祈り」。
会場の中のものは、確か合掌していた。
この手を広げたものは、入口のところにあったものだ。
実は、この日、車の中で、松木正さんの「火のワークショップ」に参加したいという話を、息子にしていた。
火というのは、ネイティブアメリカンの方にとっては、「幸せ」を表すものである。
このことについては、またいつかご紹介したいと思うが、「火のワーク」を絵で描くと、こんな感じ。
トタン板の上に薪を組み、その炎で麻ひもを切ることができるか。
両サイドの棒の高さは160cmらしい。
どんな環境の中でも炎はあがる。
それは、どんな環境にあっても、人は幸せになれるということを意味する。
そして、自分が自分の火をあげるまでのプロセスを感じ、考え、幸せになるコツをつかもうとするワーク。
個人、個人性格や感じ方、考え方が違うように、作業の過程において、その人となりが出てくるようだ。
自分の個性や感じ方、考え方の癖を振り返り、幸せになるためのコツを体感していくものではないかと、想像している。
麻のひもを炎で切るということが、目的ではあるが、大切なのは、麻ひもが切れるほどの炎をあげるためのプロセスが重要なのである。
ちなみに、この麻の糸を参加者全員が切ることができるとは限らない。
20人の参加者のうち、糸が切れたのは2人だけだったこともあるようだ。
そして、「祈り」。
「祈り」は、ネイティブの方にとっては欠かせないものである。
ここで、「炎」と「祈り」が、また繋がった感じがした。
パスタ屋さんの駐車場が、いっぱいでなかったら、図書館にも行っていないし、図書館が休館でなかったら、この会場での出会いもなかった。
そう、考えると、やっぱり、全てが繋がっている。
この織物を作っている作業所に、いつか行ってみたいと思っている。
また、新しい何かが動き出している気配がしている。

