【自己紹介】犬飼利佳ができるまで:母親との関係
http://ameblo.jp/openheart310/entry-12090073609.html
の続きです
学生の頃仲が悪かった母には
本当は母に認めてほしかったのです
いとも怒られてばかり
生まなきゃよかったなんて言われたくなかった!!
ホントは
「あなたはあなたのままでいいよ」って
存在を認めてほしかった
それだけをずっとずっと小さいころから思ってました
私はその後、小学生のころから夢だった保育士になりました
母もずっと保育士になった欲しいと思っていたので喜んでいました
その時
母を喜ばせることができて少しだけ認めてもらえたと嬉しかった
でも、
その私立の保育園は保護者への対応はよく見せるが
子どもに対してと職員の中がすこぶる悪かった
一度落ちた公務員試験
働きながら、当時地元の中で一番試験項目が多く
競争率が高いといわれる地域の公務員になることに決めて
私立園の職員誰にもばれないように勉強を必死でして
公務員試験を受け何と合格することができた
それを聞いて父も自分がなれなかった公務員に私がなったことで
両親そろって喜んでもらえちょっとだけ自慢の娘になった
新しい4月から公立保育士として就職した
今までの環境とは全く変わり始めて
保育士って楽しい
と思い1年が過ぎようとした頃
その時同僚だった男性保育士さんと結婚することになり翌年の移動が確定した
2年目新しい園にまた移った私は夏ごろ妊娠が発覚し
元々弱かった視力が貧血からもっと弱まり一時的に運転中に見えなくなってしまった
事故寸前
とっさの判断でハザードをたき見えるようになってからコンビニ駐車場へ
怖くなりそのまま職場へいけなくなってしまい病院へ
行ったら切迫流産もしかけていて一時入院
自宅安静でトイレ以外動けない期間が2か月ほど続いた
市役所的にはOKだが
職場からは人がいなくて困る
と毎日電話がかかってくる
ストレスで切迫流産は進み
結局保育士を辞めることになった
その時母と父には
もったいない
何のために学校行かせたか
また
口げんかをして
泣かれてしまったが
どうしてもお腹の子は守りたかったのは渋々理解はしてもらえた
あぁ、なんて私は親不孝なんだろう
仕事を辞め、
安定期になりその頃建てていた家も完成し
無事出産を迎えることができ生まれたのが長男です
続く
私は物心ついた時から母親が怖かった
小さいころは私がおっとりしていた性格に母親は悩まされ
「早くしなさい」
「なんでできないの?」と言われていたのを思い出します。
小学生になると私が道草して少しでも帰ってくるのが遅いと
ランドセルを投げ捨てられたことを覚えています
母は
心配=怒り=愛情
という表現でした。
それを父がかばうと
「どうせ私が悪いんでしょ」
というのが母の口癖
母は料理上手で部屋もきれいにしていて
家事を完ぺきにこなしながらお仕事をしていた
だから
出来ないことを見ると
「なんでできないの?」
と思ってしまうようです
思春期に入ると母の言葉に言い返します
私は母に
「いちいちうるせーんだよ」
「話しかけんな」
「顔見たくねぇなら見るんじゃねーよ」
と言っていたのを思いだします
相当、口も態度も悪かったし
今思えばかなりの親不孝
そんな私を見て
「お前をうむんじゃなかった」
とも言われました
家にいるのも嫌になり
高校の頃はバイトをしてまかないで食事して遊んで
お風呂と寝るだけのために帰ってました
よくカギを掛けられていましたが
父がこっそりあけておいてくれたり
友達の家で寝泊まりしたりしてました
大学に行けば平日は学校、
バイトして彼氏と遊んでそのまま泊まって着替えを撮りに帰る程度
実習の時だけ家にいることが多いがあんまりちゃんと話すことより怒られることが多く結局喧嘩になってしまう
母親と仲の良い子たちを見ると、とてもうらやましかった
家にいてもとてもさみしくて
その寂しさを彼氏が優しくしてくれることで
認めてもらえたと感じたりしていた
本当は母に認めてほしかったのです。
いとも怒られてばかり
生まなきゃよかったなんて言われたくなかった
ホントは
「あなたはあなたのままでいいよ」って
存在を認めてほしかった
それだけをずっとずっと小さいころから思ってました
小さいころは私がおっとりしていた性格に母親は悩まされ
「早くしなさい」
「なんでできないの?」と言われていたのを思い出します。
小学生になると私が道草して少しでも帰ってくるのが遅いと
ランドセルを投げ捨てられたことを覚えています
母は
心配=怒り=愛情
という表現でした。
それを父がかばうと
「どうせ私が悪いんでしょ」
というのが母の口癖
母は料理上手で部屋もきれいにしていて
家事を完ぺきにこなしながらお仕事をしていた
だから
出来ないことを見ると
「なんでできないの?」
と思ってしまうようです
思春期に入ると母の言葉に言い返します
私は母に
「いちいちうるせーんだよ」
「話しかけんな」
「顔見たくねぇなら見るんじゃねーよ」
と言っていたのを思いだします
相当、口も態度も悪かったし
今思えばかなりの親不孝
そんな私を見て
「お前をうむんじゃなかった」
とも言われました
家にいるのも嫌になり
高校の頃はバイトをしてまかないで食事して遊んで
お風呂と寝るだけのために帰ってました
よくカギを掛けられていましたが
父がこっそりあけておいてくれたり
友達の家で寝泊まりしたりしてました
大学に行けば平日は学校、
バイトして彼氏と遊んでそのまま泊まって着替えを撮りに帰る程度
実習の時だけ家にいることが多いがあんまりちゃんと話すことより怒られることが多く結局喧嘩になってしまう

母親と仲の良い子たちを見ると、とてもうらやましかった

家にいてもとてもさみしくて
その寂しさを彼氏が優しくしてくれることで
認めてもらえたと感じたりしていた

本当は母に認めてほしかったのです。
いとも怒られてばかり
生まなきゃよかったなんて言われたくなかった

ホントは
「あなたはあなたのままでいいよ」って
存在を認めてほしかった
それだけをずっとずっと小さいころから思ってました

【自分の決意の固めるまでに1】今日も一つ手放してきます(^^)♪
http://ameblo.jp/openheart310/entry-12089845400.html
前回の続きです
私の引っかかっていた
なぜ起業にこだわっていたのか?
を掘り起こしてみた。
起業しようと少しでも思ったのが8年前
その頃はエステティシャンになりたかった
児童館で働きながら小さな二人の子育てしながら施術の練習
まぁ、うまくはいかずあっさりやめました
でもそれから自分で何かしたいと思うようになったのです
ネットワークビジネスもうまくいかず
やっぱり起業だと思い保育士しながらスピリチュアルカウンセラー
病気になり保育士ができなくなり食いつないでいくために
生命保険会社に就職しながらスピリチュアルと心理学を絡めたカウンセラー
再婚しもう一度心理学を学びながらメンタルセラピストとなりカウンセリング、
コーチング等幅を広げるが納得いかず
次女出産後手先の器用さを生かしバルーンを学ぶ
世界一周中にスクラップブッキングを
ひたすら自己流でやってきたのでインストラクターの資格を取得
そして今に至ります
何度もリセットを重ねてもうまくいかないサイクルができていた
その間いろんなところから、保育士やらないか、児童館で働かないか、などなどお仕事の話はいくつかあったがピンと来るものは何もなかった
あーもう私何をやっても中途半端
何かに絞ってみようと思っても絞れないそれ以上に何ができる考えると実際何もできない
ただの趣味起業程度なら今のままでいいんだけど
これからの自分たちの暮らし方を考えるとそういうわけにもいかなかった
起業しているときにあげている想いを
もう一度見直してみるとふと気づくことがあり涙かこぼれた
私はいつもターゲットにしているのがママ世代
ママがきれいでいられるエステティシャン
ママも親子で元気になれるカウンセラー
ママライフを楽しめるバルーンスクラプブッキング
これね、いつも無償や材料費の時はいいのに
お金をもらってお仕事にしようと思うとダメになるマインドが隠されていた
私の思いはお客様の想いを形にするってことなのに
お金をもらうと
稼がなくちゃと焦りが出てしまうのでした
そして、100%楽しんでいたものが50%くらいに減ってしまう
それがなんだか嫌で
でもちゃんと真剣にやりたいという想いの中なんだか空回りしてしまう自分がいた
しかしこの気づきで
この想いのままお仕事としてやっていくのは
自分のためにもお客様のためのもよくないと思い
辞めるを決められたのです
ただこうなってしまうのは
何でだろう…
このマインドの元はどこにあるのか
この原因の大元は幼少期に隠されてきた母親との関係に出てきた
だいぶ暗いですが(笑)興味がある方は読んでみてください↓
http://ameblo.jp/openheart310/entry-12090073609.html
そう、この
認められたかったがすべてに引っかかってきた要因だと気付いたのです
私自身がママがきれいでいたくて、親子で元気で、ママライフを楽しむママあることを認められたかった
そして稼げていて経済的に自立して主人に認めてほしかった
そして、お互いを認め合える親子関係でいたいから自分たちのそれぞれの時間も大切にしたい
私のプライドや頑固さできれいな言葉だけで並べられていたことはほんとは自分に向けてだったと思ったら
無理に起業じゃなくても
私は成長できて世間のお役にたちたいだけその思いだけがシンプルに残されたのでした
http://ameblo.jp/openheart310/entry-12089845400.html
前回の続きです

私の引っかかっていた
なぜ起業にこだわっていたのか?
を掘り起こしてみた。
起業しようと少しでも思ったのが8年前
その頃はエステティシャンになりたかった

児童館で働きながら小さな二人の子育てしながら施術の練習
まぁ、うまくはいかずあっさりやめました

でもそれから自分で何かしたいと思うようになったのです

ネットワークビジネスもうまくいかず

やっぱり起業だと思い保育士しながらスピリチュアルカウンセラー
病気になり保育士ができなくなり食いつないでいくために
生命保険会社に就職しながらスピリチュアルと心理学を絡めたカウンセラー
再婚しもう一度心理学を学びながらメンタルセラピストとなりカウンセリング、
コーチング等幅を広げるが納得いかず

次女出産後手先の器用さを生かしバルーンを学ぶ
世界一周中にスクラップブッキングを
ひたすら自己流でやってきたのでインストラクターの資格を取得

そして今に至ります

何度もリセットを重ねてもうまくいかないサイクルができていた

その間いろんなところから、保育士やらないか、児童館で働かないか、などなどお仕事の話はいくつかあったがピンと来るものは何もなかった

あーもう私何をやっても中途半端

何かに絞ってみようと思っても絞れないそれ以上に何ができる考えると実際何もできない

ただの趣味起業程度なら今のままでいいんだけど
これからの自分たちの暮らし方を考えるとそういうわけにもいかなかった

起業しているときにあげている想いを
もう一度見直してみるとふと気づくことがあり涙かこぼれた

私はいつもターゲットにしているのがママ世代
ママがきれいでいられるエステティシャン
ママも親子で元気になれるカウンセラー
ママライフを楽しめるバルーンスクラプブッキング
これね、いつも無償や材料費の時はいいのに
お金をもらってお仕事にしようと思うとダメになるマインドが隠されていた

私の思いはお客様の想いを形にするってことなのに
お金をもらうと
稼がなくちゃと焦りが出てしまうのでした

そして、100%楽しんでいたものが50%くらいに減ってしまう

それがなんだか嫌で
でもちゃんと真剣にやりたいという想いの中なんだか空回りしてしまう自分がいた

しかしこの気づきで
この想いのままお仕事としてやっていくのは
自分のためにもお客様のためのもよくないと思い
辞めるを決められたのです

ただこうなってしまうのは
何でだろう…
このマインドの元はどこにあるのか
この原因の大元は幼少期に隠されてきた母親との関係に出てきた
だいぶ暗いですが(笑)興味がある方は読んでみてください↓
http://ameblo.jp/openheart310/entry-12090073609.html
そう、この
認められたかったがすべてに引っかかってきた要因だと気付いたのです

私自身がママがきれいでいたくて、親子で元気で、ママライフを楽しむママあることを認められたかった

そして稼げていて経済的に自立して主人に認めてほしかった

そして、お互いを認め合える親子関係でいたいから自分たちのそれぞれの時間も大切にしたい

私のプライドや頑固さできれいな言葉だけで並べられていたことはほんとは自分に向けてだったと思ったら
無理に起業じゃなくても
私は成長できて世間のお役にたちたいだけその思いだけがシンプルに残されたのでした
