私は旅が好きでコロナ前は
年に一回は海外行くって決めて
近場でもいいから行っていたの。
その中でも船旅のゆったり感が好きで
1番下の娘は船旅を経験してなかったから
2人で日本半分と韓国の船旅を10日間かけて行ったんです。
イタリアの船で全部英語なんだけど
スマホの翻訳アプリが大活躍w
娘は一時預かりで色んな国の子どもや色んな年齢の子たちが集まってみんなで遊ぶ児童館みたいなところに、体験したいプロジェクトがあると1日に何回も参加して遊んで帰ってきて
船内で好きなレストラン選んでご飯頼んで
寄港地についたら外で旅行を楽しむって生活
最初数日は
船内でのサービスもわかんなくて…
娘が遊びに行ってる間
ぼーっとする時間がけっこうあって…
ゆっくりできる❗️やったー‼️って思ったのは最初の数時間w
だんだん飽きてきて…
ん?私は…暇なの?w
ってなって
デジタルデトックスは
電波状況もそんなに良くないから必然的になって…
暇すぎて何して過ごしたらいいかわかんなくなったの
その時、私が思う幸せって
ゆったりしたいけど…何もしないのは退屈なんだなって…
ステキな海眺めてビーチでゆっくりコーヒー飲んで☕️って何もしないのは
私には向かないと気づいたり
色々、忙しさから逃れたくて
ゆっくりとか
ゆったりとか
ノートに書いていたけど
ゆっくり丁寧に何かをするとか
ゆったりとした気持ちで何かをするは
幸せだけど
やる事ないって…
暇って、私には退屈なんだと気づいたの
これに気付いたのが、結構大きくて
現実から遠い幸せばかり意識を注いでいたんだなってわかって
それよりもっと身近な幸せに
意識を注ぐ方がいいんだなって
もちろん遠い幸せも時にはリフレッシュ的なもの必要だけど、
それはメインの幸せじゃなくてたまにの少しの時間で良いんだなって気づいたんです!
海は美しくて、日本人見つけたら日本語で久しぶりに話せる〜とかで交流したりして
それから日常と変わらず
結局毎日
ノートに色々書いたり
コンテンツ作ったり
身体動かしたり
陸にいても洋上でも
同じことやっていて
これが好きなんだなって再確認できたの。
そうやって
幸せの定義が
日常なものになっていくの
そんな当たり前に感動したんだよね。
娘と食事ができること
会話が理解できたり、目に見える看板も全部読めるし、
食べ物むちゃくちゃ美味しいし、家族も友人もすぐに会えるし。
あ、これ最高の幸せだなってことに気付いて
日常はバタバタすることもあるけど、その中で感じる幸せも大事にしようって。
なんか幸せって遠くて凄いものに設定してたな〜って気づいた頃に10日間の旅は終わって
最後に降りた福岡では降りてすぐにお話し会の仕事してましたw
結局、仕事が好きなんだよね(╹◡╹)
1番の成長と笑い話は
当時、まだ、年長さんだった娘が韓国人のお姉さんに教えてもらって
色を英語で話せるようになっていたけど
韓国なまりで笑ったよ…
イエローね!
ブルーね!
グリーンね!
オレンジね!ってw
